死亡回数圧縮の壺
未識別の黒い壺。
整理整頓という優しい言葉ほど、墓場では疑った方がいい。
反省会テーブルの上に、見覚えのないものが置かれていた。死亡回数圧縮の壺。名前だけなら攻略道具に見えなくもないが、コヨリはもう、便利そうなものほど先に疑う勇者になっている。
黒い壺には【死亡回数を整理できます】と浮かんでいる。ログルの耳がわずかに揺れ、コヨリはその反応を見逃さなかった。
黒い壺は、死因図鑑室の入口にぽつんと置かれていた。誰かが忘れたような顔をしているが、そんなものほど絶対に忘れ物ではない。コヨリは壺を見た瞬間、三歩下がった。ログルはその判断を褒める前に、さらに一歩下がらせた。
「押さない。絶対押さない。名前だけ見ても押さない」
「その三回目の確認が不安です」
「通路、出口、盾、受付票を用意します。それでも安全とは言えません」
「魔王を盾にする日が来るとはな」
「魔王さんの使い道が豪華すぎる」
壺には【死亡回数を整理できます】と書かれている。整理という言葉は、散らかった拠点には甘い。ログルの耳も少しだけ動いた。だが、未識別の壺は押す場所と距離を間違えるとだいたい事故る。中から魔物、煙、謎の手、あるいは今回みたいな神様仕様が出る。
試すなら通路。出口を背にして、壺の口をこちらへ向けない。コヨリは過去の壺事故を思い出しながら配置を決めた。ネムは受付を半開きにし、ベルは所有者欄を確認する。ここまで安全確認しても、壺が安全になるわけではない。ただ、死に方を少し選べるようになるだけだ。
「押さない」
「押さないでください」
「押さないって言った」
「言ったあと押す勇者様を何度か見ています」
「信用がない!」
「実績です」
コヨリは両手を背中で組んだ。押さないための姿勢としては、かなり本気だった。
問題は、ログルも整理という言葉に弱いことだった。死因ログは増えすぎている。棚も札も反省会テーブルも、だいぶ混み合っている。整理できるなら助かる。そう思った瞬間、壺の文字が少しだけ甘く光った。欲ではなく善意を誘うタイプの罠だ。
ベルが棒の先で壺のボタンを押した。コヨリ本人は触っていない。そこだけは守った。
壺の中から出たのは煙ではなく、圧縮された死亡回数の塊だった。一回の死が十回分に見え、十回の死が一つに潰れる。死因図鑑室の札が一斉に震え、どの死がどの学習につながったのか曖昧になっていく。
コヨリは黒狼の爪筋を思い出そうとして、かわりに壺割り小僧の笑い声を思い出した。記憶の棚が混ざる。死に覚えが壊れる。怖さに気づいた瞬間、圧縮塊が破裂した。
【死亡ログ】
【死因:死亡回数圧縮の壺を押した】
【評価:整理整頓にも罠があります】
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
白い椅子に戻ったコヨリは、最初に黒狼のことを思い出した。爪の向き、地面の匂い、ログルがいなかった頃の怖さ。思い出せる。混ざっていない。それを確認してから、やっと壺への怒りが湧いた。
「ログル、整理って怖いね」
「はい。削る整理と、見つけやすくする整理は違います」
「神様側は削るほう?」
「今回の壺は、かなり削るほうです」
「じゃあ壺に大きく書こう。片づけ下手!」
反省会テーブルには、圧縮で歪んだ札を広げた。ネムが死亡回数を一つずつ数え直し、ログルが対応する死因へ線を引く。コヨリは途中で飽きかけたが、飽きたら負けだと思って最後まで付き合った。
【死亡回数圧縮耐性 Lv.1】
【死亡回数圧縮耐性 Lv.1】は、死因図鑑室の奥ではなく、整理棚の入口に置かれた。便利そうな整理箱を見つけた時、まず疑うための札だ。
圧縮の壺は割れても、破片の内側で小さな数字がうごめいていた。ログルは一つずつ拾い、死因図鑑室へ戻す。コヨリも手伝おうとしたが、三つ目で眠くなった。死因整理は、肉体労働ではなく精神労働だった。
壺を押す前の安全確認は、過剰なくらい丁寧だった。通路、出口、盾、受付票、ベルの文書、ログルの宝石、ネムのハンコ。ここまでしても死ぬのが、この世界の嫌なところだ。
