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■第29章:最後の記録

 音が、多すぎた。


 クラクション。


 足音。


 信号の電子音。


 人のざわめき。


 思考が、追いつかない。


 なのに、すべてが遠かった。


 触れている。


 “点”に。


■映像


 信号が、青に変わる。


 人の流れが、動き出す。


 横断歩道。


 夕方。


 光が、少し傾いている。


 澪がいる。


 人混みの中。


 歩いている。


 そして。


 ふと、止まる。


「……」


 “いる”。


 目の前に。


 見えないだけで。


 空気が、歪んでいる。


 圧がある。


 確かに、そこに存在している。


 澪が、口を開く。


 短く。


 はっきりと。


「……ほんま」


「約束、守られへんかったな」


 視線が、少しだけ落ちる。


「……な……」


 言葉が、途切れる。


 その先を、飲み込む。


 言わなくても、わかること。


 ふたりの間にあった、ただの約束。


「……」


「行きたかったなあ」


 小さく、笑う。


 あまりにも、普通に。


 この雑踏の中で。


 だからこそ。


 異常だった。


 顔を上げる。


 “それ”を見る。


 逃げない目で。


 澪が、首を横に振る。


 拒絶。


「……」


 視線が、逸れない。


 “あれ”から。


 逃げれば、助かる。


 そのことを、理解している。


 ほんの少し戻ればいい。


 たった一歩で。


 それで、終わるはずだった。


 ——でも。


 終わらない。


 これを、放置すれば。


 “見る側”が壊れる。


 あのままなら。


 きっと。


 大輔が、ここに来る。


 そして。


 触れる。


 同じものを見る。


 同じように、壊れる。


 それだけは。


 嫌だった。


「……」


 息を、吐く。


 ほんの一瞬。


 迷いが、残る。


 生きる側の、感覚。


 体が、戻ろうとする。


 だが。


 視線が、戻らない。


 “あれ”を、見続けている。


 理解している。


 これは。


 逃げるかどうかの話じゃない。


 ここで。


 終わらせるかどうかだ。


 そして。


 一歩。


 横に、ずれる。


 ほんの、わずか。


 進行方向から、外れる。


 足先が、境界に触れる。


 見えない“面”を、越える感触。


 空気の密度が、変わる。


 閉じた空間に、入ったみたいに。


 足が、ずれる。


 その動きは。


 滑ったようにも見える。


 だが。


 違う。


 自分で、外している。


 その先が。


 車線だと、わかっていて。


「……っ」


 クラクション。


 強い光。


 右から、車。


 ブレーキ音。


 運転手、間に合わないと悟った顔。


 近い。


 近すぎる。


 距離が、合わない。


 さっきまで、こんな距離じゃなかった。


 だが。


 もう、遅い。


「——」


 避ける。


 間に合うはずだった。


 あと一歩で。


 戻れた。


 元の位置に。


 ——境界の外へ。


 それでも。


 戻らない。


 戻らないことを、選んでいる。


「これ以上進めたら、あかん」


 その瞬間。


 澪が、こちらを見る。


 今度は、はっきりと。


 目が合う。


「逸らしたら、別の誰かが見る」


「……」


 時間が、止まる。


 雑踏が、消える。


 音が、消える。


 彼女だけが、そこにいる。


 少しだけ、笑う。


 あのときと同じ。


 照れたような顔で。


「……もうええって」


 優しい声。


 強い声。


 止める声。


 すべてが、そこにある。


 次の瞬間。


 ——衝突。


 鈍い音。


 体が、浮く。


 時間が、歪む。


 それでも。


 現実だ。


 事故ではない。


 選択だ。


 澪が、自分で選んだ。


 あれに触れることを。


 終わらせるために。


 自分を、止めるために。


「……やめろ」


 声が、出る。


 届かない。


 わかっている。


 それでも。


「やめろや……!」


 何度見ても。


 変えられない。


 記録だから。


 過去だから。


「……っ」


 映像が、ぶれる。


 ノイズ。


 赤い点が、強く光る。


 ——REC。


 ぶつり。

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