死亡条件札の床
床いっぱいに貼られた死亡条件札。
息をしても、抗議しても、勇者であってもアウトになるひどい床です。
死因図鑑室の奥から、紙をこするような音がした。死亡条件札の床が現れたのは、誰かが呼んだからではない。むしろ呼ばれたくなかったものほど、神様の雑な処理は勝手に顔を出す。
床札には【息をした】【喜んだ】【神様へ抗議した】などと書かれている。最後の札を見た瞬間、コヨリは抗議しかけ、ベルに口元を羽ペンでそっと止められた。
ベルは羽ペンを構えたまま、床札の縁をじっと見ていた。ログルは赤い札を避けるルートを示すが、赤くない札ほど性格が悪そうに見える。コヨリは片足を浮かせたまま、空気椅子みたいな姿勢で固まった。幼女勇者に要求される体幹ではない。
「勇者様、札は行動ではなく登録名に反応しています。あなたが何かをしたからではなく、勇者コヨリであること自体を条件にしています」
「わたしがわたしだと罠? 存在そのものを床罠にするの、神様の性格が悪すぎる」
「怒るのは正しいですが、抗議札が近いです」
「正しい怒りに罠を置くなあああ――いや、小声で怒る。小声で」
札床の問題は、罠の数ではなかった。書かれている言葉が、コヨリの行動だけでなく存在にまで食い込んでいることだ。【息をした】なら息を止めればいいかもしれない。【神様へ抗議した】なら小声で我慢できるかもしれない。けれど【勇者コヨリである】は逃げ場がない。ベルはその一点に気づき、羽ペンの先を止めた。
コヨリは靴の裏を確認した。前に罠で散々死んだせいで、足元確認だけは体に染みついている。だが今回は、床を見るほど腹が立つ文字が増える。白紙巻物に書くべきは「罠消し」ではない。罠の文面を、どの権限で誰が貼ったのかを暴く一文だった。
「ベルさん。これ、契約書っぽい顔してるけど、契約じゃないよね」
「同意欄がありません。説明もありません。相手に不利益しかありません。契約書の皮をかぶった床です」
「床が書類のふりするな!」
「勇者様、そこは笑ってはいけません。【喜んだ】札が反応します」
「笑うのも罠!? 顔面管理まで必要!?」
笑えない床ほど、笑いたくなる。コヨリは頬をふくらませ、必死で真顔を作った。ベルはその顔を見て『法廷では有利です』と言ったが、慰めになっているかは微妙だった。それでも、ふざけた札の前でふざけ返せない悔しさが、コヨリの指を白紙巻物へ向かわせた。
コヨリは白紙巻物へ【同意なし】と書き、札床の端へ滑らせた。声を出さない。足も動かさない。紙だけが一枚、薄いマス目の上を進む。
最初に反応したのは【神様へ抗議した】ではなく、【喜んだ】だった。どうやら「罠を一つ止められそう」と思った表情まで拾われたらしい。ベルの羽ペンが唸るように走り、ログルの宝石が警告色を出す。
コヨリは真顔で耐えようとした。だが、【笑っていないが内心ちょっと勝ったと思った】という最低の追加札が床下からせり上がる。そんな細かい心の動きまで罠にするな、と怒る間もなく、札が足首へ貼りついた。
【死亡ログ】
【死因:死亡条件札の床で喜んだ】
【評価:成功後の足元確認】
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
戻ってきたコヨリのほっぺには、真顔を作りすぎた疲れが残っていた。白い椅子の上で口角を揉みながら、彼女はベルの羽ペンが折れていないかを先に確認する。自分の死亡より、ベルの怒りのほうが少し怖かった。
「成果はあります。少なくとも、札が同意を偽装していることは確認できました」
「死んで確認するの、やっぱり嫌だよ」
「嫌だと言えることも証拠です。強制同意ではない」
「ベルさん、すごく真面目な話なのに、わたしの顔筋が死んでる」
「表情筋については別件で休ませましょう」
反省会テーブルでは、【息をした】【喜んだ】【勇者である】の灰が別々の小皿に分けられた。コヨリは小皿の横に『喜びまで税金にしない』と書いた。ベルは何も言わず、その紙に大きく丸をつけた。
【仕様札識別 Lv.1】
【仕様札識別 Lv.1】は、ベルの抗議文束の隣に置かれた。罠として読むだけでなく、誰がその仕様を書いたのかを追うための札だ。ログルは棚札に小さく【床型書類】と補足し、コヨリは「床に戻れ」とさらに書き足した。