「ログル。整理って、いいことだよね」
「はい」
「でも、死因をぎゅっとまとめたら、何が痛かったか分からなくなる」
「それは整理ではなく圧縮です」
「圧縮と整理の違い、大事」
「とても」
コヨリは壺を見た。死因学習は、たくさん死んだから強いのではない。一つずつ覚えているから強い。黒狼と爆ぜ岩を同じ『死亡』にまとめたら、次はどちらにも対応できない。
圧縮球の中では、死因同士がくっつきかけていた。黒狼の爪とミミックの歯が同じ黒い粒になり、罠床と爆ぜ岩が区別できなくなる。コヨリはそれを見て、ぞっとした。笑える死因も、二度と踏まないための大事な目印だった。
「ログル。わたし、死因を忘れたらどうなる?」
「同じ死に方をします」
「それは嫌」
「ぼくも嫌です」
ログルは宝石を開くように光らせ、細かいログを受け止めた。小さな体に、八百回を超える死因の粒が降る。コヨリは壺より先にログルを見てしまう。それが隙になると分かっていても、見ずにはいられなかった。
壺の破片を片づける時、コヨリは何度も手を止めた。小さな数字が、破片の内側でまだもがいているように見える。死んだ回数をただ数字として積むのではなく、一つずつの死因として取り戻す。面倒だ。とても面倒だ。でも、面倒だからこそ、神様側はまとめて処理したがるのだろう。なら、こちらは面倒なまま守る。
その日の終わり、コヨリは壺に【整理と圧縮は違う】と貼った。ログルが珍しく大きくうなずく。拠点が散らかるのは嫌だが、死に覚えまできれいに畳まれるよりは、少しくらい札がはみ出しているほうがいい。
【登場人物紹介】
コヨリ:未識別の黒い壺を前に、押さないと言いながら「整理できます」の文字に心を揺らされた。安全確認を重ねても事故るのが壺回の怖さ。
ログル:死因ログ整理という誘惑に反応しつつ、圧縮される記録を宝石へ退避した。整理好きが罠に刺さる、ログルには珍しい弱点回。
ベル:通路で試す、受付を待機させるなど、できる限りの安全策を提案した。完璧に見える準備でも壺は裏切る。
ネム:死亡受付を開けて待機し、事故前提の安全確認を担当。準備がいいほど嫌な予感がする。
死亡回数圧縮の壺:整理整頓の顔をした危険物。ログを圧縮し、死に覚えそのものを曖昧にする。
【今回の勇者ステータス】
死亡回数:914回 → 922回
クラス:帰還者候補/死因学者系統
基本スキル:【基本ローグライクスキル:一手一動】
【獲得済み主要スキル】
(第203話時点)
【死因学習 Lv.3】【足元確認 Lv.5】【未識別警戒 Lv.5】【罠感知 Lv.4】
【逃走判断 Lv.3】【帰還門感知 Lv.3】【ログ管理 Lv.2】【総合盤面確認 Lv.2】
【一フレームの神様 Lv.2】【神様操作前兆 Lv.1】【滅亡前兆視認 Lv.1】【世界の死因学習 Lv.1】
【世界種保存 Lv.1】【墓標ログ読解 Lv.2】【残影識別 Lv.1】【死亡条件識別 Lv.1】
【仕様札識別 Lv.1】【死亡ログ所有権確認 Lv.2】【死亡回数価格確認 Lv.1】【ログ差し戻し Lv.1】
【死亡予定拒否 Lv.1】【役割死亡条件分離 Lv.1】【欠落仕様読解 Lv.1】【死亡ログ先行感知 Lv.1】
【死亡回数圧縮耐性 Lv.1】
【今回の新規獲得・更新】
新規獲得:【死亡回数圧縮耐性 Lv.1】
【ローグライクあるあるネタ】
完全に未識別壺の事故です。壺は便利な保存・識別・合成の可能性がある一方、押した瞬間に敵が出たり、中身が変質したりします。今回の【死亡回数圧縮の壺】は、道具ではなく死因ログを圧縮するため、整理したつもりで死に覚えそのものが潰れかける。ゲーム的には、アイテム欄を整理するつもりで大事な装備を合成壺や変化壺に入れてしまった精神的ダメージに近いです。
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