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■第30章:選択

 風が、止まる。


 音が、薄くなる。


 山。


 現実。


 そのはずなのに。


「……」


 静かすぎる。


「……」


 視界の端。


 赤い点。


 ——REC。


 消えていない。


 まだ、続いている。


「……」


 終わっていない。


 ここで。


 まだ、先がある。


「……」


 足元を見る。


 同じ場所。


 澪が立っていた場所。


 さっきまで、自分が立っていた場所。


「……」


 境界。


 見えない線。


 だが、わかる。


 そこにある。


「……」


 あと一歩。


 踏み出せば——


 触れる。


 もっと深く。


 もっと先へ。


「……」


 澪の、その先。


 事故の後。


 あの瞬間の続き。


 何を見たのか。


 どこまで知ったのか。


「……」


 全部。


 わかるかもしれない。


「……」


 手が、動く。


 自然に。


 境界へ。


「ここで進めば、同じになる」


「……」


 止まらない。


 ここまで来た。


 ここまで見た。


 なら——


「……」


 ノイズ。


 ぶつり、と。


「……?」


 視界が、歪む。


 強制的に、切り替わる。


「……」


 場所が、違う。


 山じゃない。


 街でもない。


「……」


 室内。


 薄暗い。


 静かな空間。


「……」


 澪がいる。


 ひとりで。


 座っている。


「……」


 動いていない。


 ただ——


 こちらを見ている。


「……」


 違う。


 見ているんじゃない。


「……」


 “待っている”。


「……」


 この記録は。


 誰かに見られることを——


 前提にしている。


「……」


 澪が、口を開く。


 迷いなく。


 まっすぐに。


「……もういいって」


「……」


 呼吸が、止まる。


「……」


「もう十分見たやろ」


 責める声じゃない。


 知っている声。


「……」


「それ、ほんま意味ないで」


 少しだけ、目を細める。


 あの癖のまま。


「……」


「やめときって言ったのに」


「……」


 胸の奥が、強く軋む。


「……」


 澪は、続ける。


「……なんば、行ってへんな」


 小さく笑う。


 あのときと同じ。


「……」


「約束、ちょっと無理かもしれんな」


「……」


 軽い言い方。


 なのに。


 重い。


 逃げ場がない。


「……」


 一瞬だけ。


 視線が揺れる。


 弱さ。


 迷い。


 ほんの、わずか。


「……」


 でも。


 すぐに消える。


「……」


「……でもな」


「……」


 一拍。


 静かな間。


「……」


「ここまで来たってことは」


「……」


「……あんた、止まらへんかったんやろな」


「……」


 断定。


 理解。


 諦め。


 全部、混ざっている。


「……」


「せやから——」


「……」


 息を、ひとつ。


「……」


「ここで止まって」


「……」


 それだけ。


 短く。


 確かに。


「……」


 映像が、揺れる。


 ノイズ。


 崩れる。


 ぶつり。


「……っ」


 現実に、戻る。


「……」


 山。


 風。


 音。


「……」


 手は、まだ伸びている。


 境界の、手前。


「……」


 あと少し。


 それで、越える。


「……」


 知れる。


 全部。


「……」


 喉が、鳴る。


「……」


 見たい。


「……」


 まだ。


 足りない。


「……」


 でも。


「……」


 あの声が、残っている。


「……」


 もういいって。


「……」


 もう十分見たやろ。


「……」


 目を、閉じる。


「……」


 思い出す。


 笑っていた顔。


 呆れた目。


 くだらない会話。


 なんばの約束。


「……」


 あの時間。


「……」


 全部。


 もう、見た。


「……」


 それでも足りないなら——


「……」


 それは。


 終わらない。


「……」


 壊れるまで。


 続く。


「……」


 あいつと同じように。


「……」


 ゆっくりと。


 息を吐く。


「……」


「ここで止める」


 手を——


 下ろす。


「……」


 境界から、離れる。


「……」


 その瞬間。


 赤い点が、揺れる。


 ——REC。


「……」


 点滅。


 ノイズ。


「……」


 空間が、歪む。


 格子が、崩れる。


 構造が、ほどけていく。


「……」


 記録が——


 閉じていく。


「……」


 静かに。


 確実に。


「……」


 ほんの一瞬。


 見えた。


 澪の背中。


 振り返らずに。


 歩いていく。


「……」


 それで、十分だった。


「……」


 赤い点が、消える。


 ——REC。


 完全に。


「……」


 風が戻る。


 音が戻る。


 山。


 現実。


「……」


 何もない。


 ただの場所。


「……」


 大輔は、立っていた。


 ひとりで。


「……」


 スマホを取り出す。


 画面は、黒い。


「……」


 何も残っていない。


 記録も。


 映像も。


「……」


 それでも。


 もう、触れなかった。


「……」


 空を見上げる。


「……」


 終わったのか。


 それとも——


「……」


 答えはない。


 ただ。


 記録だけが。


 静かに。


 消えていった。

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