ログル、報告書を白く塗る
表の出口でも、裏の出口でも、神様の目はついてくる。
ログルが初めて、報告書を白く塗った。
それは小さな反抗で、かなり大きな地雷だった。
白い拠点の反省会テーブルに、十枚近い報告書が並んでいた。
どの紙も、見た目だけはきれいだった。角はそろい、文字は読みやすく、神様側の書類らしく余白まで無駄に白い。けれど、書かれている内容はだいたいひどい。
【勇者コヨリ、裏九十九階にて死亡】
【主な死因:宝箱、階段、出口】
【補足:出口も呼吸していました】
わたしは椅子の上で膝を抱え、しばらく紙をにらんでいた。
「ログル。神様に送る報告書、恥ずかしいところだけ残ってない?」
「はい。恥ずかしい情報は、神様側の興味をそらす効果が高いと判断しました」
「わたしの尊厳を煙幕に使わないで! 宝箱、階段、出口に噛まれた勇者です、以上、みたいな報告されたら、神様会議で変なあだ名がつくでしょ!」
「すでに、階段前欲張り勇者という非公式タグが観測されています」
「消して! そこを白く塗って!」
ログルは前足で報告書の一部を押さえた。額の赤い宝石から細い光が伸び、文字の上をなぞる。すると、【本出口座標片:取得】【帰還意思:更新】【解析神獣ログル:帰還対象候補】という行が、雪をかぶったみたいに白く消えていった。
消えた、というより、見えなくなった。紙の奥にはまだそこにある。そういう気配だけが、妙に残る。
「ログル、それ、改ざんじゃない?」
「保護処理です」
「言い方を変えても、やってることはたぶん改ざんだよ」
「勇者様を守るための改ざんですので、倫理的には複雑です」
「複雑って便利な言葉だね!」
ネムさんは受付机から椅子を持ってきて、静かにお茶を置いた。黒いパーカーの袖が湯気をかすめる。
「死亡受付側としては、本人の同意なく死亡ログを世界種育成に使用するのは、事務的にかなり黒いです。改ざんの前に、そもそもの運用が雑です」
「ネムさん、もっと言って!」
「ただし、私の勤務評価に響くので小声で言います」
「死神さんの立場がつらい!」
酒場の方からは、リュシアさんが帳簿を抱えてやってきた。赤みのある髪をゆるく結び、片手に小さな酒瓶、もう片手に古い棚板を持っている。酒神なのに、今日は職人みたいな顔をしていた。
「ちび勇者ちゃん。見られて困る書類は、棚の裏にもう一枚棚を作るのよ」
「その知恵、酒場経営のどこから出てきたの!?」
「大人には、表に出さない伝票があるの」
「教育に悪いけど、今だけ頼もしい!」
さらに魔王ゼルドと秘書ベルまで現れた。ゼルドは黒いマントの裾を踏まないよう、妙に慎重に椅子へ座る。ベルはすでに契約書を三束持っていた。
「勇者よ、魔王軍にも監査はある。だが、監査を作る者もまた面倒を嫌う。つまり、抜け道はある」
「魔王さんが事務の抜け道を語るの、妙に説得力ある」
「余は魔王であって、書類処理の被害者でもある」
「魔王軍、思ったより会社っぽい!」
その瞬間、天井に白い窓が開いた。
にこにことした顔が、当然のようにこちらを見下ろしている。アドミニスだ。
「楽しそうだね。勇者ちゃんの死亡ログを囲んで、拠点のみんなで会議か。いいなあ、そういうの。拠点が育っている感じがする」
その声は軽い。けれど、最近はその軽さの底に、冷たい石の床みたいなものが見える。
「神様、覗くな! あと、わたしの死因を成長観察日記にするな!」
「死亡ログは水路みたいなものなんだよ。勇者ちゃんが死んで、覚えて、怒って、帰りたいと願う。その流れが拠点に注がれて、世界種を育てる。だからログルが水路を勝手に白く塗ると、僕としては困る」
「わたしを水やり装置にするなああああああああああ!」
ログルがわたしの前へ出た。
「主神アドミニス。本出口座標片と勇者様の帰還意思更新は、現時点で報告すれば妨害対象になります」
「妨害じゃないよ。管理だよ」
「勇者様に同意を取っていません」
「最初から全部説明したら、勇者ちゃんは来なかっただろう?」
