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氷雨の黙示録  作者: 唯野眠子
第3章-神の思し召し
15/32

第3-3話 孤島の研究所

時刻: 1月13日 午後1時00分

場所: ニューヨーク郊外、秘密ヘリポート

──ここで、時間を少し遡る。

洋子が太平洋の無人島研究所へ移動したのは、イブラヒムへの襲撃事件の直後だった。

マリアは、浩と洋子を物理的に引き離すことを決断した。

「洋子博士、これより太平洋の秘密研究施設へ移動していただきます」

マリアが説明する。

「浩博士は、別ルートでニューヨーク地下のオフライン・シェルターへ。お二人を同じ場所に置くことは、リスクが高すぎます」

洋子は頷いた。

彼女は、ヘリコプターに搭乗した。武装した警備員が、周囲を固めている。

ヘリコプターが離陸すると、ニューヨークの街並みが眼下に広がった。

「あそこが...私たちの街でした」

しかし、その街の一部は、まだ水没したままだった。沿岸部は青い海に覆われ、ビルの上層階だけが水面から突き出ている。

「必ず、取り戻します」彼女は、心の中で誓った。

ヘリコプターは、大西洋上空へと向かった。眼下には、灰色の海が広がっている。

数時間後、最初の給油地点に到着した。カナダ東部の小さな空港。

給油の間、洋子は待機室で休息を取った。しかし、外には武装した警備員が常に立っている。

「まるで、囚人のようですね」彼女は苦笑した。

しかし、これが安全のために必要なことだと理解していた。

三十分後、再び飛行を開始。

今度は、北大西洋を横断し、北米大陸を越え、太平洋へ。


時刻: 1月13日 午後8時00分(東部時間)

場所: 太平洋上空

二回目の給油を終え、ヘリコプターは太平洋上空を飛行していた。

既に日は沈み、眼下には暗い海が広がっている。星々が、空に輝いていた。

「間もなく到着します」

パイロットが告げた。

洋子は、特別回線で浩に連絡を入れた。モニターに、浩の顔が表示される。

「浩さん、もうすぐ到着します」

「無事でよかった。こちらは、シェルターに到着しました」

浩の背景には、コンクリートの壁が見える。地下施設だった。

「離れてしまいますね」

「でも、またすぐに繋がることはできます」

浩が答えた。

眼下に、小さな島々が見えてきた。そのほとんどは無人島である。

「あれです」

パイロットが指差した先に、一つの島が見えた。

直径約二キロメートルの円形の島。中央には小高い丘があり、その周囲は熱帯雨林に覆われている。

しかし、島の一部には明らかに人工的な構造物があった。

ヘリパッドのライトが、闇の中で点灯した。


時刻: 1月13日 午後8時30分

場所: 太平洋、ミッドウェイ諸島南西600km、無人島

ヘリコプターは、島の中央のヘリパッドに着陸した。

扉が開くと、熱帯の湿った空気が流れ込んできた。夜の熱気。塩の香り。そして、熱帯雨林特有の濃密な植物の匂い。

「ようこそ、IGDE太平洋研究施設へ」

出迎えてくれた施設の管理者は温厚な壮年の男だった。デイビッド・チェン博士。

その目に鋭い知性が宿るシンガポール出身の物理学者。

「桜井博士、長旅お疲れ様でした」

「ありがとうございます」

ヘリコプターから降りて周囲を見回すと、ヘリパッドの先には小さな研究棟が見える。しかし、その規模は意外と小さかった。

「この施設は、三ヶ月前に完成したばかりです」

デイビッドが説明した。

「元々は、深海観測のための施設でしたが、現在の状況を受けて、秘密研究施設として転用されました」

彼は、洋子を施設内に案内した。

建物の入口には、厳重なセキュリティゲート。指紋認証、虹彩認証、そして顔認証。

「外見は小さく見えますが、実際には地下に巨大な施設が広がっています」

デイビッドは、エレベーターのボタンを押した。

「地下五層構造です。総床面積は約五千平方メートル」

エレベーターが降り始めた。地下一階、二階、三階...

