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氷雨の黙示録  作者: 唯野眠子
第6章-バベルの塔
32/34

第6-3話 残骸

時刻: 5月中旬 午前6時45分

場所: 中央棟管制室

「また出ました」

リン・シャオフェイが言った。

ダッシュボードの一点に、オレンジ色の警告インジケーターが点滅している。

「センサー誤作動、第四区間、三回目です。今週に入って」

浩はその値を見た。

パターンがある。誤作動の発生時刻が、一定の間隔に集中している。午前3時12分、午前9時14分、午後3時11分。6時間ごとだ。数分の誤差はあるが、周期性は明確だった。

「自然な電磁ノイズではない」

「AIアトラスも同じ判定を出しています。確率99.7%で人工的な信号源です」

リンが画面を切り替えた。ノイズの周波数スペクトルが出た。明らかに人工的なパターンだった。特定の周波数帯域に集中している。ロボット制御信号の周波数と、わずかに重なっていた。

浩は画面を見ながら、その意味を考えた。

偶然ではない。制御信号の周波数を狙って干渉している。それも、完全には重ねていない。わずかにずらすことで、検出を難しくしている。

干渉を受けたロボットは、制御信号を正しく受信できない。受信できなければ、前回の指示を繰り返すか、停止する。どちらにしても、作業に遅れが出る。

「発信源の方向は特定できますか」

「おおよそですが」

リンが地球儀を表示した。中東地域に赤い円が描かれている。

「この範囲のどこかです。半径500キロメートル。シリア、イラク、ヨルダンのいずれかです」

セキュリティチーフのサラ・チェンが報告書を持って入ってきた。朝早いのに、既に資料をまとめていた。

「外部からの電波干渉の可能性があります。ノイズの発生パターンが、自然環境由来のものと一致しません」

「干渉源の特定は?」

「まだです。ただ、方向から絞ると──中東のどこかです」

浩は、その言葉を聞いた。

中東。

ザカリア。

その名前が、頭の中に浮かんだ。第一部で組織的抵抗は終わった。しかし、完全に終わったわけではない。残党が20名程度、地下施設に潜伏している。そのことは、サラの報告で知っていた。


時刻: 午前9時

場所: 中央棟、セキュリティ会議室

サラ・チェンがスクリーンに信号解析を映した。

「神の剣は、第一部の段階で組織的な戦闘力をほぼ失っています。ザカリア本人と残党20名程度が地下施設に潜伏中。これは確認済みです」

スクリーンに、シリアの地下施設の推定位置が表示された。人工衛星からの熱画像解析で特定したものだ。

「しかし」

サラが間を置いた。

「しかし、残った20名の中に、電子工学の知識を持つ人物がいました。元通信技術者です。現場でのテロが不可能になった以上、彼らは別の手を考えた。物理的な破壊を伴わない妨害──建設制御信号への電波干渉です」

「影響の規模は?」

「現段階では、ロボットの動作に0.2〜0.4秒の誤差が生じます。精密作業への影響は軽微ですが、ゼロではない」

浩は、その数値を頭の中で計算した。

0.2秒の誤差。高度50,000メートルでのケーブル接続作業。ロボットの動作速度は秒速0.5メートル。0.2秒で10センチメートル動く。接続位置が10センチずれることはないが、精密な位置決めに影響する。

各調整の0.2は小さい。だが1000箇所の累積は、30分以上の遅延になる。

浩は一瞬、目を閉じた。

しかも、それだけではない。位置決め精度が落ちる。精度が落ちれば、接続品質が下がる。品質が下がれば、後の工程で問題が出る。ケーブル全体の強度に影響する可能性もある。

