ネムの未処理死亡票
死亡受付の奥には、死んでいない票まで積まれていた。
ネムが、死神として一番嫌いな処理に赤いハンコを押す。
死因図鑑室の奥から、紙をこするような音がした。未処理死亡票の棚が現れたのは、誰かが呼んだからではない。むしろ呼ばれたくなかったものほど、神様の雑な処理は勝手に顔を出す。
未処理棚には【死亡予定】【死亡相当】【死亡してほしい】と書かれた票が混ざっている。ネムは眠そうな顔のまま、その最後の票だけを強く握りつぶした。
ネムの受付奥は、いつもより静かだった。棚には未処理の票が詰まり、紙の重みで板が少し反っている。コヨリは入ってすぐ、靴音を小さくした。ここでは大声のツッコミすら、誰かの死を乱暴に扱うみたいでためらわれた。
「死亡予定は、死んだことじゃない」
「うん。予定表に書かれただけで死ぬなら、宿題の予定で全員倒れるよ」
「たとえが幼いですが、意味は正確です」
「受付不可。死んでないものは、受けない」
「ネム、今日かなりかっこいい。眠そうなのに」
票には、死んだ事実ではなく、死んだことにしたい気配が混じっていた。【死亡予定】【死亡相当】【死亡してほしい】。最後の札を見た瞬間、ネムの眠そうな目がほんの少しだけ開く。無気力な死神の顔から、事務の線を越えられた怒りが見えた。
コヨリは票束に触れなかった。紙の敵は、触った瞬間に増えることがある。巻物も札も契約書も、紙だから弱いとは限らない。ネムは赤い判子を持ち、ログルは票の影を読む。ベルがいない分、受付の判断はネムに寄っていた。
「ネム、これ受付したら?」
「だめ」
「いつものだるい『だめ』じゃなくて、本気のだめだ」
「死んでないものは、ぼくの窓口に来ないでほしい」
「死神が言うと説得力あるね」
「死神だから言う」
ネムは【死亡予定】の票に赤い判子を押した。判面には【受付不可】と彫られている。派手な魔法ではない。けれど、その音は拠点の床を小さく震わせた。死を扱う者が、死の偽物を拒む音だった。
一枚目は止まった。二枚目も止まる。三枚目に判子を押した瞬間、棚の奥から未処理票が雪崩れた。
紙は刃にならず、もっと嫌なものになった。視界をふさぎ、口に入り、足元のマスを隠す。攻撃力よりも確認を奪うタイプの敵だ。コヨリは小石を投げようとして、手元の小石袋まで紙に巻かれていることに気づく。
前が見えないまま一歩下がる。そこが赤いマスだった。紙に埋もれて死ぬなんて地味すぎる、と抗議したかったが、口にも死亡予定票が貼りついて声にならなかった。
【死亡ログ】
【死因:死亡予定票で前が見えなくなった】
【評価:死ぬ予定は未定です】
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
白い椅子に戻ったコヨリは、まず口の中を確認した。紙の味はしない。ほっとした途端、ネムが黙ってお茶を置いた。いつもの事務的な動作なのに、その湯気だけは少し優しかった。
「ネム、怒ってた?」
「怒ってない」
「嘘だ。判子の音、すごかった」
「......死んでから来てほしい」
「その言い方、普通なら怖いけど、今回はすごく分かる」
「順番、大事」
反省会テーブルには、【受付不可】が押された票だけを残した。押されなかった票は、ログルが宝石の光で灰にする。コヨリは灰皿に【願望で死亡にするな】と書いた。
【死亡予定拒否 Lv.1】
【死亡予定拒否 Lv.1】は、ネムの受付カウンターに置かれた。コヨリのスキルでありながら、ネムの判子がなければ意味を持たない札だ。死神が味方になるということは、死に対して少しだけ正式に抗議できるということだった。
ネムの赤いハンコは、端が少し欠けていた。コヨリが心配すると、ネムは『経費』とだけ答える。ベルが即座に請求書の宛名を主神アドミニスにしたので、コヨリはこの拠点の事務力に少しだけ希望を持った。
