名前の間――勇者コヨリと天野こより
最初の区画は、敵より名前が怖い場所だった。
勇者名と本名を間違えると、帰るのは“役割”だけになる。
最初の扉を抜けると、床一面に名前が敷き詰められていた。
床には、二種類の札が交互に並ぶ。
【勇者コヨリ】
【天野こより】
どちらも自分だ。なのに、同じものではない。コヨリは足を出しかけて止めた。どちらか一枚だけ踏めと言われたら、笑って済ませられない。
「ログル。これ、間違えたらどうなる?」
「帰還門が役割名だけを認識する可能性があります」
「役割名だけ帰るって何!? ランドセルだけ家に帰るみたいな怖さなんだけど!」
「比喩としては近いです」
「近いんだ!? やだよ、玄関にランドセルと勇者の称号だけ置いてあって、本人が異世界に残るの!」
アドミニスは窓の中で目を伏せた。
「以前は、役割名だけでも帰還処理を通せると思っていた。勇者という役割が元世界へ戻れば、本人も引き寄せられる、と」
「思っていた、で人間を分割しないで」
「......うん。ここは、君の怒りが正しい」
ベルが札の縁を調べる。ネムは【生者本人確認】と書かれた受付印を出し、ゼルドは魔王の影を床に伸ばして札の隙間を押さえた。
「勇者様、声に出してください。本名と、ここで使ってきた名前を、両方」
「え、今?」
「名前の間です。名前を自分で持っている証明が必要です」
「急に面接みたいにしないで。落ちたら帰還門不採用なの?」
コヨリは喉を鳴らした。笑いに逃げようとしたが、声が少し詰まる。
「わたしは、コヨリ。勇者コヨリ。神様のクソゲーで千回以上死んだ幼女勇者」
「はい」
「それで......天野こより。たぶん、家に帰りたい子」
床の白札が一瞬だけ震えた。アドミニスが何か言いかける。コヨリは手で制した。
「今のは、神様の補足いらない」
「分かった」
踏むべき札は一枚ではなかった。ベルが二枚の名義を糸で結ぶ。ログルが死亡ログの登録名と召喚時の欠落名を重ねる。ネムが生きている方に受付印を押す。
コヨリは二つの名前の間へ足を置いた。だが、神様仕様は性格が悪い。札の下から三枚目が滑り出る。
【死亡対象:勇者コヨリ】
「またお前かああああ!」
驚いて足がずれ、二枚の札を同時に踏んだ。体が軽くなる。腕が勇者側へ、胸の奥が天野こより側へ引かれる。
次の一手で、コヨリは読み違えた。
名前の間――勇者コヨリと天野こよりの最後で、コヨリは判断を一拍だけ遅らせた。油断とは少し違う。進むための正解に見える一手が、別の角度から死因へ変わる。帰還門の白い光が足首をさらい、さっきまで読めていた盤面を裏返した。
【死亡ログ】
【総死亡回数:1002回 → 1004回】
【|千回死亡条件カウンター《せんかいしぼうじょうけんカウンター》:1000/1000 停止】
【神様側送信:遮断】
【拠点側保存:実行】
【死因:名前の間――勇者コヨリと天野こよりの攻略中、帰還門仕様の罠を踏んだ】
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
拠点に戻ると、停止カウンターは相変わらず黒いままだった。名前の間――勇者コヨリと天野こよりで死んでも、千回条件の針は動かない。けれど総死亡回数だけは律儀に増え、コヨリの機嫌を一段だけ削った。
「増えた」
「はい」
「神様側には?」
「送信されていません。座標事故として拠点側に保存されています」
「じゃあ神様の点数にはならない。でも、わたしの痛い記録にはなる。うれしくない種類の勝利!」
アドミニスは何かを言おうとして、今度は少し待った。その待ち方だけは、前よりましだった。コヨリは濡れた髪を払うように頭を振り、床へ新しいメモを書き足す。
ベルは二枚の名札を見比べ、眉間にしわを寄せた。
「勇者様。これは名前の問題に見えて、所有権の問題です」
「名前にも所有権あるの?」
「あります。呼ぶ側が勝手に貼った役割名と、本人が持っていた名前は別物です」
「神様、わたしの名前に勝手にラベル貼ったの?」
「召喚時の登録としては、そうなります」とアドミニスが言った。
コヨリは振り返り、両手を腰に当てた。
「人を冷蔵庫の作り置きみたいにラベル管理しないで」
「管理しないと、世界間転送で識別できなくなる」
「識別できないからって『勇者』って大ざっぱなラベル貼るな! せめて名前を聞いて!」
「聞く前に、召喚が始まっていた」
「それ、拉致の手順としても雑!」
アドミニスは言葉を探した。探して、すぐ見つからなかった。コヨリは少しだけ胸がざわつく。怒鳴りたい気持ちは強いのに、床の【天野こより】の文字を見ると、別の怖さが混ざる。自分の名前を、ずいぶん久しぶりに真正面から見た気がした。
