戻るボタンは、戻してくれない
管理画面第一層へ入場しました。
戻る、閉じる、キャンセル。
便利そうな言葉ほど、神様側では信用できません。
神様の管理画面は、白い廊下だった。壁も床も天井も、磨いた石のようにつるつるしているのに、足音だけがやけに軽く響く。魔王城の石廊下にあった湿った冷たさはなく、ここにはにおいも温度も足元のざらつきもない。だからこそ、わたしは怖かった。罠の匂いがしない罠ほど、ローグライクではだいたいひどい。
廊下の壁には、同じ形のボタンが等間隔で並んでいた。どれも丸く、押しやすそうで、白い文字で【戻る】と書いてある。
「ログル、あの戻るボタン、押したら入口に戻る?」
「保証できません」
「戻るって書いてあるのに?」
「神様側の戻るです。勇者様にとって戻りたい場所とは限りません」
「戻るの定義から話し合いたい!」
ゼルドさんが腕を組んだ。角の影が白い壁へ長く伸びる。魔王の影ですら、ここではなぜか輪郭が薄い。
「余の城にも脱出通路はあるが、少なくとも戻ると書いた扉は戻る場所へ続くぞ」
「魔王さんの株が、管理画面に入ってから上がり続けてる」
「勇者よ、それは喜ぶべきなのか」
「神様よりまともって意味では、かなり喜ぶべきです」
「基準が低い!」
試しに小石を投げると、【戻る】ボタンは小さくへこんだ。次の瞬間、廊下の景色がひっくり返り、わたしは階段横の宝箱の前に立っていた。
「え」
宝箱が呼吸した。見覚えがありすぎる呼吸だった。
【死亡ログ】
【累計死亡回数:283回】
【死因:戻るボタンで宝箱死へ戻された】
【評価:戻る先を確認しましょう】
白い拠点でお茶を出してくれたネムさんは、受付票に淡々と記入する。
「コヨリさん、今回は過去死因再生型です」
「戻るって、入口に戻るじゃなくて、死因に戻るなの!? そんな戻る、いらない!」
二回目は【閉じる】ボタンを見つけた。画面を閉じれば廊下が消えるかもしれない。そう思ったわたしは、念のため小石で確認したあと、指で押そうとした。するとボタンが足を生やして逃げた。
「逃げるな! 閉じられる側が逃げるな!」
「勇者様、追うとターンを消費します」
「分かってるけど、閉じるボタンが逃げるの腹立つ!」
追った。案の定、床が開いた。
【死亡ログ】
【累計死亡回数:286回】
【死因:閉じるボタンを追いかけて監査穴に落ちた】
【評価:腹立つボタンほど追わないでください】
その後も、キャンセルミミックに噛まれ、ヘルプを開いたら八百ページの説明書に押しつぶされ、履歴から消されかけた。ミネルさんが一度だけ白いしおりを差し込んでくれたが、そのしおりにも細かい注釈があり、読み始めるとまた満腹度が削れた。
「説明書は悪くありません。悪いのは、必要な情報を八百ページ目に置く設計です」
「ミネルさん、味方なのに耳が痛い!」
七度目の挑戦で、ログルが白紙ログ棚から持ち込んだ小さな札を取り出した。前に、ログルが神様の選択肢に作った【いいえ】だ。白い札なのに、文字だけは黒く、少しだけ手書きに見える。
「勇者様、この【いいえ】は、神様側の正式ボタンではありません。管理画面へ貼れば、拒否欄として認識される可能性があります」
「可能性ってことは、ミミックになる可能性もある?」
「あります」
「もう全部ミミックって言ってくれた方が安心する!」
ベルさんが契約書で【閉じる】ボタンの逃げ道を塞ぎ、ゼルドさんが影で監査穴の位置を隠した。わたしは【戻る】の横に、そっと【いいえ】を貼る。ボタンは震え、白い文字をにじませた。
【戻る】
【いいえ】
廊下の奥に、ようやく別の道が開いた。
「ログル、今の成功?」
「はい。ただし、管理画面がかなり嫌そうです」
「画面の機嫌とか知りたくない!」
わたしたちは進んだ。戻るボタンを押さずに前へ進むだけで、こんなに達成感があるのは、たぶん神様の画面が悪い。
【今回の勇者ステータス】
現在領域:【神様の管理画面・第一層】
領域状態:神域固定ダンジョン/戻るボタン罠地帯
死亡回数:296回
クラス:帰還者
一時役割:管理画面侵入者
基本スキル:【基本ローグライクスキル:一手一動】
【獲得済み主要スキル】
【死因学習 Lv.3】
【足元確認 Lv.5】
【未識別警戒 Lv.5】
【総合盤面確認 Lv.2】
【帰還門感知 Lv.3】
【ログ管理 Lv.2】
【監査対策 Lv.1】
【非討伐攻略 Lv.2】
【一フレームの神様 Lv.2】
※表示は主要スキルのみです。下位スキル、派生スキル、過去の細かい死因スキルは、統合済みまたは内部保持されています。
【今回の新規獲得・更新】
新規獲得:【戻るボタン不信 Lv.1】
新規獲得:【閉じるを追うな Lv.1】
新規獲得:【ヘルプ重量警戒 Lv.1】
【ローグライクあるあるネタ】
安全そうな操作を試した瞬間に過去の死因へ飛ばされる事故。帰還アイテムや階段と同じく、「どこへ戻るか」は確認が必要です。
【登場人物紹介】
コヨリ:戻るボタンに過去の宝箱死へ戻された。便利そうなUIを一段と信用しなくなった。
ログル:【いいえ】札を管理画面へ持ち込んだ相棒。拒否欄を作る準備を進めている。
ゼルド:魔王城の脱出通路の方がまともだと証明した魔王。
ベル:閉じるボタンの逃げ道を契約書で塞いだ法務担当。
ミネル:八百ページ説明書の問題点を真面目に指摘する知識神。
ネム:過去死因再生型の死亡受付票を作った。
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