地下二階で扉が開くと、洋子は息を呑んだ。

最先端の研究施設が、そこに広がっていた。

広々とした廊下。白い壁。LED照明。そして、ガラス越しに見える各種の実験室。

「地下一階は居住区です」

デイビッドが説明を続けた。

「個室二十室、食堂、リラクゼーションルーム。医療室、トレーニングジムもあります」

「地下二階は研究室。材料科学実験室、化学分析室、電子顕微鏡室、クリーンルーム」

彼らは、廊下を歩きながら各施設を見ていった。

「地下三階は計算センター。量子コンピュータへのリモートアクセス端末、高性能ワークステーション五十台、データサーバールーム」

「地下四階は製造施設。3Dプリンター、ナノファブリケーション装置、小規模な材料製造ライン」

「地下五階はセキュリティ及びエネルギー。発電設備、海水淡水化装置、食料貯蔵庫、武器庫、セキュリティ管制室」

洋子は、圧倒されていた。

「驚きました。こんな施設が、こんな場所に」

「IGDEは、このような事態を想定していました」

デイビッドが答えた。

「複数の秘密研究施設を、世界各地に建設していたのです。ここは、その一つです」

「現在、この施設には研究員十五名、技術スタッフ十名、セキュリティ五名が常駐しています。少なく感じるでしょう?」

洋子が尋ねた。

「外部との通信は?」

「衛星通信のみです。暗号化された専用回線。傍受はほぼ不可能です」

「物資の補給は?」

「月に一回、船で。ただし、緊急時はヘリコプターでも可能です」

デイビッドは、洋子を専用の研究室に案内した。

地下二階の奥。ガラスのドアに「Dr. Yoko Sakurai」とプレートが掲げられている。

「ここが、あなた専用の研究室です」

ドアを開けると、広々とした研究室が現れた。

大型モニターが複数設置され、最新の実験機器が揃っている。作業台、分析装置、そして特別回線用の通信端末。

「ニューヨークの研究室のデータは、全てここに転送されています」

洋子が、コンピュータを起動した。

ログイン画面。彼女のIDとパスワードを入力する。

システムが起動した。確かに、全てのデータが無事だった。

ステラーカーボンの試作データ。軌道エレベータの設計図。応力解析のシミュレーション結果。

「これなら...研究を続けられます」

洋子は、安堵の息をついた。

そして、特別回線を開いた。モニターに、浩の顔が表示される。

「浩さん、施設に到着しました」

「どうですか?」

「驚くべき施設です。こちらでも、十分に研究を続けられます」

浩が微笑んだ。

「よかった。こちらのシェルターも、設備は整っています」

「では、明日から研究を再開しましょう」

「ええ」

二人は、画面越しに互いを見た。

物理的には、数千キロメートル離れている。しかし、この瞬間、彼らは再び繋がることができたのだった。


時刻: 1月14日 午前9時00分

場所: 太平洋無人島研究所、地下2階研究室/ニューヨーク地下シェルター

──そして、時間は現在に戻る。

浩と洋子は、それぞれの隔離された施設で研究を開始していた。

洋子のモニターには、浩の顔が表示されている。浩のモニターには、洋子の顔が。

まるで同じ部屋にいるかのような高解像度。遅延はほとんどない。

だが、「同じ」なのは接続状況だけではない。

彼らの作業の進め方は、まるで一基のコンピュータが、マルチコア・プロセッサとして、二つの肉体を演算ユニットに使っているかのような異様さである。

「行程表では、次は、ステラーカーボンの量産プロセスの確立ですね」

洋子が、製造手順を整理していた。

「現在の試作品は、一日あたり約十キログラム。しかし、軌道エレベータには、総計約一千万トンが必要です」

浩が計算した。

「一日十キログラムのペースでは...二千七百年かかります」

「生産速度を、百万倍に上げる必要があります」

二人は、製造プロセスの最適化に取り組み始めた。

課題一:原料の供給。

「氷塊のサンプルは限られています。しかし、結晶構造をデジタル化すれば──」

洋子が分子動力学シミュレーションを起動した瞬間、浩は既に次の手順を入力していた。

「ナノファブリケーション装置へのデータ転送プロトコル、準備完了」

洋子は、一瞬手を止めた。

「...まだ、私が何をするか言ってないわよ」

「でも、問題なかったでしょう?」

浩が答えた。

課題二:製造速度。

浩が、製造プロセスのボトルネックを分析し始めた。その刹那、太平洋の洋子の手元にあるシミュレーターのパラメータが、彼女の指示を待たずに書き換わっていく。

「...第四層の熱膨張率、〇・〇〇二下げたわね」

「ああ。計算が終わる前に、君ならそこを弄ると思ったから」

二人は会話すら最小限だった。浩が思考の「前提」を提示すれば、洋子がその「結論」を導き出している。

「量子コンピュータで、最適条件を探索します」

洋子が、アクセスを開始した。

「推定所要時間、六時間」

浩が、既に並行作業のリストを表示していた。

「では、その間に並行製造ラインの設計を。君は自動化システム、僕はAI制御アルゴリズムを」

「了解」


時刻: 1月14日 午後3時00分

場所: IGDE危機管理センター

デイビッド・チェンが、マリアに連絡を入れた。

「ロドリゲス事務次長、太平洋研究所からの報告です」

「何ですか?」

「浩博士と洋子博士の作業効率が...通常の協働研究の範疇を超えています」

デイビッドは、通信ログを表示した。

「これを見てください。浩博士が入力ミスをした瞬間、洋子博士がそれを修正するコードを打ち込み始めています。通信遅延を考慮すると、彼女は浩博士が入力する『前』に反応している」

マリアは、ログを見た。

タイムスタンプ。浩のエラー入力: 14:23:47.234。洋子の修正開始: 14:23:47.189。

「...〇・〇四五秒、早い」

「はい。これは統計的にあり得ません」

「デイビッド、あなたはコンピュータの同期を見たことがあるでしょう? でも彼らはそれ以上よ。二人が『揃えば』ね」

(これが、私が彼らに託す理由なのよ)

