第3-4話 政治的圧力
時刻: 1月22日 午前10時00分
場所: 国連総会
公開討論会の発表から二十四時間後、国連総会で激しい議論が交わされていた。
議題はIGDEの権限とプロジェクト・アセンションの継続可否である。
サウジアラビア代表が立ち上がった。
「我が国は、IGDEの活動に深刻な懸念を持っています。過去二週間で、IGDE関連施設への攻撃により、三十名以上が死亡しました」
イラン代表が続いた。
「強引に計画を進めれば、さらなる分断と暴力を生むでしょう」
パキスタン代表も発言した。
「我が国では、教団の支持者が人口の十五パーセントを占めています。彼らの声を無視することはできません」
反対派の声が、次々と上がった。
議長が、賛成派に発言権を与えた。
アメリカ代表が立ち上がった。
「現実を見てください。海面上昇六・八メートル。二十八億人が被災。このまま何もしなければ、さらに何百万人が死ぬでしょう」
EU代表が続いた。
「天啓の教団過激派は、テロ組織です。彼らの要求に屈することは、テロリズムを容認することです」
中国代表も賛成した。
「中国は、IGDEの計画を全面的に支持します。既に、建設資材の生産を開始しています」
しかし、インドネシア代表が妥協案を提示した。
「IGDEの活動を一時停止し、討論会の結果を見てから、計画の継続を判断しましょう」
投票が始まった。
結果は、賛成八十二、反対七十五、棄権三十六。
「賛成多数により、提案は可決されました」
議長が宣言した。
同日午後、予算委員会でもIGDEの予算審議が行われていた。
サウジアラビア委員が発言した。
「総額一・二兆ドル。このような巨額を、未実証の技術に投資することは、無責任です」
パキスタン委員が続いた。
「予算の使途が不透明です」
フランス委員長が反論した。
「予算の詳細は既に提出されています。二千五百ページ以上の詳細資料です」
しかし、反対派は無視した。
ナイジェリア委員が、動議を提出した。
「予算案を否決し、再提出を求めます」
委員十五名中、八名が賛成した。
「否決...」
IGDEの予算案は、否決された。
時刻: 1月22日 午後6時00分(東部時間)
場所: ニューヨーク地下シェルター/太平洋無人島研究所
デイビッド・チェンが、浩と洋子に連絡を入れた。
特別回線で、三人が繋がっている。
「お二人に、報告があります」
デイビッドの表情は、暗かった。
「国連総会で、プロジェクトの一時停止が可決されました。そして、予算委員会では、予算案が否決されました」
浩と洋子は、画面越しに顔を見合わせた。
「一時停止...」
洋子が呟いた。
「はい。討論会の結果次第で、プロジェクトは永久に中止される可能性があります」
デイビッドは、はっきりと言った。
「反対に回った国から察するに、ザカリアの教団圧力だな」
浩が溢した。
二人は、沈黙するしかなかった。
時刻: 1月23日 午前10時00分(東部時間)
場所: 同上 翌日、マリアから特別回線に着信が入った。
浩と洋子が応答する。マリアの顔が表示された。
「お二人とも、話は聞いたと思うわ。心配でしょう」
マリアの声は、静かだった。
「はい」 洋子が答えた。
「でも、国際政治とは、そんな単純ではないことを、お二人に説明するために、時間を取っていただいたのです」
二人は話を聞くために、カップにコーヒーを継ぎ足した。
マリアは一度、資料を消した。
「彼らが本当に恐れているのは、IGDEじゃない」
視線が鋭くなる。
「制御不能な教団よ」
「反対国たちは、教団の暴走を恐れています。これは本音です」
「ならば、教団が暴走しないと分かれば、彼らには反対する理由はなくなるのです」
「そんな単純ではないと、今、言われたばかりではないですか」