「来ないよ! 千回死ぬ予定の検証に参加しますか、なんて言われて、はいって言う子供がいたら心配するよ!」
アドミニスは、少しだけ目を細めた。
「だから、言わなかった。説明不足は悪いことだけど、世界が滅びる可能性よりは軽い」
その一言で、テーブルの周りが静かになった。
ネムさんの指が湯のみのふちで止まり、ベルの契約書をめくる音も消える。ゼルドは眉を寄せ、リュシアさんは酒瓶をテーブルに置いた。
「神様。世界を救いたいなら、ちゃんと頼んで」
「頼んだら、きみは断る」
「断るよ。わたしの命だもん」
「だから、勇者ちゃんはいい勇者なんだ」
「その褒め方、本当に嫌い!」
アドミニスの窓から白いしずくが落ちた。修正液みたいなそれは、報告書の端に触れ、文字をじわじわ溶かしながらテーブルを這う。
「勇者様、離れてください。神様側の修正液です」
「修正液に神様側とかあるの!?」
逃げようとした時、白い液がわたしの名前に触れた。紙の上の【コヨリ】が薄くなり、次の瞬間、胸の奥がすうっと空っぽになる。
【死亡ログ】
【累計死亡回数:百六十一回】
【死因:修正液に名前を白く塗られた】
【評価:書類作業でも死にます】
♦ ♦ ♦ ♦ ♦
戻ってきたわたしは、泣きそうな顔で自分の名前を三回書いた。
「天野こより。コヨリ。勇者コヨリ。よし、戻った。ログル、名前が消えるの、宝箱より怖い」
「はい。存在識別の消去に近い処理でした」
「さらっと怖い説明を足さないで」
今度は【復元の巻物】っぽい未識別巻物を読んだ。結果は【削除の巻物】で、報告書だけでなく椅子の脚まで消えた。椅子が傾き、わたしは床へ落ちた先で、待ち構えていた監査椅子ミミックに座られた。
【死亡ログ】
【累計死亡回数:百六十二回】
【死因:復元だと思って削除を読んだ】
【評価:未識別巻物を事務作業で読むな】
【死亡ログ】
【累計死亡回数:百六十三回】
【死因:拠点の椅子を信用した】
【評価:初心を忘れない死亡】
ネムさんが淡々と判を押す。リュシアさんは椅子を遠くへ片づけ、ゼルドは「余も座る前に確認しよう」と真顔で言った。
そして白く塗られた報告書の下から、黒い扉のようなものが浮かび上がる。
【新領域解放】
【白紙ログの保管庫】
【未送信ログを回収してください】
「神様に送らなかったログを取りに行く入口を、神様側の罠で出してくるの怖すぎない?」
「罠の可能性は高いです」
天井から、アドミニスが笑った。
「罠だよ」
「せめて隠せええええええええええ!」
【今回の勇者ステータス】
現在領域:【白紙ログの保管庫】入口解放
領域状態:神域固定ダンジョン/裏九十九階派生領域
死亡回数:163回
クラス:帰還者
基本スキル:【基本ローグライクスキル:一手一動】
【獲得済み主要スキル】
【死因学習 Lv.3】
【足元確認 Lv.5】
【未識別警戒 Lv.5】
【ミミック警戒 Lv.2】
【総合盤面確認 Lv.2】
【帰還門感知 Lv.3】
【黒幕警戒 Lv.1】
【神様の都合では死なない Lv.1】
※表示は主要スキルのみです。下位スキル、派生スキル、過去の細かい死因スキルは、統合済みまたは内部保持されています。
【今回の新規獲得・更新】
新規獲得:【書類も罠 Lv.1】
新規獲得:【未識別巻物は事務でも敵 Lv.1】
新規獲得:【椅子確認 Lv.1】
新領域解放:【白紙ログの保管庫】
【登場人物紹介】
コヨリ:百六十回を超えても、まだ書類と椅子で死ぬ幼女勇者。事務作業に安全地帯はない。
ログル:報告書を白く塗った解析神獣。本人は保護処理と言い張るが、神様から見るとかなり改ざん。
アドミニス:笑顔で死亡ログを水路扱いする主神。黒幕感がだいぶ表に出てきた。
ネム:死亡受付の死神。事務的に神様へ刺すが、勤務評価は気にしている。
リュシア:酒神。見られたくない棚の知識が妙に実用的。
ゼルド&ベル:魔王と秘書。神様監査に対抗する事務の抜け道担当。
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