第3-5話 襲撃
時刻: 1月29日 午前9時00分
場所: 国連本部、ニューヨーク
マリアは、セキュリティ部門と最終打ち合わせを行っていた。
「討論会まで九日。セキュリティ体制の確認をします」
報告しているのは、セキュリティ責任者のロバート・ハリソン。元FBI対テロ部門に所属していた経験豊富な初老の男である。
「国連本部周辺、半径二キロメートルを警戒区域に指定。全車両を検査します」
彼は、配置図を表示した。
「周辺の高層ビル全てに監視チーム配置。屋上アクセスは封鎖。会場内部は金属探知機、爆発物探知犬、AI顔認証で三重チェック」
「参加者は事前登録制。全員の身元確認を行います」
マリアが尋ねた。
「ザカリアの参加は?」
「まだ返答がありません。参加する場合、同じセキュリティチェックを適用します」
「武装警備員は、会場内五十名、建物全体で二百名。NYPD機動隊が外周に五百名待機」
マリアは頷いた。しかし、表情は晴れない。
マリアは一度だけ、資料の端を指でなぞった。
ほんの一瞬、言葉を選ぶように視線が泳ぐ。
「……この想定、最悪の場合、ですよね」
「ロバート、これを」
彼女は、機密資料を手渡した。
「穏健派のスパイから入手した情報です」
ロバートは、資料を開いた。眉をひそめる。
「全世界信者による同時多発的サイバー・ストライキ...」
「討論会開始の瞬間、教団のエンジニア信者が各地のインフラ──電力、通信、物流──にバックドアから介入する想定です」
マリアが説明した。
「ザカリアは『科学がなくても神がいれば生きられる』ことを証明するため、一世界を暗闇に落とそうとする計画をしています」
ロバートは、次のページを見た。
「情報のディープフェイク爆弾...」
「討論会の最中に、IGDEが過去に隠蔽したとされるスキャンダル──捏造されたものも含む──や、堀川博士と桜井博士の過去の失言を加工した映像を、教団の独自ネットワークで一斉拡散する」
「物理的な殺害よりも、設計者の『人格否定』こそがプロジェクトを止める最短ルート。私たちも似た様な手を仕込んでいますから、向こうも当然、考えるでしょうね」
ロバートは、深く息を吸い込んだ。
「対策は?」
「サイバーセキュリティ部門と連携してください。主要インフラのバックドア総点検。そして、ディープフェイク検出AIの準備」
「了解しました」
ロバートは資料を閉じた。
「他に懸念は?」
マリアは、一瞬コーヒーに手を伸ばそうとした。
しかし手には取らず、そのまま続けた。
「...ザカリアは、堀川博士と桜井博士の直接出席を求めてくるかもしれません」
「直接?」
「ええ。衛星中継ではなく、会場に」
ロバートの表情が、険しくなった。
「それは危険すぎます」
「わかっています。でも、彼がそう要求してくる可能性は高い」
マリアは、窓の外を見た。ニューヨークの空は青くそして、
美しい。
「対応には時間がいる...」
彼女は、小さく呟いた。
時刻: 1月30日 午後3時00分
場所: IGDE危機管理センター
マリアの携帯電話が鳴った。
発信者表示:「Unknown」
「はい、ロドリゲスです」
「ロドリゲス事務次長、私はザカリアである」
マリアは、即座に録音を開始した。サラ・チェンに目配せし、発信源の追跡を指示する。
「ザカリア氏、お電話ありがとうございます」
「討論会の招待、受け取った」
ザカリアの声は、冷静だった。
「参加します。しかし、条件があります」
「条件とは?」
「第一に、討論会は生放送であること。編集や検閲は一切認めません」
「了解しました。既にそのつもりです」
「第二に、私は五名の側近を同行させます」
「全員がセキュリティチェックを受けることが条件です」
「当然です」
「第三に、イブラヒムと一対一の討論の時間を設けてください」
「了解しました」
ザカリアの声が、わずかに変化した。
「堀川浩と桜井洋子にも、私と直接対決する機会を与えてください」
「彼らは、衛星中継で参加します」
マリアは、即座に答えた。
「いいえ。彼らを会場に呼んでください。顔を見て話したい」
マリアは、即座に拒否した。
「それはできません。彼らの安全が保証できません」
「ならば、私は参加しません」
ザカリアの声が、冷たくなった。
「堀川と桜井が恐れているなら、それを世界中に示すだけです」
「彼らは、自分の信念に自信がないのだと」
マリアは、心理的な圧力を感じた。
ザカリアは、浩と洋子を「臆病者」として印象づけようとしている。彼らが会場に来なければ、それ自体が敗北のメッセージになる。