未処理棚の奥にある票は、どれも似た顔をしている。死亡予定、死亡相当、死亡予約。言葉を少しずつずらして、死んだことに近づける。コヨリはそのずるさにぞっとした。
「ネム。これ、死神の仕事を神様が勝手に使ってる?」
「使ってる。しかも雑」
「死神が雑って言うと、かなり雑」
「うん。死は雑に扱うと、あとで全部ぐちゃぐちゃになる」
ネムは赤いハンコを握り直した。眠そうな子どもみたいな姿なのに、その時だけ、彼女は確かに死を扱う神だった。
「死ぬのは、怖いよ」
コヨリは小さく言う。
「でも、死んでないのに死んだことにされるのは、もっと気持ち悪い」
「分かる。だから、押さない。受けない。戻す」
ぽん、と赤い印が鳴った。
ネムの棚には、地味な怖さがあった。派手な敵はいない。爆発もしない。けれど、紙が一枚増えるたびに、コヨリの未来が勝手に薄くなる。死亡予定という言葉は、予定表みたいで軽い。だからこそ危ない。
「予定は変えられるよね」
「変えられる。だから予定」
「じゃあ、死亡予定も変えられる」
「うん。受付不可」
ネムはそう言って、また判子を押す。ぽん、という音が、コヨリには攻撃音より頼もしく聞こえた。死神の仕事は死を増やすことではなく、死を勝手に増やそうとするものを拒むことでもある。コヨリはそのことを、紙吹雪で前が見えなくなりながら覚えた。
赤い【受付不可】の印は、思ったよりきれいだった。コヨリはネムに頼んで、白紙の端にも一つ押してもらう。ネムは『お守りじゃない』と言ったが、押してくれた。お守りではなくても、見ると安心する。死神の拒否印が安心材料になる日が来るとは、異世界に来たばかりのコヨリには想像できなかった。
その日、コヨリは死亡回数の横に【予定は未定】と書いた。軽い言葉のはずなのに、手は少し震えた。神様が未来の死まで先取りするなら、こちらは未来の生存を予定に入れてやる。
【登場人物紹介】
コヨリ:未処理死亡票の山から、自分の死が予定や願望として勝手に増やされていることを知る。「死亡してほしい」はさすがに願望じゃん、と叫ぶ怒りが正しい。
ネム:死亡予定票に【受付不可】の赤いハンコを押し、死んでいないものを死として扱う神様仕様を拒否した。今回の主役であり、死神としての矜持が見える。
ログル:紙束の動きと目つぶし状態を読み、処理待ちの票が敵化する危険を伝えた。事務用品が襲ってくる世界でも冷静。
未処理死亡票:紙なのに増え、貼りつき、視界を奪う敵。巻物系事故の親戚みたいな厄介者。
【今回の勇者ステータス】
死亡回数:882回 → 888回
クラス:帰還者候補/死因学者系統
基本スキル:【基本ローグライクスキル:一手一動】
【獲得済み主要スキル】
(第198話時点)
【死因学習 Lv.3】【足元確認 Lv.5】【未識別警戒 Lv.5】【罠感知 Lv.4】
【逃走判断 Lv.3】【帰還門感知 Lv.3】【ログ管理 Lv.2】【総合盤面確認 Lv.2】
【一フレームの神様 Lv.2】【神様操作前兆 Lv.1】【滅亡前兆視認 Lv.1】【世界の死因学習 Lv.1】
【世界種保存 Lv.1】【墓標ログ読解 Lv.2】【残影識別 Lv.1】【死亡条件識別 Lv.1】
【仕様札識別 Lv.1】【死亡ログ所有権確認 Lv.1】【死亡回数価格確認 Lv.1】【ログ差し戻し Lv.1】
【死亡予定拒否 Lv.1】
【今回の新規獲得・更新】
新規獲得:【死亡予定拒否 Lv.1】
【ローグライクあるあるネタ】
巻物・紙束・目つぶし状態を合わせた事故です。ゲーム的には、部屋で巻物を読んだら効果範囲は広いけれど、悪い巻物なら自分の視界や行動も潰れます。今回は死亡予定票が敵なので、倒すより先に貼りつかれ、剥がすにも燃やすにも一手かかる。コヨリにとっては「状態異常を受けている間にも敵の処理が進む」タイプの、地味にいちばん嫌な盤面です。
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