930F、Lv86でも死ぬ幼女勇者
千回死亡条件の奥から、神様の1000Fダンジョンが開く。
何度も挑み、何度も戻され、930Fでコヨリはまた死ぬ。
千回死亡条件の奥から、神様の1000Fダンジョンが開く。
何度も挑み、何度も戻され、930Fでコヨリはまた死ぬ。
死亡対象名石板の前で、コヨリは羽ペンを握ったまま固まっていた。
石板には、まだ白い文字が残っている。
【千回死亡条件:未確定】
【死亡対象:勇者コヨリ】
【上書き候補:千回死亡条件】
【確定タイミング:第1000死亡判定直前】
それは、ただの表示ではなかった。近づくほど床の下から階段の匂いがする。石と紙と、神様の管理画面を煮詰めたような、あの嫌な匂いだ。コヨリは羽ペンの先で【死亡対象】の文字をつつき、すぐに手を引っ込めた。つついただけで、指先に小さな白い数字がまとわりつく。
「ログル――これ、書き換える場所じゃなくて、入口になってない?」
「なっています。かなり悪趣味な入口です」
「石板なのに階段。契約書なのにダンジョン。神様、物の役割を混ぜすぎ」
「勇者様を死亡対象に固定したまま、1000回目の判定まで運ぶ構造です。たぶん、ここを通らない限り、対象名の確定欄に触れません」
反省会テーブルにいたベルが、無言で眼鏡を押し上げた。ネムは受付票の束を抱えたまま、いつもの眠そうな顔を少しだけしかめる。ゼルドは腕を組み、白い階段が床下から一段ずつ生える様子を見下ろしていた。
階段の一段目に、主神の字が浮かぶ。
【|神様の究極1000フロアダンジョン《かみさまのきゅうきょくせんフロアダンジョン》】
【踏破条件:1000F到達】
【到達時処理:第1000死亡判定】
【初期死亡対象:勇者コヨリ】
「待って――名前がもう嫌。究極って付ければ許されると思うなよ」
「床の奥から、過去死亡ログの反応があります」
「過去死亡ログって、わたしの死因図鑑のやつ?」
「はい。1Fから950F付近まで、勇者様が今まで死んで覚えたものを、神様側がフロアとして再配置しています」
「わたしの死に方でダンジョン作るなああああああああああああ!」
叫び終える前に、コヨリは口を押さえた。大声は行動判定になることがある。こんな時までターン制は律儀だ。腹立たしいほど律儀だ。
アドミニスの白い窓は出なかった。代わりに、階段の手すりへ小さな案内札がぶら下がる。
【千回目を止めたい方はこちら】
【なお、到達できなかった場合は通常どおり処理されます】
ベルが案内札を読み、書類ごと握りつぶしかけた。魔王ゼルドが低い声で「通常どおり、という言葉を今すぐ禁句にしたい」と言う。ネムは受付票の端へ【通常どおり禁止】と書いた。ログルだけが、階段の暗がりをじっと見ている。
「勇者様。これは、ただの深層ダンジョンではありません。上へ進むほど強くなるのではなく、下へ進むほど死に覚えを試されます」
「じゃあ――強くなればいい?」
「それも試されます。たぶん、最初は強さに頼らされます」
「最初は、って言い方」
「嫌な予測です」
そして、嫌な予測は当たった。
1Fから挑んだ最初の数回、コヨリは低層をすべて回った。経験値を稼ぎ、装備を鍛え、保存壺を埋め、満腹度を削りながら強くなった。70Fで飢え、188Fで未識別巻物を読んで部屋を広げすぎ、412Fで経験値欲しさに深追いし、699Fで階段横の宝箱へ目を向けた。死ぬたびにLvは1へ戻り、HPは15へ縮み、装備は床の向こう側へ消えた。
けれど、死因ログだけは残った。どの階で稼ぎすぎたか。どの敵を無視すべきだったか。どの壺を信じすぎたか。どの階段前で欲張ったか。拠点の壁は、いつの間にか赤いメモで埋まっていた。
【低層で全部屋を見ない】
【深層で装備を拾いに戻らない】