浩が尋ねた。 マリアは、資料を表示しながら言った。
「まず、金融包囲網。反対国とIGDEの金融当局が密かに連携し、教団の独自通貨の決済システムに『資産凍結』の仕掛けを導入しました」
画面には、複雑な金融システムの図が表示されている。
「ザカリアが資金を動かそうとした瞬間に、全システムがロックされます。彼は『金も出せないリーダー』として組織内で孤立するでしょう」
「しかし、それだけでは...」
浩が再び尋ねた。
「もちろん、それだけではありません」
マリアは、次の資料を表示した。
「穏健派への寝返り工作。反対国の諜報機関と穏健派が、ザカリア派の中堅幹部に対し、いろいろな取引を進めています」
「簡単に言うと『ザカリアを見捨てれば、戦後の新体制での地位を保証する』と」
洋子が理解した。
「ザカリアの足元は、既に崩れかけているんですね」
「そのとおり」 マリアが頷いた。
「反対国たちとIGDEは、『教団の解体』という実利的な目的を共有しているの」
「表向きは反対していても、裏では協力している...」
浩が呟いた。
「政治とは、そういうもの」
マリアは、二人を見つめた。
「でも、これらの工作には、一つだけ足りないものがあります」
「何ですか?」 洋子が尋ねた。
「大義名分よ」
マリアの目が、妖しく光る。
「反対国たちは、ザカリアを切り捨てるためのナイフを背中に隠し持っているわ。でも、彼らにはそれを引き抜く勇気がない」
「なぜなら、五億人の信者がまだザカリアを『聖者』だと信じているから」
マリアは、一呼吸置いた。
「浩、洋子。あなたたちの仕事は、ザカリアからその『聖者の仮面』を剥ぎ取ること」
「そうすれば、世界中の指が、一斉に彼の背中にあるナイフを突き立てる」
浩と洋子は、互いを見た。
「つまり...」
浩が言った。
「討論会は、最後の引き金なんですね」
「そう。盤面は既に詰んでいる。IGDEと賛成国、そして穏健派の協力で局面は万全に整えた。でも、ザカリアが握る『五億人の民意』だけが、唯一の突破不能な壁になっている」
マリアは、断言した。
「これを言葉で崩すからこそ、討論会の価値があるのよ」
洋子が尋ねた。
「私たちに、それができるでしょうか...」
「やってもらわなくては、計画は全て水の泡になり消えるだけ」
だがしかし、マリアの声は、確信に満ちていた。
「あなたたちは、ザカリアの論理の矛盾を突く。そして、彼がただの権力に執着する凡夫であることを、五億人に見せつける」
「それが、最後の一手よ」
浩と洋子は、二人だけの回線に戻った。
「重圧が...増しましたね」
「マリアさんが、ここまで大胆な賭けをするとは、思いませんでした」
洋子が呟いた。
「甘いものがないと、無理かもしれません」
浩が答えた。
「デイビッドさんに頼んできます。凍結されても、そのくらいの予算はあるでしょう」
二人は、互いを見つめた。
世界の命運が、二人の言葉にかかっていた。
時刻: 1月25日 午前10時00分
場所: 世界各地 予算否決のニュースは、世界中に拡散し、SNS上で激しい情報戦が展開された。
教団側は組織的なキャンペーンを展開した。
ハッシュタグ:
#StopTowerOfBabel
#ScienceIsArrogance
#FaithOverScience
「IGDEは、あなたの税金を無駄遣いしています」
「軌道エレベータは、エリート科学者たちの夢に過ぎません」
「百九十七万人が死にました。科学は、彼らを救えませんでした」
さらに、偽情報も拡散された。
「堀川浩と桜井洋子は、プロジェクトから個人的に利益を得ています」(虚偽)
「ステラーカーボンは、人体に有害です」(虚偽)
IGDE側も反撃したが、理性的でデータに基づいたメッセージは、人々の心を動かす力が弱かった。
