黒い通路と墓標ログ
死因図鑑室の奥に、黒い通路が開いた。
墓標に刻まれていたのは、人の名前ではなく死因だった。
管理画面の扉が閉じたあと、死因図鑑室だけが夜の底みたいに暗くなっていた。
白い拠点の中で、そこだけ色が抜けていない。むしろ色が沈んでいる。壁際の棚には、コヨリの死因カードがぎゅうぎゅうに詰まり、その奥の壁へ、いつの間にか黒い線が走っていた。ひび割れではない。線は床まで下りると、勝手に口を開け、幅一マスぶんの通路になった。
「ログル。これ、扉?」
「扉に似ていますが、開閉権限がありません。通路です」
「開けた覚えがない通路は、だいたい罠なんだよ」
「だいたい、ではなく高確率で罠です」
「安心材料を探してる時に正確性で殴らないで」
ログルはコヨリの肩から床へ飛び降り、額の宝石を低く光らせた。青白いマス目が通路の上に浮く。拠点の中なのに、危険地帯へ入った時の盤面が出た。空気は乾いているのに、古い土と焦げた巻物の匂いが鼻の奥へ残る。
死神ネムは、入口の横に小さな受付札を置いた。札には【死亡受付外ログ】と書いてある。
「ネム、それ何」
「ぼくの通常業務じゃない死に方用」
「死ぬ前から新しい窓口を増やさないで」
「でもコヨリさん、窓口がないと迷うでしょ」
「迷子前提の親切!」
黒い通路の両脇には、小さな石板が並んでいた。墓標に見える。けれど、人の名前はない。【階段前で宝箱を見た】【保存壺に入れる前に死んだ】【呼吸料を請求された】【未識別を信じた】。ひどい。どれも心当たりがある。いや、ありすぎる。
コヨリは一番手前の墓標へ顔を近づけた。文字がぐにゃりと揺れ、黒い煙のようなものが立ち上がる。ログルが尻尾でコヨリの足首を叩いた。
「近づきすぎです。墓標は読まれたがっています」
「読書感想文じゃないんだから、押し売りしないでほしい」
「この手の記録は、まとめ読みが一番危険です」
「分かる。未識別の巻物を束で読む人は、もう冒険者じゃなくて爆心地」
通路の奥から、薄い声が重なって聞こえる。助けを呼ぶ声ではない。最後に言いそこねた言葉が、置き場所を探している音だった。コヨリは反射的に走り出しそうになり、膝に力を入れて止まった。
ここは、助けに行く場所ではない。
滅亡シード群の投影で見た、終わった世界の残骸がこの奥にある。あの時は、ただ画面の向こうだった。食べ物が消えた町も、魔王役だけが残された世界も、帰還門に空ごと吸われた場所も、白い光に片づけられていくのを見ているしかなかった。今は違う。墓標の文字が、コヨリの靴先から一マス先で待っている。
「ログル。これを読むと、誰かが戻る?」
「戻りません」
「じゃあ、読む意味ある?」
「消えたことを、拠点が覚えます」
「......そっか」
コヨリは腰の保存壺へ手を伸ばしかけ、すぐに引っ込めた。墓標を壺に入れるのは違う。これはアイテムではない。所有者が分からない記録を、勝手に持ち帰ったら、ただの横取りになる。
「じゃあ、最初はどうするの」
「勇者様の名前を先に固定してください。別の死因が混ざるのを防げます」
「名札?」
「近いです」
「墓場探索で名札から始まるの、幼稚園の遠足みたいで嫌」
コヨリは白紙巻物の切れ端に、ゆっくり書いた。
【勇者コヨリ。読む。奪わない】
それを胸元に貼る。行動判定が下り、世界が一手進んだ。右の墓標がざり、と半マス身を乗り出す。左からは【呼吸料】の札が伸びてきた。声を出せばまた一手になる。コヨリは口を閉じ、目だけでログルを見る。
ログルの宝石に、赤い線が一本、青い退路が二本、黒い危険文字が五つ浮かんだ。
「右奥の小さい墓標だけ読んでください。大きいものは誘導です」
「大きいほうが重要そうに見えるのに」
「階段前の宝箱も重要そうに見えました」
「やめて。過去が棒で殴ってくる」
コヨリは青いマスへ一歩進み、小さな墓標の前にしゃがんだ。刻まれているのは、たった一行。
【墓標:勇者ではない誰か/死因:記録されなかった】
名前も、顔も、シード番号もない。だからこそ、消えかけている。コヨリは胸の奥がきゅっと冷えるのを感じた。七百回も死んだ自分は、少なくとも死因だけは残った。嫌になるくらい残った。けれど、この墓標の誰かには、それすらない。