【保存壺に命は入らない】
【階段前の草はだいたい神様の罠】
それでも――コヨリは挑んだ。
何度目かの挑戦で、彼女は930Fへ立っていた。
930Fの床は、白ではなく灰色だった。
神様の管理画面に似た光が、石畳の隙間から薄く漏れている。壁には見覚えのある死因が影絵のように流れ、天井近くでは黒い数字がゆっくり回っていた。ここまで来るのに、コヨリは何度も死んだ。いや、死んだという言い方では足りない。装備を鍛え、食料を抱え、壺を詰め、階段を降り、それでも深層の一手で全部を失ってきた。
【|神様の究極1000フロアダンジョン《かみさまのきゅうきょくせんフロアダンジョン》】
【現在階層:930F】
【勇者コヨリ:Lv86】
【HP:947/947】
【満腹度:63】
【装備:神銀の短剣+42/世界種の小盾+38/弾きよけの腕輪/腹減らずの腕輪】
数字だけ見れば――勝っている。
コヨリ自身も、ほんの少しそう思ってしまった。神銀の短剣は黒い敵を紙みたいに裂き、世界種の小盾は深層狙撃鬼の矢を一桁に抑えてくれる。保存壺には白紙巻物、身代わりの杖、場所替えの杖、復活草。いまのコヨリは、低層で木の枝を握って泣いていたころとは違う。
違う――はずだった。
「ログル――足元、白い文字がある」
「読めます。ただ、あまり信用したくありません」
「書いてあるのは?」
「【装備確認】――と表示されています」
「確認なら、いいやつでは?」
「勇者様。神様が書いた確認は、だいたい解除の前置きです」
ログルの額の宝石が、赤く薄く光った。コヨリは足を止める。危険地帯では、思考と短い相談はターンを進めない。床のマス目が淡く浮かび、深層狙撃鬼の矢が通る線、倍速ヤマネコの爪の届く範囲、白い床文字の縁が重なって見えた。
進むなら右。左は矢の射線。後ろには眠り粉コウモリ。足元の白い文字は、避けようと思えば避けられる。
でも、右の通路には階段が見えた。
階段の横に、未識別の小さな草が落ちている。深層まで来ると、物資ひとつの価値が重くなる。コヨリは知っている。深層の草は罠だ。知っているのに、目が一拍だけ吸われた。
「勇者様、足を戻してください」
「分かってる。見てない。草なんて見てない。あれは床の模様」
「床の模様に名前が出ています」
「名前を出す床が悪い! 床なら床らしく、黙って沈んでろおおおおおおおおおおおおおお!」
叫びたい声を噛み殺した時、右足が半歩だけ沈んだ。
かちり、と音がした。
装備確認の文字が裏返る。
【装備確認】
【装備解除】
「うそでしょ――いや、うそって言って。今だけ神様のこと信じるから、うそって言って!」
神銀の短剣が床へ落ちた。世界種の小盾が腕から外れ、弾きよけの腕輪と腹減らずの腕輪が同時に転がる。深層の空気が、一瞬で冷たくなった。さっきまで一桁だった矢の威力が、本来の形に戻る。
「拾わないでください。拾う一手で詰みます」
「でも盾! 盾ないと矢が!」
「だからこそ、拾いに行くと死にます」
「世界種の小盾、ここまで一緒だったんだよ!?」
「盾を拾うより、勇者様が残るほうが優先です」
ログルの声は震えていた。冷静な言葉なのに、震えているから余計に効いた。
コヨリは階段を見る。二マス先。場所替えの杖は保存壺の中。壺を開けるには一手。盾を拾うにも一手。矢は次のターンで飛ぶ。倍速ヤマネコは一歩で隣接する。選べる行動は、ひとつだけ――。
コヨリは、盾に手を伸ばした。
伸ばしてしまった。
世界が――動く。深層狙撃鬼の矢が白い線になり、盾のない胸元へまっすぐ入った。倍速ヤマネコの爪が遅れて届き、床の未識別草が小さく笑ったように揺れる。
【死亡ログ】
【死因:装備外しの罠で世界種の小盾を落とし、拾う一手で深層に詰められた】