彼女は二人と接しているうちに、なんとなく感じていた。

世界のトップレベルの頭脳が集うIGDEの同僚の科学者たちでも、それを知るものはほぼいない。


時刻: 1月17日 午後6時00分

場所: 太平洋無人島研究所/ニューヨーク地下シェルター

三日間の集中作業の後、彼らは画期的な成果を得た。

浩が、最終的な製造仕様をまとめた。

「製造時間、二時間。一ラインあたりの生産量、一日あたり百二十キログラム。必要なライン数、二十五万ライン」

洋子が、計算を確認した。

「総生産能力、一日あたり三万トン。これなら...一千万トンを約一年で生産できます」

「建設期間十八ヶ月に間に合います」

──もしイブラヒムが一連の光景を見ていたなら、彼はきっと祈りを捧げただろう。

「神が人類に与えた『双子の知恵』だ。一人が問い、一人が答える。その繰り返しが、天に届く階段を編み上げている」と。

──もしザカリアがこれを理解していたなら、洋子を人質に取るなどという「人間的な策」は選ばなかっただろう。

しかし、今この瞬間、その事実を知るのはマリアとデイビッドだけだった。

そして、二人はその秘密を、厳重に守り続けるつもりだった。

二人は、画面越しに互いを見た。

そして、ほぼ同時に微笑んだ。

「やりましたね」

「ええ。あなたのおかげです」

「いいえ、私たちのおかげです」

数千キロメートル離れていても、彼らの成果は驚くべきものだった。


時刻: 1月20日 午後11時00分

場所: 太平洋無人島研究所、地下1階居住区/ニューヨーク地下シェルター

夜。洋子は、自分の個室で休息していた。

しかし、眠れなかった。

窓のない個室。地下施設のため、外の様子は全くわからない。今、外は夜なのか昼なのか。雨が降っているのか、星が出ているのか。

「閉鎖された空間...」

彼女は、天井を見つめた。

研究は順調だった。ステラーカーボンの量産プロセスは確立された。しかし、不安もあった。

ザカリアの脅迫。家族への危険。そして、この隔離された生活がいつまで続くのか。

洋子は、ふと浩のことを考えた。

この数週間、浩と共に研究してきた。そして、不思議な調和を感じていた。

彼が考えていることが、言葉を交わす前にわかる。彼が必要とするデータを、彼女は既に準備している。

「これは...何だろう」

洋子は、特別回線を開いた。

モニターに、浩の顔が表示される。彼も、まだ起きていた。

「洋子さん」

「浩さん...眠れませんか?」

「ええ。洋子さんも?」

「はい」

二人は、しばらく沈黙した。

画面越しに、互いの存在を感じていた。

「洋子さん」

浩が口を開いた。

「私には...過去があります」

洋子は、黙って聞いていた。

「祖母、美咲のことです」

浩は、祖母の話を始めた。

「祖母は、量子神経動態学を研究していました。意識を情報として捉え、不滅化する研究です」

「祖母はよく言っていました。『人間の意識は、宇宙を記述する最も美しいプログラムである』と」

「そして、『意識は孤立してはいけない。他者と繋がり、共鳴し、調和することで、真の完成を見る』と」

浩は、一呼吸置いた。

「私は、あなたと一緒にいると...祖母が言っていた『調和』を感じるんです」

洋子は、深く頷いた。

「私にも、過去があります」