札床の端で、ベルは【喜んだ】の灰を丁寧に採取した。喜びまで罠にされたことを、彼女はかなり根に持っているらしい。コヨリはその横で、【喜んでも足元】と書いた紙を靴の内側に貼ろうとして、ログルに『歩きにくいです』と止められた。
ベルは札床の端へしゃがみ、羽ペンの先で一枚ずつ文面をなぞった。触れれば起動するため、インクの影だけを拾う。コヨリはその横で、じっと息を詰めていた。息をする札が近い。呼吸まで罠にされると、人は急に自分の肺を意識してしまう。
「ベルさん。契約って、本当は守るためにあるんだよね」
「本来はそうです。相手を縛るだけでなく、双方の認識を揃え、約束の範囲を明確にするためのものです」
「じゃあ、この床は契約じゃない」
「はい。ただの押しつけです。書類の形をした暴力、と言ってもよいでしょう」
「ベルさんの怒り、言葉が強い」
「まだ抑えています」
その返事に、コヨリは少しだけ笑った。笑った瞬間、【喜んだ】の札が遠くでぴくりと動く。コヨリは表情を引き締めた。喜びを我慢する攻略なんて、本当に嫌なダンジョンだ。
札床の攻略は、罠を全部消すことではなく、踏んではいけない札と書き換えられる札を分けることから始まった。コヨリは以前なら、赤い札を全部敵と見なして逃げたかもしれない。だが、いまは違う。罠にも種類がある。発動済み、未発動、誘導用、神様の嫌がらせ、神様の嫌がらせに見せかけた本命。最後の二つは見た目が同じなので困る。
「ログル、嫌がらせと本命の見分け方は?」
「勇者様が怒るだけなら嫌がらせ、死ぬなら本命です」
「死んでから分かるやつ!」
「なので、死ぬ前に文面を読みます」
ベルは【幼女勇者である】の札を見て、しばらく無言だった。子どもであることまで条件に入れる神様側の雑さに、さすがの彼女も言葉を選んでいる。選びすぎて羽ペンが折れた。
札床の灰は、普通の灰より軽かった。指でつまむとすぐ散るのに、靴底へつくとなかなか取れない。コヨリはそれを見て、条件というものの嫌らしさを思った。見えないうちは足を取られ、見えたあとも跡が残る。だからこそ、ベルが瓶へ分類してくれるのはありがたい。怒りを保管できる形に変えるのも、拠点の強さだった。
記録の最後に、コヨリは【成功しても喜ぶ前に足元】と書いた。楽しいことまで疑うのは嫌だ。けれど、疑わなければ次も同じ札に貼られる。ベルはその字を見て、少しだけ柔らかい声で「喜ぶ権利は、あとで取り返しましょう」と言った。
【登場人物紹介】
コヨリ:床いっぱいの死亡条件札に挑み、抗議したい気持ちをこらえながら札の文面を読む。存在そのものを罠にされて「わたしがわたしだと罠?」と怒るのが今回のコメディの芯。
ログル:札が行動ではなく登録名に反応している可能性を解析し、罠確認を戦闘ではなく条件読解へ変えた。冷静な説明が、逆に札の理不尽さを際立たせる。
ベル:羽ペンでコヨリの口元を止め、抗議がそのまま行動判定になるのを防いだ。契約・登録名・条件文の視点から、ただの床罠を法務案件に変えている。
【今回の勇者ステータス】
死亡回数:856回 → 862回
クラス:帰還者候補/死因学者系統
基本スキル:【基本ローグライクスキル:一手一動】
【獲得済み主要スキル】
(第194話時点)
【死因学習 Lv.3】【足元確認 Lv.5】【未識別警戒 Lv.5】【罠感知 Lv.4】
【逃走判断 Lv.3】【帰還門感知 Lv.3】【ログ管理 Lv.2】【総合盤面確認 Lv.2】
【一フレームの神様 Lv.2】【神様操作前兆 Lv.1】【滅亡前兆視認 Lv.1】【世界の死因学習 Lv.1】
【世界種保存 Lv.1】【墓標ログ読解 Lv.2】【残影識別 Lv.1】【死亡条件識別 Lv.1】
【仕様札識別 Lv.1】
【今回の新規獲得・更新】
新規獲得:【仕様札識別 Lv.1】
【ローグライクあるあるネタ】
不思議のダンジョン系で言うと、罠が見えているのに「一歩だけなら大丈夫」と動いて、避けたつもりの隣マスで別罠を踏むやつです。ここでは床の札が罠であり、抗議の声や名乗りまで行動判定に含まれます。ゲーム的には「移動だけでなく、コマンド入力そのものがターンを進める部屋」。コヨリの世界では、ツッコミも雑に撃つと罠を踏むので、足元確認と口元確認が同時に必要になります。
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