「...検討します。四十八時間以内に返答します」
「待っています」
通話が切れた。
マリアは、携帯電話を置いた。
サラが尋ねた。
「発信源は?」
「特定できませんでした。VPN経由で、複数の国を経由しています」
マリアは、深く息をついた。
そして──微笑んだ。
「やはりね」
サラとロバートは、驚いた表情を見せた。
「事務次長...予想していたのですか?」
「ええ」
「それで...どうするのですか?」
ロバートが尋ねた。
「回答まで四十八時間の準備時間を確保しました」
「四十八時間...何をするのですか?」
情報分析官のサラ・チェンが、マリアの代わりに答えた。
「『ザカリアの脳内エコー・逆探知プログラム』の最終調整です」
画面に、複雑なシステム図が表示される。
「お二人が直接対話を受け入れる条件として、ザカリアの音声と映像の『超高解像度での生中継』を要求します」
「洋子さんのアイデアで開発した微細表情・声紋解析アルゴリズムをシステムに組み込むのです」
「そして、彼がどこから通信しているのか、あるいはどの拠点で指示を出しているのかを逆探知します」
ロバートが唸る。
「四十八時間で、そのシステムを完成させると」
マリアがサラに指示した。
「お二人には、アルゴリズムの精度を、可能な限り高めてるよう最終調整をお願いしておいてください」
時刻: 2月1日 午前2時00分
場所: 太平洋、公海上、教団の秘密船舶
ザカリアの側近の一人、アブドゥルは、襲撃計画を最終確認していた。
元サウジアラビア特殊部隊いた冷徹な目をした、冷徹な男である。
彼の前には、神の剣の精鋭部隊二十名が集まっている。
「目標は、太平洋の無人島。IGDEの秘密研究施設がある」
アブドゥルは、衛星写真を表示した。
円形の島。中央の丘。周囲の熱帯雨林。そして、地上に見える小さな研究棟。
「この島に、桜井洋子がいる。我々の任務は、彼女を捕獲すること」
「殺すのではないのか?」
一人の戦士が尋ねた。
「いや。ザカリア師の命令は『生きたまま捕獲せよ』だ」
アブドゥルは、断言した。
「なぜだ?」
「俺もそう思ったのでザカリア師に尋ねた」
アブドゥルは、ザカリアから受けた説明を繰り返した。
「洋子は『討論会の内容を決定づける生きた暗証番号』だそうだ」
戦士たちが顔を見合わせる。
「討論会が始まってからでは、マリアが全ての主導権を握る。しかし、その前に洋子を確保──あるいは通信を傍受できる環境に置けば、討論会そのものをIGDEを追い詰めるための罠に変えることができる」
アブドゥルは、作戦の戦略的意図を説明した。
「さらに、浩に対し『相棒が手の中にいる』という事実を突きつけた状態で討論会に臨ませる。彼の論理的な思考を麻痺させることができる」
「なるほど...」
別の戦士が頷いた。
「しかし、従わせるにはどうする? 拷問か?」
「いいや」
アブドゥルは首を振った。
「ザカリア師は、拷問のような肉体的暴力ではなく、洋子の『善意』と『責任感』を利用して彼女の口を封じると言っていた」
「どういうことだ?」
「洋子に対し、彼女が研究を続行することで作動する『自動処刑プログラム』の存在を突きつける」
アブドゥルは、ザカリアの言葉を思い出しながら続けた。
「洋子がキーボードを叩き、軌道エレベータの計算を一行進めるたびに、世界中の拠点でボランティアとして働くザカリアの信者が一人、毒杯を仰ぐようセットしてある、と」
戦士たちは、ザカリアの思考を聞いて、呼吸を忘れた感覚に陥ってた。
「科学者として『人類を救う』ために計算している洋子にとって、自分の指先が直接的な殺人装置になることは、物理的な拷問よりも深く彼女を破壊する」
アブドゥルの声には、冷徹な確信があった。
「ザカリア師の知恵は、深い」
「天よ、導きたまえ」
戦士たちが呟いた。
アブドゥルは、作戦の詳細を説明し始めた。
「島には、警備員五名がいる。我々は深夜に潜水艇で接近。島の北側、岩場に上陸」
「施設までは約五百メートル。ジャングルを抜けて接近する」
「施設の入口を制圧。桜井洋子の居室は地下一階。そこに直行し、捕獲する」
「抵抗する者は?」
別の戦士が尋ねた。
「必要最小限の力で制圧する。しかし──」
アブドゥルは、全員を見回した。
「万が一、作戦が失敗した場合。増援、おそらく米軍だろう──が到着したら、即座に撤退せよ。これは絶対命令だ」
「撤退...?」
戦士たちが驚いた表情を見せた。
「我々は殉教を望んでいる。なぜ撤退するのだ?」