ネムが受付印を持ち上げる。
「生きている人の名前は、生きている人が持ちます」
「ネム、それ、すごく当たり前だけど、今めちゃくちゃ効く」
「当たり前を守らないと、死んだことにされます」
「急にネム節!」
ゼルドの影が床を押さえた。
「役割だけを帰す扉など、勇者を消費する穴にすぎぬ」
「ゼルドさん、魔王なのにいいこと言う」
「魔王だから分かる。役割の名で呼ばれ続ける不快さはな」
「魔王さんも、名前を雑に使われてたもんね」
「余は魔王だが、魔王役の札ではない」
その言葉で、コヨリの足は少しだけ定まった。勇者コヨリも、天野こよりも、どちらかを捨てるものではない。重ねて持つ。そのための一手を探す。
そのメモは、攻略情報であり、怒りの置き場所でもあった。
【今回の攻略メモ】
【名前保持 Lv.1】
【神様の案内は使う。ただし、信用とは別】
【帰るための因子は、捨てるのではなくつなぎ直す】
分離しかけた瞬間、コヨリの視界は二つに割れた。
片方では、木の短剣を持った勇者コヨリが立っている。もう片方では、制服のような影をまとった天野こよりが、玄関らしき場所で振り返っていた。どちらも自分だ。どちらかを選べと言われたら、たぶん泣く。泣く前に怒るかもしれない。
「両方!」
「勇者様、声を保ってください」
「両方わたし! 勇者だけ帰ってもダメだし、天野こよりだけ帰っても、ここで死んだわたしが消える!」
「その認識で合っています」
ログルの声が二つの視界の真ん中で聞こえた。ネムの受付印が白い札を押さえ、ベルの契約糸が名前を結び、ゼルドの影が分離の隙間へ踏み込む。
「勇者も本名も、どちらも持て」
「ゼルドさん、命令形が似合いすぎる」
「魔王だからな」
「こういう時だけ魔王が頼れる!」
コヨリは歯を食いしばって、二つの名前を胸の中で重ねた。
帰還門の奥で、次の区画が静かに開いた。
区画の端に、今回の失敗を写す小さな石板があった。コヨリはそこへ、乱暴な字で「名前の間――勇者コヨリと天野こより」と書きつける。きれいな攻略名ではない。むしろ、怒りと焦りと、少しだけ残った笑いをそのまま押し込んだような字だ。
「名前の練習って、あとで思い出したら恥ずかしいやつでは?」
「恥ずかしさより、本人確認が優先です」
「ログル、情緒を受付窓口に置き忘れてない?」
「帰還処理では、情緒も後で照合します」
「後で!? 今も見て!」
「現在は名前の保持を優先します」
「正論が冷たい!」
アドミニスはそのやり取りを、今度は遮らずに待った。待てるなら最初から待ってほしかった、という文句は喉元まで来たが、コヨリは飲み込まない。ちゃんと言う。
「神様。今の待ち方は、少しだけまし。でも、最初からそうして」
「......うん。覚える」
「神様が今さら覚える側に回ってるの、変な感じ」
「君に攻略されたからね」
コヨリは返す言葉を探し、結局、鼻で笑った。
【登場人物紹介】
コヨリ:名前の間――勇者コヨリと天野こよりで帰還門攻略に振り回される。ログル:盤面と記録を照合。アドミニス:案内しつつ言い訳を重ねる。ベル・ネム・ゼルド:それぞれ契約、死の扱い、役割の被害から神様仕様を刺す。
【今回の勇者ステータス】
総死亡回数:1002回 → 1004回
|千回死亡条件カウンター《せんかいしぼうじょうけんカウンター》:1000/1000 停止/名前の間――勇者コヨリと天野こより後も不動
神様側死亡ログ送信:遮断維持/拠点保存ログ確認番号03
クラス:帰還者候補/死因学者系統
基本スキル:【|基本ローグライクスキル《きほんローグライクスキル》:一手一動】
【獲得済み主要スキル】
神様仕様突破:【一フレームの神様 Lv.3】【死亡対象上書き Lv.1】【千回死亡条件破壊 Lv.1】
ログ・所有権:【死亡ログ返還 Lv.1】【ログ差し戻し Lv.3】【死亡ログ所有権確認 Lv.2】
帰還門攻略:【千回後死亡ログ確認 Lv.1】【神様案内警戒 Lv.1】【名前保持 Lv.1】
【今回の新規獲得・更新】
新規獲得:【名前保持 Lv.1】
内部更新:帰還門ダンジョン攻略ログを拠点側へ保存。
【ローグライクあるあるネタ】
名前登録や装備名メモのミスを帰還名義に変換しました。未識別アイテムへ仮名をつける時、あとで自分のメモに騙されることがあります。今回は【勇者コヨリ】と【天野こより】を取り違えると、本人ではなく役割だけが帰りかける名前識別事故にしています。
死亡回数は増えますが神様ポイントには入りません。続きが気になる方は、ブックマーク登録・評価・コメント・レビューで支えていただけると嬉しいです!




