九百五十回目の手前
九百五十回目の手前。
千回目へ届くための準備は整い、まだ足りない一瞬だけが残った。
反省会テーブルと千回カウンターを前にして、コヨリはまず深呼吸した。叫ぶと一手に数えられる可能性がある。泣いても、床が気を遣ってくれるとは限らない。理不尽への怒りを、いったん小さな拳の中に押し込める。
反省会テーブルには、黒い札、白い紙片、壺の破片、石板のかけらが並ぶ。全部が死因で、全部が次の一手の材料だった。
千回カウンターは、950で止まっていなかった。ただ、勝手に増える勢いは弱くなっている。黒い数字の端が震え、増えたいのに増えきれないように見えた。コヨリはそれを見て、初めて少しだけ笑った。笑ったあと、すぐ足元を見た。喜び札の教訓である。
「千回目は、わたしを終わらせる数字じゃない」
「第1000死亡判定直前に、対象名を確定させる必要があります」
「直前ってことは、一瞬ある」
「はい。まだLv.2では足りません」
「じゃあ、足りるところまで行く。怖いけど、行く」
反省会テーブルには、この数十回で得た札が並んでいた。死亡条件、所有権、ログ差し戻し、死亡対象、予約拒否。並べるだけなら攻略メモになる。だからコヨリは、一枚ずつ誰の手が関わったかも書き込んだ。ネムの判子、ベルの羽ペン、ログルの宝石、ゼルドの胃痛。変な項目も混じるが、それも大事な記録だ。
アドミニスの窓は、呼ばなくても開いた。今回は拍手も軽口もない。白い光の向こうで、彼は少し疲れた顔をしている。コヨリは怒鳴る準備をしていたが、その前に自分の壁を見る。【帰る】【生きて帰る】【代わりに誰かを死なせない】。書いた言葉が、声の順番を決めてくれた。
「きみは、本当にやる気なんだね」
「うん」
「千回目は、まだ怖い?」
「怖いよ。怖いに決まってるじゃん」
「それでも?」
「それでも、わたしを終わらせる数字にはしない」
アドミニスは、いつものように笑えなかった。コヨリも、勝ち誇る気にはなれなかった。
ログルの宝石に、静かな表示が浮かぶ。死亡対象はまだ勇者コヨリ。上書き候補は千回死亡条件。確定タイミングは、第1000死亡判定直前。コヨリはその最後の文字を何度も見た。直前。つまり、まだ一瞬ある。
「一フレーム、あるんだよね」
「はい。ただし、Lv.2では足りません」
「分かってる。まだ足りない。でも、足りない場所まで来た」
「はい」
「じゃあ、そこまで死に覚える」
壁の黒い数字が、950で一度だけ強く脈打った。次の章、次の死、次の一手を急かすような震え。コヨリはそれに近づかず、反省会テーブルの端を両手で押さえた。焦らない。焦った時ほど、階段前の宝箱を見る。
今回は死ななかった。だから死亡ログは出ない。けれど、死ななかった回にも記録はいる。ネムが珍しく自分から白い紙を出し、上に【未死亡】と書いた。コヨリはその文字を見て、笑った。未死亡。ものすごく大事な、変な言葉だった。
【死亡ログ】
【死因:未死亡】
【評価:直前に一手ある】
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
白い椅子へ座ったコヨリは、足をぶらぶらさせた。死んで戻ったわけではないのに、いつもの椅子が少し違って見える。ここはゲームオーバー後の待機場所ではなく、次に死なないための作戦室になっていた。
「ログル、Lv.3はまだ?」
「まだです」
「じらすね」
「条件が足りません」
「条件って、第1000死亡判定に触ること?」
「はい」
「やだなあ」
「はい」
「でも、やる」
「はい。ぼくもいます」
反省会テーブルに、全員の札が集まった。ネムは受付不可の判子を置き、ベルは所有権の書類を重ね、ゼルドは魔王札を裏返し、ミネルは欠けた仕様書を閉じる。アドミニスの窓だけが、少し離れたところで黙っている。
【章末整理:死亡対象ずらし確定準備】
【千回カウンター監視台】の横に、【死亡対象名石板】の欠片が置かれた。まだ武器ではない。盾でもない。だが、第1000死亡判定の直前に必要な道具が、ようやく形を持ち始めている。
九百五十という数字は、丸いのに息苦しい。あと五十。多いようで、ここまで来たコヨリには近すぎる数字だ。けれど、近いからこそ逃げない。壁の文字は、前より少しだけ力強く見えた。
反省会は、いつもならもう少し騒がしい。リュシアが飲み物を出し、ゼルドが胃薬を欲しがり、ベルが書類を積み、ネムが定時を気にする。けれど今日は、みんなが少し静かだった。九百五十という数字が、場の真ん中に座っている。