数値は小さくとも、積み重なりは無視できない。

「許容できない」

「はい。長期的には問題になります」

「干渉を受けにくくする方法は?」

サラが答えた。「技術的なシールドを強化する方向で検討しています。ただ、根本的な解決には信号の暗号化強化か、ケーブル自体を通した制御経路への完全移行が必要です」

「後者は、先日設計した通信システムで実現できます」

洋子が遠隔通信で言った。太平洋無人島の研究所からの回線だ。画面に洋子の顔が映った。朝から作業していたらしく、端末の前に座っている。

「ケーブルを通じた制御経路に完全移行すれば、外部からの電波干渉は原理的に効かなくなります」

「実装はいつですか?」

「第一基は今週末。全基では3週間かかります」

「並行して暗号化を強化できますか?」

「できます。二段構えで対処しましょう。サラさん、暗号化チームとの調整をお願いできますか」

「了解しました」

浩は頷いた。

サラが資料をまとめながら言った。「ザカリアたちの手口が変わったことが重要だと思います。大規模な破壊から、小さく静かな妨害に。気づかれにくい方法で、長期的なダメージを狙っている」

「組織の再建を狙っているということですか」

「その可能性があります。電波干渉は、彼らにとってコストが低い。発信装置さえあれば、少人数で実行できる。そして、検出されにくい」

浩は、その分析を頭に入れた。

彼は、方法を変えて、抵抗を続けている、と。


時刻: 午後1時00分

場所: 共同作業室B

浩と洋子の作業が、二拠点で並行して進んだ。

浩が制御アルゴリズム側を担当する。外部電波を受け取る既存の通信系からケーブル内の電気経路へ切り替える際、ロボットの制御が瞬断しないよう、切り替えのシーケンスを設計する。

ロボットは今、外部からの電波で制御されている。その制御経路を、ケーブル内部の電気信号に切り替える。切り替え中に制御が途切れれば、ロボットは停止する。停止すること自体は問題ないが、再起動に時間がかかる。全12基、数百台のロボットが同時に停止すれば、建設全体が止まる。

