記憶の通路――思い出ログは未識別
返ってきた記憶は、全部が親切な名前で落ちているわけではない。
たぶん家、たぶん声、たぶん帰り道。
たぶんは禁止にしたい。
記憶の通路は、懐かしい匂いより先に、未識別の札をぶら下げていた。
棚には小さな光が並んでいた。草でも巻物でもない。けれど、札の付け方は完全に未識別アイテムだった。
【たぶん家の匂い】
【未識別の下校道】
【呪われたゲーム画面】
【祝福された誰かの声】
「たぶん家って何!? 家にたぶんを付けるな! 賃貸情報でももっとはっきり書くよ!」
「記憶ログは、戻り方を間違えると精神側の座標を壊す。曖昧な方が安全な場合もある」
「曖昧なまま帰らせる気だったの?」
「完全な記憶を戻すと、異世界での経験と衝突することがある。だから」
「だから、じゃない。だから、ちゃんと説明して」
アドミニスは口を閉じた。言い訳の続きが喉に残っている顔だった。ログルは札をひとつずつ読み取り、ベルは鑑定済みの印を貼る。ネムは眠そうな顔で、危険な札を受付箱の裏へ避けた。
「勇者様。鑑定は一つずつです。まとめて読むと混ざります」
「まとめて読めたら便利なのに」
「便利なものほど、神様仕様が噛んできます」
「名言っぽいけど嫌な実績に基づいてる!」
コヨリは【たぶん家の匂い】をつまんだ。薄い光から、味噌汁のような、洗濯物のような、夕方の廊下みたいな匂いがした。胸が小さく縮む。帰りたい、と体が先に思う。
その気持ちに、足が勝手に出た。
「勇者様、待ってください。まだ鑑定途中です」
「でも、これ、たぶん本物」
「たぶんは禁止です」
「うん。禁止なんだけど、ちょっとだけ......」
札がほどけた。床がぐにゃりと曲がり、通路の奥に玄関の明かりが見えた。近づいた瞬間、玄関は知らない家へ変わり、靴箱はダンジョンの壁に戻る。座標酔いが胃をひっくり返した。
「うぷ」
「戻ってください。そこは帰還ではなく記憶の反射です」
「反射で吐きそう! 思い出、三半規管に来るタイプなの!?」
次の一手で戻るはずだった。けれど、足元の札が【呪われたゲーム画面】に変わっている。コヨリは視界いっぱいのロード画面に吸われた。
次の一手で、コヨリは読み違えた。
記憶の通路――思い出ログは未識別の最後で、コヨリは判断を一拍だけ遅らせた。油断とは少し違う。進むための正解に見える一手が、別の角度から死因へ変わる。帰還門の白い光が足首をさらい、さっきまで読めていた盤面を裏返した。
【死亡ログ】
【総死亡回数:1004回 → 1006回】
【|千回死亡条件カウンター《せんかいしぼうじょうけんカウンター》:1000/1000 停止】
【神様側送信:遮断】
【拠点側保存:実行】
【死因:記憶の通路――思い出ログは未識別の攻略中、帰還門仕様の罠を踏んだ】
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
拠点へ戻ると、コヨリは壁に背中を預けてずるずる座り込んだ。停止カウンターは無反応。だが、総死亡回数の表示だけが新しい数字を吐き、記憶酔いの余韻を容赦なく現実に戻してくる。
「神様には送ってない?」
「送信遮断中です。今回は記憶ログ接触事故として保存されています」
「記憶に触って酔って死ぬの、帰宅難易度が高すぎる」
「帰りたい気持ちも、未完成の帰還門では罠になります」
「心まで足元確認が必要なの、つらい!」
アドミニスは言い訳を飲み込んだ。代わりに、危険な記憶札を一枚だけ裏返す。黙って隠すのではなく、危険として見せた。そこだけは、少し進歩だった。
ミネルが通路の端で、古い札を読んでいた。声は小さいのに、内容はやたら長い。
「記憶ログは、帰還時の自己連続性を補助するための補正項目であり、過不足があると精神座標に揺らぎが」
「ミネル、赤線だけ!」
「つまり、思い出を雑に読むと気持ち悪くなります」
「最初からそれで! でも気持ち悪いで済む?」
「済まない場合があります」
「済まないやつを、未識別で床に落とすな!」
アドミニスが苦い顔をする。
「記憶は、あまりはっきりさせすぎると痛むんだ。元世界の記憶と、この世界で死んだ記憶が同時に戻ると、どちらが自分か分からなくなることがある」
「それは......分かる気もするけど」
「だから、薄く、少しずつ戻すつもりだった」
「その“つもりだった”の中に、本人の確認が入ってない」
コヨリの声は、怒鳴り声ではなかった。だからアドミニスは余計に黙った。ログルが札を一枚持ち上げる。宝石の光で照らすと、【たぶん家の匂い】の下に小さな注釈が出た。