「怖い?」
ログルが聞いた。
「怖い」
コヨリはすぐに答えた。
「でも、怖くないって言うより、怖いって言ってから行くほうがいい気がする」
「はい。そのほうが、ぼくも一緒に考えられます」
「じゃあ、一緒に怖がって」
「はい。一緒に怖がります」
それは勇ましい決意ではなかった。けれど、コヨリにはそれで十分だった。怖くても、一手は選べる。
全員がいる反省会テーブルは、白い拠点の中で小さな作戦室みたいだった。コヨリだけが死ぬ話では、もうない。ログルが送信を止め、ネムが死亡予定を拒み、ベルが所有権を取り返し、ゼルドが役割から本人を守り、ミネルが欠けた仕様を読んだ。だから、九百五十回目の手前に立つコヨリは、一人ではない。
「わたし、ひとりで千回目を見るんじゃないんだね」
「はい」
「でも、一手を出すのはわたし?」
「はい」
「そこは代わってくれない」
「代われません。でも、隣で見ています」
それで十分だった。最後の一手を押す指はコヨリのものだ。でも、その指をここまで運んだのは、拠点に残った全部の記録だった。
夜、コヨリは一人で壁の前に立った。もちろん、完全な一人ではない。ログルは足元で丸くなっているし、ネムの受付不可印も、ベルの書類も、ゼルドの署名も近くにある。それでも、壁へ字を書く手は自分のものだ。コヨリは【死ぬのは、わたしじゃない】の横に、小さく【でも怖い】と書いた。怖さまで持っていくために。
最後にコヨリは、壁へ大きく書いた。【死ぬのは、わたしじゃない】。その字は子どもの字で、少し曲がっていて、神様の管理画面みたいに綺麗ではなかった。けれどログルは、その字を見て「成功ログに近いです」と言った。コヨリは少しだけ笑い、次の数字を見上げた。
【登場人物紹介】
コヨリ:九百五十回目前で、千回目は自分を終わらせる数字ではないと宣言し、壁の【帰る】の下に【死ぬのは、わたしじゃない】と書き足した。怖さを抱えたまま次へ進む決意の回。
ログル:カウンターの速度低下と、1000回目直前にしか確定できない上書き候補を表示した。Lv.3にはまだ届かないと伝える役でもある。
ネム:死亡予定票を拒否できるようになり、死んでいないものは受付しないという立場を固めた。
ベル:死亡ログ所有権と対象名の整理を支え、次の決戦に必要な法務の土台を作った。
ゼルド:魔王条件札の被害者代表として、勇者側の戦いが魔王側の救済にもつながることを示した。
アドミニス:軽口を減らし、コヨリが本気で仕様を殺そうとしていることを認めた。止めきれない焦りが見える。
【今回の勇者ステータス】
死亡回数:947回 → 950回
クラス:帰還者候補/死因学者系統
基本スキル:【基本ローグライクスキル:一手一動】
【獲得済み主要スキル】
(第208話時点)
【死因学習 Lv.3】【足元確認 Lv.5】【未識別警戒 Lv.5】【罠感知 Lv.4】
【逃走判断 Lv.3】【帰還門感知 Lv.3】【ログ管理 Lv.2】【総合盤面確認 Lv.2】
【一フレームの神様 Lv.2】【神様操作前兆 Lv.1】【滅亡前兆視認 Lv.1】【世界の死因学習 Lv.1】
【世界種保存 Lv.1】【墓標ログ読解 Lv.2】【残影識別 Lv.1】【死亡条件識別 Lv.1】
【仕様札識別 Lv.1】【死亡ログ所有権確認 Lv.2】【死亡回数価格確認 Lv.1】【ログ差し戻し Lv.2】
【死亡予定拒否 Lv.1】【役割死亡条件分離 Lv.1】【欠落仕様読解 Lv.1】【死亡ログ先行感知 Lv.1】
【死亡回数圧縮耐性 Lv.1】【千回予約拒否 Lv.1】【死亡対象ずらし Lv.1】
【今回の新規獲得・更新】
章末整理:【死亡条件識別 Lv.1】【死亡ログ所有権確認 Lv.2】【ログ差し戻し Lv.2】【死亡対象ずらし Lv.1】を登録
【ローグライクあるあるネタ】
章末整理回ですが、ゲーム的には「次のボス戦前に倉庫・識別メモ・罠情報を整える準備フロア」です。ローグライクはレベルや装備だけでなく、何を識別済みにしたか、どの敵の挙動を知っているか、どの壺を安全に試せるかが生存率を変えます。今回は死亡条件札、ログ差し戻し台、死亡対象名石板を拠点側の攻略メモへ落とし込み、次の1000回目へ持ち込む情報資産にしています。
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