【評価:強い装備ほど、外れた瞬間が怖い】
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
拠点へ戻った時、コヨリの手はまだ盾を探していた。白い床の上には何もない。神銀の短剣も、世界種の小盾も、腕輪も、930Fの灰色の床に残ったままだ。
「Lv86でした」
「言わないで――今その数字を聞いたら、心のHPが先にゼロになる!」
「HP947でした」
「もっと言わないで――HP947から心だけLv1に戻るから!」
「装備補正込みでは、過去最高の防御値でした」
「追い打ちが正確すぎる! ログルの冷静さ、たまに矢より刺さるんだけど!?」
叫んだあと、コヨリは反省会テーブルに額をつけた。泣きたい。悔しい。笑える死因にしたい。でも、今回は笑いだけで流すと、また同じ罠を見る気がした。
「ログル」
「はい」
「わたし、強かったよね」
「はい」
「それでも、死んだね」
「......はい」
その沈黙で、930Fの失敗がただの事故ではなくなった。
強くなれば安全――。HPが多ければ大丈夫。装備が育てば、深層でも耐えられる。そういう考え方は、ローグライクの顔をした神様仕様には通じない。強いほど、外れた時の落差が大きい。拾い直したくなる。拾い直す一手が、死因になる。
コヨリは壁に大きく書いた。
【装備は命。でも、命より先に拾わない】
書き終えると、ログルが小さくうなずいた。ネムは受付票の端に【高HPでも死亡】と書き足し、ベルは床文字の写しに赤線を引く。
千回カウンターは、静かに進む。
【死亡回数:950回 → 953回】
【新規獲得:装備外し深層警戒 Lv.1】
【登場人物紹介】
コヨリ:Lv86、HP947、強装備という過去最高の状態で930Fへ到達したが、装備外しの罠から崩れて死亡。強さではなく一手の判断が命を決めることを、かなり痛い形で思い出した。
ログル:装備確認の文字を信用せず、盾を拾う一手が危険だと止めた。今回は正しい警告を出したのに、コヨリの執着が一拍だけ勝ってしまった。
ネム:高HPでも死ぬ受付票を淡々と処理。数字が大きくても死亡処理は軽くならないという、地味に残酷な事務担当。
ベル:床文字の【確認】と【解除】の差を契約文として保存。神様仕様の言葉遊びをかなり嫌がっている。
深層狙撃鬼:盾ありなら怖くないが、盾が外れた瞬間に本性を出す遠距離敵。強装備依存を切り崩す深層らしい嫌な相手。
【今回の勇者ステータス】
死亡回数:950回 → 953回
到達階層:930F
最高到達時:Lv86/HP947/947
クラス:帰還者候補/死因学者系統
基本スキル:【|基本ローグライクスキル《きほんローグライクスキル》:一手一動】
【獲得済み主要スキル】
継続主要:【一フレームの神様 Lv.2】【死亡対象ずらし Lv.1】【ログ差し戻し Lv.2】【死亡ログ所有権確認 Lv.2】【死亡条件識別 Lv.1】
攻略基礎:【死因学習 Lv.3】【足元確認 Lv.5】【未識別警戒 Lv.5】【罠感知 Lv.4】【総合盤面確認 Lv.2】
【今回の新規獲得・更新】
新規獲得:【装備外し深層警戒 Lv.1】
内部更新:【強装備依存警戒】が死因図鑑室へ登録
【ローグライクあるあるネタ】
装備外しの罠は、装備中の武器・盾・腕輪を外すため、呪い装備を外せる利点がある一方、深層では防御計算が一気に崩れる危険もあります。ケンゴウ系の装備はじきも、武器や盾を強制的に飛ばす嫌な事故として有名です。今回は「高レベル・高HP・強装備でも、装備が外れた瞬間に深層の矢で死ぬ」という形へ変換しました。
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