アブドゥルは、厳しい目で答えた。
「これもザカリア師の命令だ。『殺さず、撤退せよ』」
「理由は聞いていないが...師を信じないのか?」
戦士たちは、不満そうだったが、頷いた。
時刻: 午前3時00分
場所: 無人島研究所
デイビッド・チェンは、セキュリティ管制室で夜勤をしていた。
モニターには、島の周囲を映す監視カメラの映像が表示されている。
深夜の海は静かで、何の異常もなかった。
しかし、その時、一つのモニターにわずかな変化があった。
北側海岸。海面に、一瞬だけ白い泡が見えた。
「何だ...?」
デイビッドは、そのカメラを拡大した。
しかし、既に何も映っていなかった。
「念のため、警備員に連絡しておこう」
デイビッドは、警備チームに無線で連絡した。
「こちら管制室。北側海岸で、わずかな異常を検知。確認を頼む」
「了解。すぐに向かう」
警備員の一人が、北側海岸に向かった。
デイビッドは、別のモニターを確認した。
地下一階の廊下。洋子の居室の前。静かだった。
「桜井博士を、絶対に守らなければ...」
デイビッドは、呟いた。
しかし、彼はまだ知らなかった。
神の剣の精鋭部隊が、既に上陸していることを。
時刻: 午前3時15分
場所: 無人島、北側海岸
神の剣の精鋭部隊が、静かに上陸した。完全に黒い装備。ナイトビジョンゴーグル。サイレンサー付き自動小銃。
「全員、上陸完了。作戦開始」
アブドゥルが命令した。
警備員が海岸に到着した。懐中電灯で周囲を照らす。しかし、既に遅かった。
背後から、ナイフ。警備員は声も出せずに倒れた。
「警備一、応答せよ!」
デイビッドは異常を察知した。
「全警備員、北側海岸に集合! 侵入者の可能性!」
残りの警備員四名が武器を手に向かった。しかし、ジャングルの影から待ち伏せ。サイレンサー付きの銃声。次々と倒れた。
時刻: 午前3時25分
場所: 施設、地下1階
洋子は、銃声で目を覚ました。遠くから聞こえる鈍い音。
施設全体に警報が鳴り響いた。
「警告! 侵入者! 全職員、セーフルームへ避難してください!」
洋子は即座に状況を理解した。襲撃だ。
震える手で服を着る。ドアを開けると、廊下には他の研究員も。
「桜井博士! こちらへ!」
デイビッドが階段から叫んだ。
「地下五階のセーフルームへ! 急いで!」
洋子は階段を駆け下りた。地下二階、三階、四階...
その時、上から爆発音。
「入口が爆破された!」
デイビッドが全員を急かした。
「早く! セーフルームまであと少しです!」
走ろうとして、足がもつれた。
自分でも驚くほど、膝が笑っていた。
「...違う、大丈夫」
誰に言うでもなく、そう呟いた。
...いや、そんなことを考えてる場合じゃないでしょう、私。
どうなってるの?
洋子は特別回線のタブレットを握りしめていた。浩に連絡しなければ。
しかし、今はまだそんな余裕はなかった。
時刻: 午前3時30分
場所: 地下5階セーフルーム
洋子、デイビッド、そして十名の研究員がセーフルームに逃げ込んだ。
デイビッドが重い鉄の扉を閉めた。電子ロックが作動する。
「この扉は、厚さ三十センチの装甲鋼です」
デイビッドは衛星電話で外部に連絡した。
「こちらIGDE太平洋研究所! 襲撃を受けています! 即座に救援を!」
「了解! 最寄りの米海軍基地から、ヘリコプターを派遣します。到着まで約四十五分!」
洋子はタブレットを取り出した。震える指で浩を呼び出す。
時刻: 午前3時31分(東部時間 午前9時31分)
場所: ニューヨーク地下シェルター
浩のモニターに、緊急着信が表示された。
「洋子さん!」
画面に、洋子の顔。背景は暗く、金属製の壁が見える。
「浩さん...襲撃を受けています。神の剣が、施設に侵入しました」
「何ですって!?」
「今、セーフルームに逃げ込んでいます。でも、彼らは扉を爆破しようとしています」
洋子の目には、涙があった。
「浩さん、私...怖いです」
浩は、画面越しに洋子を見た。
「洋子さん、落ち着いてください。救援は来ます」
「僕は、ここにいます。あなたは一人じゃありません」
「マリアさんが、襲撃を予想していないわけがない」
浩はくやしさで己に怒りを覚えた。
声をかけるくらいしかできないのに、そのセリフさえ、こんなあやふやな励まししかできないのだ。
その時、セーフルームの外から声が聞こえた。
アブドゥルの声が、館内放送に割り込んできた。
「桜井洋子。我々は、あなたを知っている。十分以内に出てこい。さもなくば、全員を殺す」