それを避けるには、切り替えのタイミングを精密に制御する必要がある。

洋子がステラーカーボン側を担当する。電力伝送と制御信号が干渉しないよう、ケーブル内の導電経路をさらに精密に分離する構造を設計する。

「電気的なシールド効果、ケーブル内部の素材配置で付与できます」

洋子がデータを送ってきた。「干渉を構造的に吸収する配置です。外部電波が入っても、制御経路には届かない」

浩はデータを開いた。

ケーブルの断面構造図が表示された。中心部に電力伝送用の導体。その周囲に絶縁層。さらに外側に制御信号用の導体。各層の間に、電磁シールド材が配置されている。

設計思想が明確だった。物理的に隔離することで、干渉を原理的に防ぐ。荒木を交えて設計した多重利用の原理を、さらに進化させたものだ。

二人で同じ問題を、異なる方向から同時に解いている。その事実を、浩は改めて確認した。

「この構造、今日の朝から考えてた?」

「ええ。昨夜から、少し。サラさんの報告を聞いて、必要になると思った」

「私も昨夜考えていました。ただ、ケーブル内部の設計は洋子さんの領域なので、方向性だけ考えて先に進まなかった」

「アルゴリズム側の切り替えシーケンスは、私には考えられなかった部分です。でも必要だとは分かっていました」

「そうですか」

「分担が、合っていますね」

浩は苦笑した。

「...分担した覚えはないんだけどね」

「勝手に、ですか?」

「いや。気づいたら、そうなってた」

「それが一番自然かもしれません」

「そうかもね」

洋子が少し笑った気配が、通信越しに伝わった。

「でも合ってる。それでいいでしょう」

二人は、そのまま作業を続けた。

切り替えシーケンスの詳細設計。ロボットが作業中に通信経路が切り替わる場合、どのタイミングで切り替えるか。

作業の合間か、作業中か。

作業中なら、どの工程で切り替えるのが最も安全か。

浩が考えていた案と、洋子が送ってきた案が、ほぼ一致していた。

「作業の合間、確認工程の直後ですね」

「ええ。その瞬間なら、動作が止まっている」

「通信が瞬断しても、影響はない」

「そう設計しました。切り替え時間は0.5秒以内。ロボットの確認工程は通常2秒かかるから、余裕があります」

「了解です。実装に回します」

浩が設計図をアトラスに送った。アトラスが即座に検証を開始した。数秒後、「設計は実装可能です」という返答が来た。

検証結果を見ると、リスク評価も含まれていた。切り替え失敗の確率:0.003%。影響範囲:単一ロボットのみ。復旧時間:平均15秒。

「アトラスも問題ないと言っています」

「では、今週末の実装に向けて準備します。第一基から順次、ですね」

「はい。第一基で問題がなければ、残り11基に展開します」

「分かりました。実装手順書、今日中に作ります」

「お願いします」


時刻: 午後4時30分

場所: セキュリティチーム作業室

サラの側でも、制御信号の暗号化強化が進んでいた。

「現行の暗号化プロトコルは量子鍵配送を使用していますが、干渉による信号途絶が起きた際の再接続時に脆弱性があります」

サラがホワイトボードに図を描きながら説明した。セキュリティチームのメンバー5名が、画面を見ている。

「接続が切れて再接続する瞬間、一時的に認証が甘くなる。そこに割り込める余地がある」

「修正できますか?」

「セキュリティ専門家チームとデジタルツインを使った演習を昨日やりました。三パターンの対処を設計しています」

サラがデータを出した。

浩が確認した。技術的に正確だった。認証プロトコルの強化。再接続時の検証手順の追加。異常検知システムの感度向上。

サラが指を三本立てながら言った。

「再接続の二段階認証。頻度制限。そして異常検知の自動遮断」

「三案とも、実装可能です。全部実装しましょう」

浩が言った。

「三段構えですか」

「はい。ザカリアたちは、一つの防御を突破したら次を試してくる。三つあれば、時間が稼げます」

「了解しました」

サラがメモを取った。

「承認します。実装を急いでください」

「了解です。ただ──」

サラが少し表情を変えた。

「今回の干渉、ザカリアたちの手口が変わったことが重要だと思います。物理的な暴力から、静かな電子的妨害に」

サラは少し言葉を選んだ。

「これは意図的な戦術変更です」

「組織の再建を狙っている」

「はい。小さく、気づかれにくく。じわじわと。今すぐ大きな被害は出せないが、長期的なダメージを狙っている。そういう意図が見えます」

浩は、その分析を頭に入れた。

「監視を続けてください」

「はい」

サラが資料を閉じた。

「もう一点。ザカリアの資金調達の動きも観測されています。詳細は夜に報告します」

「分かりました」

浩は部屋を出た。廊下を歩きながら、ザカリアのことを考えた。

組織的な破壊力は失った。しかし、諦めていない。電波干渉という新しい手段を見つけた。資金調達も進めている。

何を計画しているのか。


時刻: 2週間後

場所: 中央棟管制室

強化されたシステムが稼働した翌日。

「電波干渉は続いていますが、建設には影響がなくなりました」

サラが報告した。

「確認が取れましたか?」

「はい。ケーブル内の制御経路が完全移行し、外部電波が届かない状態になっています。干渉を続けているが、効果がない状態です」

リンが画面を切り替えた。ロボットの作業精度のグラフが表示された。2週間前は、0.2〜0.4秒の誤差があった。今は、基準値内で安定している。

「ザカリアの側では気づいているか?」

「まだ続けているので、気づいていないか、あるいは気づいても止める理由がないか」

浩は、少しの間データを見た。

ダッシュボードの警告インジケーターは消えていた。センサー誤作動の報告もない。ロボットの作業精度は、基準値内で安定している。全12基、数百台のロボットが、問題なく動いている。

