本人確認ミミック
本人確認は大切です。
ただし、質問してくる箱がミミックなら話は別です。
反省会テーブルの上に、見覚えのないものが置かれていた。本人確認ミミック。名前だけなら攻略道具に見えなくもないが、コヨリはもう、便利そうなものほど先に疑う勇者になっている。
白い受付窓には営業スマイルの箱がいた。『あなたは勇者コヨリですか』という問いは一見ふつうだが、はいもいいえも死に近づく選択肢だった。
白い受付窓は、拠点のど真ん中に営業スマイルで立っていた。ログルは宝石を低く構え、ベルは契約書を三枚重ねる。コヨリは窓口の前に置かれた踏み台を見て、まずそれを遠ざけた。親切な高さ調整ほど怪しいものはない。
「本人確認です。あなたは勇者コヨリですか」
「その質問、答える前に利用規約を見せて」
「見せても罠です。はいと答えれば死亡条件へ登録、いいえと答えれば身元不明として削除対象です」
「選択肢が全部毒草。神様の会話UI、返品したい」
「短く主張してください。名前は否定せず、ログの所有権を渡さない形で」
本人確認は、答えれば済む手続きではなかった。「はい」と言えば勇者死亡ログへ直結し、「いいえ」と言えば身元不明者として消される。黙っていれば期限切れで噛む。三択に見えて、全部底に穴がある。コヨリは受付窓の笑顔を見ながら、これを作った神様の顔も同じくらい笑っていそうで、背中がぞわりとした。
ベルは長い文面を用意したが、読み上げるにはターンが重すぎる。ログルは要点を削り、ネムは「死亡受付ではない」と赤字で添える。コヨリは深呼吸した。早口で噛んだら契約事故、短すぎたら所有権事故。言葉の長さまでダンジョンの通路みたいに調整しなければならない。
「勇者様、全文を読むと三手かかります」
「契約文、長すぎ!」
「短くすると危険です」
「じゃあ、短くて危険じゃないやつ!」
「無茶を言っていますが、方向性は正しいです」
ベルは眉間を押さえたあと、紙の半分を破り捨てた。破った紙がまだ抗議しているように震えた。
コヨリは窓口の質問を聞き直さなかった。聞き直すだけで確認ターンを取られる気がしたからだ。代わりに、自分の胸元を軽く叩く。勇者コヨリであることは否定しない。けれど、その死を誰かの道具にされることは認めない。子どもの声で言うには重すぎる言葉だったが、だからこそ逃げたくなかった。
彼女は一歩も進まず、窓口へ向けて言った。「わたしの死は、わたしのもの」。それだけだった。長い契約書より短く、でも逃げ道のない言葉だった。
受付窓の笑顔が、一瞬だけ固まった。ログルの宝石に青い線が走り、ベルの契約紙に【所有権未譲渡】の文字が浮かぶ。ところが次の瞬間、窓口の端に小さな砂時計が現れた。確認期限、という最悪に事務的な敵だった。
砂が落ち切る前に窓口を閉じればよかった。だがコヨリは、固まった笑顔がミミックの口へ変わるところを見てしまう。本人確認窓口は、最後まで窓口のふりをしたまま爆発した。
【死亡ログ】
【死因:本人確認窓口の爆発に巻き込まれた】
【評価:回答は正解。窓口は不正解】
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
白い椅子へ戻ったコヨリは、まず自分の名前を小さく言った。声に出しても消えない。勇者コヨリという名前も、天野こよりという名前も、どちらもまだ胸の中にある。それを確認してから、やっと窓口爆発への文句が出てきた。
「ベルさん、わたし、さっきの言い方でよかった?」
「よかったです。少なくとも、死亡ログを無断で渡す返答にはなっていません」
「じゃあ爆発しなくてよくない?」
「相手が窓口型ミミックでしたので」
「行政とミミックを混ぜるなあああああ!」
反省会テーブルに、ベルは短縮版の返答を清書した。コヨリはその横に【窓口は噛む】と付け加える。ログルは少し迷ってから、否定せずに分類欄へ入れた。
【死亡ログ所有権確認 Lv.1】
【死亡ログ所有権確認 Lv.1】は、契約書棚と死因図鑑室のちょうど境目に置かれた。どちらか一方に寄せると、また誰かが「管理資産」と言い出しそうだったからだ。
本人確認窓口の歯は、紙なのに妙に硬かった。ネムはそれを一枚つまみ、『うちの受付にこんな歯はない』と真顔で言う。コヨリは『受付に歯があったら嫌だよ』と返したが、拠点にはすでに噛む受付が来た実績があるので、誰も笑いきれなかった。