彼女は、自分の話を始めた。

「私の両親は、氷雨で亡くなりました。大阪の自宅が、突然の洪水に飲まれて」

洋子の声が、かすかに震えた。

「私は、たまたま東京にいて助かりました。でも...」

「...あの時、携帯の電池が切れていなければ、違ったのかもしれないって、今でも考えてしまう」

「でも、ある時気づいたんです。生き残った意味を作るのは、私自身だと」

「だから、軌道エレベータを研究し始めました。両親のような犠牲を、二度と出さないために」

浩は、洋子の言葉を静かに聞いていた。

「洋子さん...」

「浩さん」

二人は、画面越しに手を伸ばした。

触れることはできない。しかし、その思いは確かに届いていた。

「過去の悲しみを、未来への希望に変えようとしている」

不思議な感覚を覚えた。まるで、ずっと前から知っていたかのような既視感。

「洋子さん」

浩が言った。

「私たちは...成功すると思いますか?」

「必ず成功させます」

洋子の声は、確固としていた。

「なぜ、そんなに確信できるんですか?」

「あなたがいるからです」

洋子は、正直に答えた。

「一人では、無理だったかもしれません。でも、あなたと一緒なら...」

洋子は言葉を切り、ほんの一瞬だけ、モニターの自分の顔を見た。

——それは本当に「一緒」なのだろうか。

浩は、微笑んだ。

「私も、同じです」

二人は、しばらく沈黙した。

しかし、それは心地よい沈黙だった。

言葉は必要なかった。ただ、互いの存在を感じていれば、それで十分だった。


時刻: 1月21日 午前9時00分

場所: 太平洋無人島研究所、地下3階計算センター

朝、デイビッド・チェンが浩と洋子を呼んだ。

「緊急のニュースがあります」

彼は、モニターにニュース映像を表示した。

洋子は、特別回線で浩にも同じ映像を共有した。二人で、同時に見る。

国連本部での記者会見。マリア・ロドリゲスが壇上に立っている。

「本日、国連は特別企画を発表します」

マリアの声が、スピーカーから流れる。

「『科学と信仰の対話』と題した公開討論会を開催します」

記者たちがざわめく。フラッシュが焚かれる。

「参加者は、天啓の教団穏健派代表としてイブラヒム・アル=ファディル師」

イブラヒムの写真。

「そして...」

マリアは一呼吸置いた。

会場が、静まり返った。

「天啓の教団過激派代表として、ザカリア・ベン=ユセフ師にも参加を呼びかけています」

会場が、騒然となった。

「ザカリア...?」

浩と洋子は、画面越しに顔を見合わせた。

デイビッドが説明を始めた。

「イブラヒム師の戦略です」

彼は、別の資料を表示した。

「イブラヒム師は元天文学者でありながら、組織論をも理解しています。彼が討論会を望むのは、平和のためではありません」

「目的は、ザカリアの『神格化』の阻止です」

洋子が尋ねた。

「神格化?」

「はい。遠隔地からミサイルや狙撃でザカリアを殺せば、彼は信者の中で『聖なる殉教者』となります。過激派はさらに結束するでしょう」

デイビッドは、教団の分析データを表示した。

「イブラヒム師の言葉を借りれば、『公の場で、ザカリアの論理の矛盾を突き、彼がただの権力に執着する凡夫であることを暴かなければならない。彼から聖性を剥ぎ取ることだけが、教団の連鎖的な暴走を止める唯一の手段』だと」