怒りでも勝利感でもない何かが、胸の中にあった。

何と名付ければいいか、分からなかった。

ザカリアたちは、まだ諦めていない。それは明らかだ。電波干渉が効かなくなっても、別の手を考えるだろう。資金調達を進めている、というサラの報告が頭にあった。

「そうか...」

短い返事だけが、出た。

いや、それ以上の言葉が出なかった。

リンが「よかったですね」と言った。浩は頷いた。

よかった、のだろうか。今回の問題は解決した。しかし、次の問題が来る。それは分かっている。

サラが「次の対策も準備しています」と言った。浩は頷いた。

「ありがとうございます。引き続き、お願いします」

「了解しました」

高度は50,000メートル以上の空間。

ロボットたちが、黙々と作業を続けている。電波干渉の影響はもうない。

しかし、まだ終わっていない。それは明らかだ。


時刻: 同日 夜

場所: 中央棟、サラのオフィス

「一つ、別の情報があります」

サラが言った。

部屋には、浩、マリア、そして遠隔通信で洋子がいた。

「ザカリアの動向です。資金調達の動きが観測されています。旧信者ネットワークへの接触、小口の送金。電波干渉とは別の活動です」

サラが資料を画面に映した。

マリアは、驚いた様子を見せなかった。

「予定より遅いくらいね」

浩は、その言葉の意味を測った。予定、という単語が引っかかった。

「彼が地下に潜った瞬間から、網は張ってあるわ」

マリアがサラに向かって言った。

「彼が接触している化学物質のルート、情報は掌握している?」

「はい。仲介者の身元も、取引先も特定済みです」

「まだ泳がせておいて。尻尾を掴むのは今じゃない」

サラが頷いた。

浩は、その会話を聞きながら、マリアの意図を考えた。

泳がせる、ということは。ザカリアの動きを、把握したまま、あえて止めていない。

「何を待っているんですか」

浩が聞いた。

「最終的な目標よ」

マリアが答えた。

「ザカリアは今、化学物質を手に入れようとしている。それは分かっている。でも、その物質を使って何をするつもりか、まだ分からない。今止めても、彼は別の手を考える。根本的に止めるには、彼の計画の全体像を掴む必要があるわ」

「しかし、リスクがかなり大きいのでは?」

サラが言った。

「分かっています。だからこそ、監視を強化する。彼が動く瞬間に、すぐに止められる体制を作っておく」

マリアが画面を切り替えた。

「もう一点」

マリアが浩と洋子を見た。

「物理的な破壊はサラが防ぐ。でも、ザカリアが本当に狙っているのは、それだけじゃない」

「何を狙っているんですか」

洋子が聞いた。

「壊す必要はないの」

マリアが答えた。

「揺らせればそれでいい」

「氷雨の後、人類は科学を信じることを選んだ。ケフィリアンのメッセージを受け取り、軌道エレベータを建設している。その選択に対して、ザカリアは『間違っている』と言い続けている」

「彼が狙っているのは、その選択を揺るがすこと。システムそのものへの不信感を植え付けること」

「電波干渉も、その一環ですか」

「そう。建設が遅れる。品質が落ちる。その疑いが広がれば、ザカリアは勝ったことになる」

浩は、その分析を頭に入れた。

「それに対抗するには?」

「エンジニアでも政治家でもない、別の視点が必要なの」

マリアが言った。

「別の視点?」

浩が聞いた。

「ええ」

マリアが少し間を置いた。

「かつて研究の現場にいた人物で、情報の裏側を読み解くことに長けた『記録者』。ただ、普通に呼んでも来てもらえないでしょうから、少し工夫が必要ね」

浩は、その言葉を聞いた。

心当たりがあった。しかし、確信はなかった。

洋子が画面の向こうで、わずかに表情を変えた。浩はそれを見た。

洋子も、誰かを思い浮かべているのかもしれない。

「こちら側の段取りは、すでに整えてあるわ。あとは、本人の意思次第」

マリアがそれだけ言って、資料を閉じた。

会議が終わった。

浩は廊下を歩きながら考えた。

ザカリアの組織的な破壊力は、今ほぼゼロだ。しかし、マリアは彼を「泳がせている」。計画の全体像を掴むために。

廊下の突き当たりに窓があった。外は暗い。第一基のケーブルが、暗闇の中に向かって伸びている。肉眼では見えないが、そこにある。

今夜も、ロボットが動いている。電波干渉は効かなくなった。しかし、ザカリアは別の手を考えている。

外の暗闇に、細いケーブルが伸びている。見えないほど細く、しかし確かに、そこにある。

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