箱は、こちらの焦りを待っているようだった。問いは単純だ。あなたは勇者コヨリですか。普通なら、はい、と答えれば済む。けれどこの世界では、普通の返事がそのまま首輪になる。
「ベルさん。名前を否定しないって、難しいね」
「名前はあなたのものです。神様が与えた役割に混ざっていますが、完全に同じではありません」
「勇者って呼ばれるの、最初は嫌だった。でも、ログルが呼ぶ勇者様は、嫌じゃない」
「でしたら、その部分は残しましょう」
ベルの声は、いつもの事務口調より柔らかかった。コヨリは箱をにらむ。奪われたくない。神様の勝手な登録名ではなく、出会いの中で少しずつ意味が変わった名前を、死亡条件の鍵にされたくない。
「ログル。わたし、名乗る」
「はい」
「でも、渡さない」
「はい。その言葉なら、ぼくも記録できます」
箱の笑顔が、ほんの少し歪んだ。
本人確認ミミックの怖いところは、牙よりも問いの形だった。名前を奪いに来ているのに、礼儀正しい窓口の顔をしている。これがただのミミックなら、コヨリは小石を投げて逃げただろう。けれど、質問はコヨリの中まで入ってくる。勇者コヨリとは誰か。神様が登録した役割か、ログルが呼ぶ名前か、壁に【帰る】と書いた子どもか。
「わたしが、わたしって言うだけで罠になるの、ずるい」
「ずるいです」
「ログル、今日よくずるいって言うね」
「遠慮する段階は過ぎました」
その言い方が頼もしくて、コヨリは少しだけ肩の力を抜いた。答えるなら、怖がっているまま答えればいい。名前は渡さない。けれど、名前から逃げない。
爆発した受付窓の跡には、曲がった小さな看板が残った。【本人確認】とまだ書いてある。コヨリはその下に、炭で【本人に聞くなら、先に説明】と書き足した。ログルが『長いです』と言い、ベルが『必要です』と言う。二対一で、長いまま採用された。
名前を答えるだけで罠になる世界でも、名前を捨てれば助かるわけではない。コヨリはその日、壁の【帰る】の横へ小さく【名前も持って帰る】と書いた。文字は少し震えていたが、消える気配はなかった。
【登場人物紹介】
コヨリ:本人確認ミミックの「はい」も「いいえ」も危険な質問に向き合い、自分の死を神様へ渡さない言葉を選ぼうとした。真面目な宣言をしようとして回答が長すぎるのが、いつものコヨリらしい失敗。
ログル:選択肢の危険を即座に読み、短い言葉で主張する必要を伝えた。長文契約を幼女に読ませる世界仕様へのツッコミ役にもなっている。
ベル:死亡ログの所有権という考え方を提示し、本人確認をただの質問ではなく契約罠として整理した。
本人確認ミミック:丁寧な受付顔で迫る選択肢型ミミック。礼儀正しいほど腹が立つタイプの敵。
【今回の勇者ステータス】
死亡回数:862回 → 868回
クラス:帰還者候補/死因学者系統
基本スキル:【基本ローグライクスキル:一手一動】
【獲得済み主要スキル】
(第195話時点)
【死因学習 Lv.3】【足元確認 Lv.5】【未識別警戒 Lv.5】【罠感知 Lv.4】
【逃走判断 Lv.3】【帰還門感知 Lv.3】【ログ管理 Lv.2】【総合盤面確認 Lv.2】
【一フレームの神様 Lv.2】【神様操作前兆 Lv.1】【滅亡前兆視認 Lv.1】【世界の死因学習 Lv.1】
【世界種保存 Lv.1】【墓標ログ読解 Lv.2】【残影識別 Lv.1】【死亡条件識別 Lv.1】
【仕様札識別 Lv.1】【死亡ログ所有権確認 Lv.1】
【今回の新規獲得・更新】
新規獲得:【死亡ログ所有権確認 Lv.1】
【ローグライクあるあるネタ】
これはミミック系の定番である「宝箱に見えるけれど、近づいたら質問してくる敵」を、本人確認フォームに置き換えた回です。選択肢の「はい」「いいえ」がどちらも罠になる構造は、未識別の巻物を読んだあとに対象選択を迫られ、正解を知らないまま一手を切らされる感覚に近いです。コヨリは戦闘ではなく文章で殴られていますが、ゲーム的には完全に選択肢ミミック戦です。
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