全探索を捨てる日
強くなるために歩く。
生き残るために、歩かないことも覚える。
反省会テーブルの上に、地図が五枚並んだ。
一枚目は、部屋を全部塗りつぶした地図。二枚目は、階段だけを赤丸で囲んだ地図。三枚目は、モンスターハウスを大きなバツで避けた地図。四枚目は、食料がない時に右半分を丸ごと捨てた地図。五枚目は、まだ白紙に近い。
コヨリは五枚目を見て、うなる。
「これ、冒険してないみたい」
「冒険ではなく攻略です」
「勇者なのに、部屋を見ないの?」
「勇者様は、見たせいで何度も死んでいます」
「実績が反論してくる!」
次の挑戦では、コヨリは低層の動きを変えた。敵を全部倒さない。宝箱を全部開けない。店の値段だけ見て、買わないものは買わない。未識別草も、体力がある時にだけ試す。強化値が伸びなくても、階段が見えたら降りる。
これが、想像以上につらかった。
宝箱は呼吸していない。中身が良いかもしれない。敵は倒せる。経験値になる。床には巻物が落ちている。拾えば役に立つかもしれない。
その「かもしれない」を、一つずつ捨てる。
コヨリは唇を尖らせながら、階段を降りた。30F、80F、150F。Lvは低い。HPも低い。だが、満腹度と杖の回数が残る。保存壺には空きがある。ログルの宝石も、前より穏やかな光をしている。
「前より弱いんだけど」
「はい」
「でも――前より荷物がきれい」
「はい」
「これ、強いの?」
「強さの種類が変わっています」
「かっこいい言い方だけど、わたしは宝箱が開けたい」
「それは欲です」
「欲も勇者の一部!」
「死亡ログの一部でもあります」
301Fで、階段の隣に大きな宝箱が出た。まるで、ここまで我慢したご褒美のように。
コヨリは足を止める。
「ログル――あれ、呼吸してる?」
「していません」
「罠の匂いは?」
「薄いです」
「じゃあ」
「ただし、階段の真横です」
その一言で、コヨリの胃がきゅっと縮んだ。階段の真横。ローグライクの悪意が最も濃い場所。開けてから降りるか。降りてから後悔するか。
コヨリは宝箱に背を向けた。
背を向けた瞬間、宝箱が小声で言った。
「中身、白紙巻物ですよ」
「しゃべったああああああああああ!」
振り返った。振り返るだけなら行動ではない。だが、体が半歩動いた。世界がそれを行動と判定する。宝箱の舌が伸び、足首をつかむ。
【死亡ログ】
【死因:階段前宝箱に白紙巻物と言われて振り返った】
【評価:宝箱の営業トークを信じない】
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
拠点で、コヨリは宝箱に向かって説教する練習をした。相手は空箱である。
「白紙巻物って言うの禁止! そういうのは広告審査に引っかかるべき!」
「広告審査がある世界なら、かなりの神様仕様が落ちます」
「全部落ちて!」
それでも、収穫はあった。301Fまで、前よりずっと消耗が少なかった。死因は宝箱営業だが、道中の方針は間違っていない。
ログルが地図の五枚目に線を引いた。白紙に近かった地図は、必要な部屋だけを結ぶ細い道になった。
「全部見なくても、進めるんだね」
「はい」
「見ないの、すごく気持ち悪い」
「慣れます」
「死ぬのは慣れないのに?」
「見ない勇気は、覚えられます」
コヨリは壁に書いた。
【未探索は負けじゃない。命の節約】
【死亡回数:965回 → 968回】
【新規獲得:未探索許容 Lv.1】
未探索を残す練習は、思ったより心に悪かった。白い地図に空白が残っているだけで、コヨリの頭の中に宝箱が並ぶ。もしかしたら復活草。もしかしたら白紙巻物。もしかしたら罠消しの巻物。想像の中のアイテムは、全部都合よく輝いている。
「ログル――空白の中身って、実際は何だったと思う?」
「確認していないので不明です」
「そこを、優しく」
「爆裂草だったかもしれません」
「優しさの方向がひねくれてる!」
それでも、コヨリは空白を塗りに行かなかった。行かなかった事実を、ログルは成功ログとして保存した。死ななかった行動は、死亡ログより地味だ。音も鳴らない。神様は拍手しない。でも、1000Fへ向かうには、その地味な成功が必要だった。
ネムは、空白の地図を見てぼそりと言った。
「死んでない空白、いいと思う」
その一言で、コヨリは少しだけ救われた。空白は取りこぼしではない。そこへ行かなかったから、ここに戻ってこられた。そう考えると、白いままの部屋が少しだけ頼もしく見えた。
【登場人物紹介】
コヨリ:低層全探索を捨てる練習を始めた。宝箱を見ないことに成功しかけたが、白紙巻物という営業文句に振り返って死亡。
ログル:階段前の宝箱がどれだけ危険かを、呼吸や罠の有無ではなく位置で判断した。かなりローグライクらしい相棒ムーブ。
階段前宝箱:罠っぽくない顔で、最後に広告トークをしてくる最悪の誘惑。白紙巻物という単語だけでコヨリを振り向かせた。
空箱:拠点で説教されるだけの練習台。宝箱ミミック被害者の会があれば議長にされそう。
【今回の勇者ステータス】
死亡回数:965回 → 968回
代表到達階層:301F
攻略傾向:低層全探索から階段優先へ移行中
クラス:帰還者候補/死因学者系統
基本スキル:【|基本ローグライクスキル《きほんローグライクスキル》:一手一動】
【獲得済み主要スキル】
効率化系:【稼ぎ切り上げ判断 Lv.1】【即時使用品配置 Lv.1】【モンハウ欲張り抑制 Lv.1】【装備はじき後退判断 Lv.1】
継続基礎:【足元確認 Lv.5】【未識別警戒 Lv.5】【逃走判断 Lv.3】【死因学習 Lv.3】
【今回の新規獲得・更新】
新規獲得:【未探索許容 Lv.1】
内部登録:【階段前広告警戒】
【ローグライクあるあるネタ】
階段前の宝箱やアイテムは、「降りれば助かったのに、最後に一つだけ拾って死ぬ」事故を誘います。全探索は安心材料になりますが、長階層では時間・満腹度・事故率が増えるため、見ない選択も重要です。今回は未探索を残す気持ち悪さと、階段前の誘惑を組み合わせました。
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