魔王がいないシード
魔王がいなければ平和、とは限らない。
敵役の札だけが残った世界では、誰かが無理やり魔王にされる。
ゼルド、かなり静かに怒ります。
村の広場に、処刑台のような木の台があった。
台の上に立っているのは、角も翼もない気弱そうな青年だ。首から下げられた札には、白い文字で【仮魔王】と書かれている。広場を囲む白聖兵たちは、青年の顔ではなく、札だけを見て槍を構えていた。
「......魔王、いないんじゃないの」
「そのはずです」
「じゃあ、あの札なに」
ゼルドは答えなかった。顔色が悪い。魔王なのに、魔王役の札を見て傷ついているのが分かる。
青年は震えながら言った。
「ぼく、何もしてません。昨日まで水車番でした。朝起きたら、札がついていて......みんなが、ぼくを見なくなりました」
青年の足元には、水車小屋で使う粉袋が落ちていた。袋の口は開いたままで、こぼれた粉が木の台の上に白く広がっている。風が吹くたびに粉は少しずつ舞い、青年の裸足にまとわりついた。処刑台みたいな場所に立たされているのに、その粉の匂いだけは、朝のパン屋に近かった。
広場の端では、村人たちが顔を伏せている。泣いている人もいた。けれど誰も青年の名前を呼ばない。白聖兵の槍先が動くたびに、村人たちは小さく肩を震わせ、まるで首から下がった札の方が青年本人よりも重いみたいに、目をそらした。
「水車番の人、名前は?」
コヨリが尋ねると、青年は一瞬だけほっとしたように口を開いた。
「リトです。ぼく、リトって......昨日までは、みんな、そう呼んでくれて」
その瞬間、白聖兵の一体が槍の石突で地面を叩いた。
【仮魔王の個体名は不要】
【敵役処理を優先】
「不要じゃない! 名前はいる! 名前を消して札だけ見るなああああああああああああ!」
コヨリの声に、ゼルドのマントがわずかに揺れた。彼は怒鳴らなかった。魔王らしい威圧も出さなかった。ただ、奥歯を噛む音が聞こえそうなくらい静かに、青年の首から下がった札を見ていた。
「勇者よ。余は何度も魔王として倒され、何度も最終試験の看板にされた。だが、余には余の名があり、城があり、部下があり、ベルのように文句を言いながら支えてくれる者がいる。札一枚で、昨日まで水車を回していた者を敵役へ変えるなど、これは戦いですらない。ただの配置処理だ」
「ゼルドさん......」
「魔王がいない世界とは、平和な世界ではないのだな。魔王という役割だけが残り、そこへ誰かを押し込む世界だ。余を倒せば終わる、という雑な物語を信じ続けた者たちの、成れの果てかもしれぬ」
ベルは何も茶化さず、契約書の端を指で押さえた。紙面には、役割登録、敵役補填、個体名省略という白い文字が、虫のように這っている。
「魔王様。登録手順に、本人確認、拒否権、役割説明、解除条件の全てが欠落しています。法務的には穴だらけですが、相手が法務を読まないタイプですので、いつもより物理護衛が必要です」
「ベルさんの法務が、読まれないと弱い問題、ほんとにつらい」
「はい。文明の敗北です」
コヨリは走り出そうとした。だが、ログルが耳元で低く告げる。
「勇者様。札へ直接触れると、敵対判定が移ります」
「じゃあ、どうしろっていうの。札が人よりえらそうにしてるの、めちゃくちゃ腹立つんだけど」
白い窓が開かない代わりに、空から神様側のログだけが降る。
【魔王不在を検出】
【敵役補填処理】
【仮魔王:登録】
「補填するな! トイレットペーパーじゃないんだよ、人間は!」
一回目、コヨリは小石を札へ投げた。石は正確に札の紐へ当たり、紐を切った。成功した、と思った瞬間、札がひらりと飛んでコヨリの首に貼りつく。
【仮魔王:勇者コヨリ】
「勇者と魔王の兼業、求人票に書いてない!」
【死亡ログ:477回目】
【死因:仮魔王札を外そうとして、自分が魔王役になった】
【評価:役割札は投げても危険】
二回目、ベルが契約書を広げた。札の登録手順に不備がある、と法務で殴る作戦だった。しかし、白聖兵は契約書を読まず、契約書を持っているベルを【魔王側関係者】として包囲した。
「相手が規約を読まない時の法務、弱い!」
「勇者様、かなり失礼ですが事実です」