「ログル。わたし、これを全部読むのは無理」
「はい」
「でも、一個だけなら」
「一個だけなら、拠点側へ仮保存できます」
「じゃあ一個。欲張らない。宝箱も見ない」
「言質を取りました」
コヨリは白銀の帰還ピンを抜き、墓標の端へ刺した。帰還ではなく、仮保存。ピンの頭に、ベルから習った言葉を崩して結ぶ。
【本人不明。消去保留。役割登録禁止】
黒い文字が一瞬だけ白く光った。通路の奥で、誰かが息を吐いた気がした。
その直後、墓標の列がいっせいに揺れる。奥の大きな石板が割れ、七百回分のコヨリの死因が紙吹雪みたいに舞った。【黒狼】【ミミック】【爆ぜ岩】【階段前欲張り】【保存前事故】。まさかの自分の失敗総集編。見ないほうがいい。分かっているのに、文字の圧が強い。
「勇者様、帰還巻物を」
「分かってる。見ない。わたしは大人。見ない」
「勇者様は幼女です」
「今それ言う!?」
ツッコミが声に出た。
墓場が、待ってましたと言わんばかりに一手進む。紙吹雪が顔面に貼りつき、死因ログが頭の中へ流れ込んだ。階段前で宝箱を見た時の後悔、壺を開けた時の間抜けな音、未識別の草を飲んだ瞬間の爆発味。まとめ読みだ。最悪の読書会だ。
【死亡ログ】
【死因:墓標ログをまとめて読んだ】
【評価:未識別の巻物を束で読むタイプ】
白い椅子に戻った時、コヨリは両手で顔を覆っていた。恥ずかしさと死亡が同時に来ると、魂の座り心地まで悪い。
「ログル。わたし、また同じ系統で死んだ?」
「はい。ただし、成果があります」
ログルが反省会テーブルへ小さな黒縁カードを置いた。
【消えたシードの墓場:墓標ログ読解 仮登録】
カードの端には、さっき保存した一行だけが残っている。名前はまだない。声もない。それでも、ただの空欄ではなくなった。
「勝ちじゃないけど」
「負けだけでもありません」
「次は一個ずつ読む。まとめ読み禁止」
「墓場用の読書感想文ですね」
「やめて。宿題みたいにしないで」
コヨリはカードの横に、鉛筆で大きく書き足した。
【墓標は一個ずつ。光ってる大きいやつほど罠】
それを見たネムが、眠そうに頷く。
「いい標語」
「死亡受付に貼らないでね」
「もう貼った」
「仕事が早いところだけ神様より優秀!」
そのあと、コヨリは黒い通路の入口に小さな布を敷いた。立派な封印ではない。ただの「ここから先は靴をそろえる」みたいな目印だ。けれど、目印があるだけで、次に入る時の一手が少し変わる。
「これ、効くかな」
「精神的な安全確認には効きます」
「精神的でも大事。ダンジョンは心が先に死ぬ時あるから」
「勇者様の場合、好奇心が先に走る時もあります」
「それも心!」
ネムは受付札の横に、コヨリの字をまねて【まとめ読み禁止】と追加した。字は少し眠そうで、ちょっとだけ曲がっている。コヨリはそれを見て、変な笑いがこぼれた。怖い場所に、自分以外の字が増える。それだけで、通路の黒さがほんの少し薄く見えた。
【登場人物紹介】
コヨリ:墓場の文字をまとめて読んで死ぬ幼女勇者。成長はしているが、光る情報への好奇心はまだ敵。
ログル:読む順番を止める相棒。今回は神様側の端末ではなく、拠点へ残す記録係として動き始める。
ネム:通常の死亡受付では扱えないログへ、面倒そうに仮番号を振る死神。
【今回の勇者ステータス】
死亡回数:700回 → 708回
クラス:帰還者候補/死因学者系統
基本スキル:【基本ローグライクスキル:一手一動】
【獲得済み主要スキル】
【死因学習 Lv.3】【足元確認 Lv.5】【未識別警戒 Lv.5】【ミミック警戒 Lv.2】
【総合盤面確認 Lv.2】【帰還門感知 Lv.3】【ログ管理 Lv.2】【一フレームの神様 Lv.2】
【神様操作前兆 Lv.1】【滅亡前兆視認 Lv.1】【滅亡原因分類 Lv.2】【消えたシード保存 Lv.1】
【世界の死因学習 Lv.1】
【今回の新規獲得・更新】
新規獲得:【墓標ログ読解 Lv.1】
【ローグライクあるあるネタ】
未識別の巻物やログを安全確認せずまとめて読む事故を、墓標ログの一括読み込みに変換。
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