情報分析官のサラ・チェンは現状分析をマリアに報告した。
「教団支持派、約三十五パーセント。IGDE支持派、約四十パーセント。中立・無関心、約二十五パーセントです」
両派の対立は、現実世界でも激化し、各地で集会の衝突や暴動が発生したが、マリアには別の心配があった。
「二人への個人攻撃の状況は、どう?」
時刻: 1月27日 午後3時00分
場所: 太平洋無人島研究所
浩と洋子は、SNS上の情報戦を見ていた。
画面には、二人を悪者として描く投稿が並んでいた
「堀川と桜井は、人類の敵だ」「彼らを逮捕しろ」「神の裁きを」
二人の顔写真が「指名手配」のポスターのように加工され、拡散されていた。
「私たちは...こんなに憎まれているんですね」 洋子の声が、震えた。
「これは、組織的なキャンペーンです。実際に私たちを憎んでいる人は、少数でしょう」
浩が答えた。
その時、サラから通信が入ってきた。
「マリアさんから、メッセージを預かっています」
「『頑張って』などと言うのは無意味なので、お二人に戦略を明かします、とのことです」
「残念ながら今日はどうしてもお時間が取れないため、代わりに私が」
サラは、資料を表示した。
「まずは、イブラヒム師が、声明を発表しました」
モニターに映像が表示された。
イブラヒムが、穏やかな表情でカメラに向かって話していた。
「私は、堀川浩博士と桜井洋子博士を支持します。彼らは、人類のために命を懸けて働いています。科学と信仰は、対立するものではありません。共に、人類を救う道を探すべきです」
彼の慈愛に満ちた表情を見る洋子の目に、涙が浮かんでいた。
時刻: 1月28日 午前10時00分(東部時間)
場所: ニューヨーク地下シェルター/太平洋無人島研究所
「もう一つ、重要な情報があります」
サラの表情は、真剣だった。
「IGDEと賛成国のサイバー部隊が、穏健派の協力の下、ザカリアの側近たちの膨大な不正の証拠を収集しました」
画面に、データが表示される。
「かいつまんで説明すれば、信者からの寄付を私的に流用している記録。側近たちだけが安全なシェルターや備蓄食料を確保している証拠。動画や通信記録などです」
浩が尋ねた。
「それを、公開するんですか?」
「はい。でも公開時期はまだです。討論会に合わせて、SNSや教団の独自ネットワークに一斉放流する準備を整えています」
サラは、タイミングチャートを表示した。
「ザカリアが討論会で『聖なる犠牲』を説いた直後に、これをぶつけます」
洋子が理解した。
「彼の『聖性』を完全に剥ぎ取るんですね」
「そうです。しかし、効果を最大化するには、お二人の協力が必要です」
サラは、二人を見た。
「討論会の内容に、この暴露を盛り込んでいただけますか?」
浩が考えた。
「どういう風に?」
「ザカリアが『科学者は利益のために人々を欺く』と攻撃してくるでしょう。
その瞬間に、『では、あなたの側近たちの行動を見てみましょう』と切り返してください」
サラは、具体的なシナリオを表示した。
「お二人が問題提起した直後、私たちがSNSで証拠を放流します。会場のモニターにも、リアルタイムで反応が表示されるでしょう」
洋子が尋ねた。
「しかし、それは...討論ではなく、攻撃になりませんか?」
「討論会は、真実を明らかにする場です」
サラの声は、確固としていた。
「ザカリアの矛盾を突くことは、攻撃ではありません。必要な暴露です」
浩と洋子は、互いを見た。
「わかりました」
「ありがとうございます。これで、勝算が上がります」
浩と洋子は、二人だけの回線に戻った。
「洋子さん、本当にこれでいいんでしょうか」
浩が尋ねた。
「正直に言うと、迷います」
洋子が答えた。