【死亡ログ:481回目】
【死因:ベルの契約書を守ろうとして白聖兵の射線に入った】
【評価:法務にも護衛が必要です】
何度もやり直すうち、ゼルドが青年の前に立った。白聖兵たちは本物の魔王を見ても、動きが鈍い。彼らの視線はゼルドの顔ではなく、青年の札へ向いたままだった。
「見ていないのだな」
ゼルドは静かに言った。
「余がここにいても、役割札のほうを見る。魔王が消えれば平和になるという発想は、結局、人ではなく役割だけを見ているのだ」
コヨリは口を開きかけた。いつものように叫びたかった。でも、青年の震える手を見ると、声が少しだけ遅れた。
「......じゃあ、倒すんじゃなくて、札を無効にする」
「はい。魔王様の生存証明ログを重ねれば、仮登録を上書きできる可能性があります」
「ゼルドさん、印鑑ある?」
「魔王印ならある」
「魔王印が真面目に役立つ日が来た!」
ゼルドは懐から黒い印章を取り出した。普段なら魔王城の命令書や軍の補給許可に使うものだろう。小さな台の上に置かれたそれは、今だけ、剣よりも強い武器に見えた。
「勇者よ。印を押せば、余が魔王として生きている証明にはなる。だが、あの青年が魔王ではない証明は、それだけでは足りぬ」
「じゃあ、リトさんの名前もいる」
「はい。仮魔王を消すのではなく、水車番リトを上書き登録する必要があります」
「よし。札より名前の方を強くする。名前の方が強いって、めちゃくちゃ当たり前のことなのに、なんでこんなに難しいの!」
コヨリは地面へ膝をつき、粉で白くなった床へ【水車番リト】と大きく書いた。字は少し曲がったが、青年はそれを見て、初めて泣きそうな顔になった。
ベルが契約書を地面に置き、ゼルドが魔王印を押す。コヨリは白銀の帰還ピンを青年の足元ではなく、札の影へ打ち込んだ。札そのものに触れない。影だけを固定する。
【魔王ゼルド:生存】
【仮魔王登録:重複】
【敵役補填処理:保留】
「保留じゃなくて取り消して!」
「神様側画面は、取り消しを嫌がるようです」
「そこだけ職場っぽいな!」
青年の札は灰になった。だが、灰の中から白い矢が伸び、コヨリの胸へ刺さる。
【死亡ログ:490回目】
【死因:仮魔王登録を保留にした直後、残留敵役判定に刺された】
【評価:役割は消え際も粘ります】
拠点へ戻ると、ゼルドはしばらく黙っていた。コヨリも、魔王をいじる言葉を少し探して、やめた。
「ゼルドさん」
「何だ、勇者」
「生きててよかったねって言うと、変?」
「変だ。だが、今はそれでよい」
コヨリはうなずき、白紙ログ棚に灰の欠片を置いた。そこには【役割札】という小さな札が新しく下がった。
【登場人物紹介】
コヨリ:魔王不在シードで、役割札の理不尽さに怒った幼女勇者。魔王印の実用性を知った。
ログル:仮魔王登録と敵役補填処理を解析した相棒。札へ直接触れない方法を提案した。
ゼルド:魔王が消えた世界で、役割だけが残る怖さを語った共同攻略者。
ベル:法務で戦おうとしたが、相手が読まないタイプで苦戦した有能秘書。
【今回の勇者ステータス】
現在領域:【滅亡シード群】
領域状態:神域固定ダンジョン/破棄シード検証領域
死亡回数:490回
クラス:帰還者
一時役割:滅亡シード検証者
基本スキル:【基本ローグライクスキル:一手一動】
【獲得済み主要スキル】
【死因学習 Lv.3】【足元確認 Lv.5】【未識別警戒 Lv.5】【ミミック警戒 Lv.2】【総合盤面確認 Lv.2】【帰還門感知 Lv.3】【ログ管理 Lv.2】【一フレームの神様 Lv.2】
※表示は主要スキルのみです。下位・派生・細かな死因スキルは統合済み、または内部保持されています。
【今回の新規獲得・更新】
新規獲得:【役割札警戒 Lv.1】【仮魔王保護 Lv.1】【敵名より顔を見よう Lv.1】
【ローグライクあるあるネタ】
倒してはいけない敵、敵味方判定ミス、名前や表示に騙される事故を、魔王役押し付けシードとして扱いました。表示名だけで殴るとだいたい事故ります。
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