しかし、その時──
遠くから、ヘリコプターの音が聞こえてきた。
「米海軍だ!」
デイビッドが叫んだ。
「予定より早く到着した!」
アブドゥルは、即座に判断した。
「撤退する! 全員、船に戻れ!」
「しかし、洋子は──」
「命令だ! 撤退しろ!」
神の剣の部隊は、素早く施設から撤退を開始した。
しかし、海兵隊の特殊部隊が既に上陸していた。
ジャングルから。海岸から。複数の方向から。
「動くな! 武器を捨てろ!」
海兵隊員たちが、銃を構えた。
アブドゥルは、自動小銃を発砲した。
銃撃戦が始まった。
激しい銃声。爆発。叫び声。
五分後、神の剣の部隊は壊滅した。
アブドゥルを除く十五名が射殺され、五名が拘束された。
時刻: 午前4時30分
場所: サウジアラビア、ザカリアの本部
ザカリアは、アブドゥルの部隊が失敗、壊滅した報告を受けていた。
「師、作戦を失敗してしました」
アブドゥルの声は、衛星通信越しでも、歯軋りの音が伝わってきそうである。
「洋子の捕獲には至りませんでした。米海軍の到着が予想より早く──」
しかし、ザカリアは穏やかに答えた。
「構わない」
「師...?」
アブドゥルは、足もとが消えたような感覚に襲われた。
「失敗したのに、なぜそんなに余裕があるのですか? 殺してしまえばよかったのでは...」
ザカリアは、微かに笑った。
「アブドゥル、お前は作戦の『本来の目的』を理解していない」
彼は、ゆっくりと説明を始めた。
「本来の目的は、彼女を『恐怖に屈してプロジェクトを裏切った生存者』に仕立て上げることだ」
「洋子をここで殺すことは、彼女を『悲劇のヒロイン』──殉教者──にしてしまう。それは失敗を意味する」
アブドゥルは、沈黙した。
「彼女が恐怖で震え、涙を流す映像を撮るだけでもよかった。それが討論会で彼女の言葉の信憑性を奪う最大の武器になったからだ」
ザカリアの声は、体温を感じさせない響きだった。
「彼女の『心』に消えない傷跡──死への恐怖──を刻み、彼女を『生きた敗北の象徴』として討論会の壇上に送り出すこと」
「それで良いのだ。理解できたか、アブドゥル?」
「はい...師」
アブドゥルは、畏れた。
(俺には、師の深謀がどれほど...わからない...師よ...私は)
「お前たちは、よくやった。彼女は今、恐怖に震えているだろう。それで十分だ」
「ありがとうございます」
通信が切れた。
ザカリアは、心の中で計算を続けていた。
もし部隊が壊滅していたら、それは『無能ゆえの失敗』ではない。
洋子に恐怖を植え付けるという目的を達成したのなら、残りの部隊は『神に捧げる駒』として切り捨てるべき、なのだ。
ザカリアは言葉を切った。
その沈黙は、祈りだったのか、それとも――
自分でも区別がつかなかった。
「しかし、アブドゥルは優秀だった。生き残るとは、な」
ザカリアは、窓の外を見た。
砂漠の夜空。無数の星。
美しい。
時刻: 午前4時00分
場所: 無人島研究所、セーフルーム
「襲撃者は制圧されました。安全です」
米海軍の司令官が、セーフルームの扉を開けた。
洋子、デイビッド、そして研究員たちが、恐る恐る外に出た。
施設は、破壊されていた。爆破された入口。焼け焦げた壁。散乱した機材。
そして、床には警備員たちの遺体が横たわっていた。
「五名全員、殉職しました」
米海軍の司令官が、報告した。
洋子は、その光景を見て立ち尽くした。
彼女を守るために、五名が死んだ。
「桜井博士」
デイビッドが、洋子の肩に手を置いた。
「自分を責めないでください。彼らは、自らの意志でここにいたのですから」
「でも...」
洋子の声は、震えていた。
「あの人達は、私を守るために...」
「彼らは、人類を守るために戦ったのです」
デイビッドは、静かに言った。
「あなたが生きていること。それが、彼らの犠牲を無駄にしない唯一の方法です」
洋子は、深く息を吸い込んだ。
そして、タブレットを取り出した。
特別回線。浩が、まだ繋がっている。
「浩さん...」
「洋子さん、無事でよかった」
浩の顔が、画面に表示される。彼の目には、涙があった。
「僕は...何もできませんでした。ただ、画面越しに見ているしかできなかった」
「浩さん」
「俺は...」
浩は、続く言葉を探して黙った。
慰めになる言葉ほど、今は嘘に聞こえた。
「...ごめんなさい」
洋子は、涙を拭った。
二人は、しばらく沈黙した。
「討論会...行きましょう」
洋子が言った。
数千キロメートル離れていても、その絆は傷ついていなかった。