「でも、ザカリアは既に多くの人を殺しています。イブラヒム師への襲撃。私への威嚇。民間人の犠牲」
「彼の矛盾を暴くことは、さらなる犠牲を防ぐことです」
浩は答えるでなく独り言でなく、言葉を漏らした。
「感情ではなく、事実で...か...」
時刻: 1月28日 午後8時00分
場所: 太平洋無人島研究所/ニューヨーク地下シェルター
夜。浩と洋子は、討論会の最終準備をしていた。
特別回線で繋がり、戦略を練っている。
「まず、予想される質問への対処です」 浩が、リストを表示した。
「『なぜ軌道エレベータなのか』
『建設費一・二兆ドルは正当化できるのか』
『失敗したらどうなるのか』」
「これらには、データで答えます」 洋子が頷いた。
「でも、『科学は信仰と矛盾しないのか』『あなたたちは神を信じているのか』...これらは難しいわね」
浩が、画面を見つめた。
「洋子さん、正直に言うと、僕はこの問いに数式で答えることはできません」
「物理学に『神』という変数は存在しないから」
洋子が続けた。
「言葉の定義が、ザカリアと私たちでは違いすぎるのよ」
「僕たちが不用意に答えれば、それはただの空虚な哲学になってしまう」
洋子は、考えた。
「これは...イブラヒム師に繋ぎましょう」
「イブラヒム師?」
「ええ。彼なら、私たちの『観測への畏敬』を、信仰者たちの言語に正しく翻訳してくれるはず」
洋子は、自分たちを支持してくれたイブラヒムを頼ることに、迷いはないようだった。
「私たちは、自分たちが責任を持てる『事実』に集中すべきだわ」
浩が深く頷いた。なら、自分に反対する理由はない。
二人は、イブラヒムとの連携シナリオを作り始めた。
「次に、ザカリアの矛盾を突く仕掛けです」
洋子が、別のデータを表示した。
「ザカリアの過去の声明を言語解析してみました」
画面には、音声波形と発言パターンの分析結果が表示されている。
「彼が特定の矛盾を突かれたとき、瞬きが増え、特定の聖典を引用して逃げるパターンがあります」
浩が、データを確認した。
「本当ですね。ここ、ここ、そしてここ...」
「討論会でこのポイントを連続して叩けば、彼の『冷静な聖者』の仮面を剥がせるかもしれません」
洋子の声には、確信があった。
「彼を怒らせる...」
浩が呟いた。
「生身の『怒れる男』を露出させるんです」
「なるほど...」
そして浩は、別の仕掛けを提案した。
「それに加えて、俺からも提案があります」
彼は、プログラムのコードを表示した。
「討論会の生中継の背景に、教団のテント都市のリアルタイムのエネルギー供給状況をオーバーレイ表示させる仕掛けです」
「ザカリアが『科学は人々を不幸にする』と述べた瞬間に...」
「『今この瞬間に彼らの命を繋いでいるのは、彼が否定する技術である』という事実を、視覚的に突きつけます」
洋子は、答えた。
「まさにその通りね」
二人は、さらに細部を詰めていった。
時刻: 1月28日 午後11時30分
場所: 同上
準備が一段落した。
浩と洋子は、しばらく沈黙していた。
「浩さん」
「はい」
「...怖いです」
洋子は、少し間を置いてから言った。
洋子は、正直に言った。
「討論会で、私たちはザカリアを攻撃します。彼の信者たちは、さらに私たちを憎むでしょう」
「俺も、怖い」
という言葉を浩しは飲み込み、ただ頷いた。
「でも、これは必要なことです。ザカリアの嘘を放置すれば、さらに多くの人が死にます」
浩の声が、力強く伝わってきた。
「未来の世代...」
浩は、それ以上言葉を探さなかった。
だが、画面を見る目に迷いはなかった。
洋子は何も返さなかった。
画面越しに手を伸ばした。
触れることはできない。窓のない施設。地下のシェルター。太平洋の孤島。
討論会まで、あと二日。