【危険:帰還願望を急上昇させる可能性あり】
「帰りたいって思うのも危険扱い?」
「帰還門が未完成な状態では、強すぎる願望が座標を引っ張ります」
「帰りたい気持ちにまで罠判定をつけるなあ......」
コヨリは笑おうとした。だが、うまく笑えなかった。帰りたいのは本当だ。けれど、帰りたいと思った瞬間に足元が崩れるなら、その気持ちまで攻略対象になる。
ベルが札の余白に小さく書いた。
【思い出は読む。飛び込まない】
「いいね。壁メモっぽい」
「壁メモではなく、帰還因子鑑定規程です」
「名前が堅い! でも助かる!」
コヨリは一枚ずつ鑑定するつもりで、手を伸ばした。つもり、だった。
記憶札は、危険度ごとに箱へ分けた。コヨリは一番上へ『懐かしいものほど飛び込まない』と書き、ついでに『たぶん禁止』を三重線で囲った。
【今回の攻略メモ】
【記憶ログ識別 Lv.1】
【優しい記憶ほど足を止める】
【未識別の思い出は一枚ずつ読む】
座標酔いから戻ったあと、コヨリは床へ寝転がったまま天井をにらんだ。
「思い出って、もっと優しいものじゃないの?」
「優しいものもあります」とログル。
「じゃあ優しい順に並べて!」
「神様側の分類では、優しい記憶ほど帰還願望を強く刺激するため危険度が高いです」
「優しさが危険物扱い! 神様の棚、感情の置き場所が全部おかしい!」
アドミニスは反論しなかった。コヨリはその沈黙を横目で見る。
「言わないの?」
「言えることはある。でも、今は聞きたくないだろう」
「聞きたくないけど、隠されるのはもっと嫌」
「なら言う。僕は、優しい記憶ほど怖かった。帰りたい気持ちが強くなりすぎると、帰還門は未完成でも開こうとする」
「......それで、何人か落ちた?」
「うん」
コヨリは起き上がった。怒りはある。けれど、今の情報は必要だった。優しい記憶ほど、階段前の宝箱みたいに危ない。欲しいからこそ、手順を守る。
帰還門の奥で、次の区画が静かに開いた。
通路の出口に、未識別札を貼るための石板があった。コヨリは『記憶の通路――思い出ログは未識別』と書き、横に『読む前に深呼吸』と付け足す。恥ずかしいが、次に酔うよりはましだ。
「思い出ログに酔った記録、後で消せない?」
「消すと、同じ未識別記憶にまた飛び込みます」
「ログル、恥ずかしい黒歴史にも保存義務があるの?」
「勇者様の場合、黒歴史の多くが攻略情報です」
「ひどい分類!」
「有用性は高いです」
「褒められてない!」
「神様」
「うん」
「優しい記憶を危険物にしたの、かなり腹立つ」
「そうだね」
「でも、危険だって言ったのは、前よりまし」
「まし、で止まるんだね」
「当然。満点は遠いよ」
コヨリは鼻を鳴らし、未識別の札を安全箱へ放り込んだ。懐かしさに飛び込まない。それも攻略だった。
【登場人物紹介】
コヨリ:記憶の通路――思い出ログは未識別で帰還門攻略に振り回される。ログル:盤面と記録を照合。アドミニス:案内しつつ言い訳を重ねる。ベル・ネム・ゼルド:それぞれ契約、死の扱い、役割の被害から神様仕様を刺す。
【今回の勇者ステータス】
総死亡回数:1004回 → 1006回
千回死亡条件カウンター:1000/1000 停止/記憶の通路――思い出ログは未識別後も不動
神様側死亡ログ送信:遮断維持/拠点保存ログ確認番号04
クラス:帰還者候補/死因学者系統
基本スキル:【基本ローグライクスキル:一手一動】
【獲得済み主要スキル】
神様仕様突破:【一フレームの神様 Lv.3】【死亡対象上書き Lv.1】【千回死亡条件破壊 Lv.1】
ログ・所有権:【死亡ログ返還 Lv.1】【ログ差し戻し Lv.3】【死亡ログ所有権確認 Lv.2】
帰還門攻略:【千回後死亡ログ確認 Lv.1】【神様案内警戒 Lv.1】【名前保持 Lv.1】【記憶ログ識別 Lv.1】
【今回の新規獲得・更新】
新規獲得:【記憶ログ識別 Lv.1】
内部更新:帰還門ダンジョン攻略ログを拠点側へ保存。
【ローグライクあるあるネタ】
未識別アイテムの識別事故を記憶ログへ変換しました。不思議のダンジョン系では、識別の巻物・識別の壺・店での値段・一度使った結果・自分で付けたメモ名で正体を推測します。今回は【たぶん家の匂い】や【呪われたゲーム画面】を、読む場所と順番を間違えると帰還酔いする未識別ログとして扱いました。
帰還門ダンジョンの先も一手ずつ進みます。面白かったら、ブックマーク登録・評価・コメント・レビューで応援をお願いします!