浩が理解した。

「これは説得ではなく...」

「公衆の面前での論理的な処刑です」

その時、特別回線にマリアからの着信が入った。

浩と洋子が応答する。マリアの顔が、別ウィンドウに表示された。

「お二人とも、ニュースは見ましたね」

「はい」

洋子が答えた。

「そして、お二人にも参加していただきたいのです」

マリアの声は、真剣だった。

「私たちですか?」

浩が驚いた。

「イブラヒム師とザカリア師の討論だけでは不十分なのですか?」

「不十分です」

マリアは、明確に答えた。

「ザカリアは、科学を『顔のない傲慢な支配者』として描いています。冷徹で、人間味がなく、密室で神への反逆を企む存在として」

彼女は、浩と洋子を見た。

「それに対抗するには、最も純粋な情熱を持つ科学者が、死の恐怖にさらされながらも、自分たちの計算に全責任を負う姿を世界に見せるしかありません」

洋子が、マリアの意図を理解し始めた。

「あなたたちに求めるのは、正しい数式の説明ではない。どれだけの恐怖の中で、どれだけの愛を持ってこの塔を設計しているか、それを世界に見せつけなさい」

洋子は、ふっと目線をスクリーンの右上に逸らす。

(何故、本当の意図を隠すの?)

「ザカリアがあなたたちを攻撃すればするほど、彼は『愛を壊す冷酷な独裁者』に見える。あなたたちは、世界の良心という盾になるのよ」

「——ただし」

マリアは一瞬だけ、言葉を選んだ。

「人は、必ずしも論理通りには憎まない。それだけは、今でも計算外の外ですが」

別のウィンドウに、イブラヒムの顔が表示された。

「堀川博士、桜井博士」

イブラヒムの声は、穏やかだった。

「私からもお願いがあります」

「何でしょうか」

浩が尋ねた。

「あなたたちは、計算機ではありません。この塔を建てるための『意志』そのものです」

イブラヒムは、二人を見つめた。

「ザカリアが『神への冒涜』と呼ぶものを、あなたたちが『隣人への愛』として語り直してください。彼に、論理的な逃げ道を与えてはなりません」

「二人が直接答えること自体が、ザカリアの独断に対する最大の反証になります」

「少しだけ、時間をください」

浩が通信を一時中断した。そして、二人だけの回線で話し合った。

「洋子さん、どう思いますか?」

「マリアさんの意図は明白ね。科学を人間化し、私たちを心理的な盾として使う」

洋子の声には、冷静な分析があった。

「でも...私たちが参加する意義は、別にあると思うの」

「別?」

「ザカリアの攻撃の精密さを考えて」

洋子は、これまでの襲撃データを表示した。

「イブラヒムへの襲撃。私への威嚇。どちらも、高度な計画性と技術的知識を必要とします」

浩が、理解した。

「ザカリアの背後に、科学的知識を持つ協力者がいるか...」

「あるいは、ザカリア自身が何らかの論理的欠陥を抱えている」

洋子は、浩を見た。

「彼と直接話すことで、彼の思考パターンの特異点を見つけられるかもしれない」

「彼が何を恐れ、何に依存しているか...」

「それを突き止めれば、彼が握っている教団を崩壊させるコードを逆算できるかもしれない」

二人は、同じ結論に達した。

「これは論戦じゃない。彼の頭脳に対する、情報の逆侵入だ」

浩が頷いた。

「俺は物理の論理で。君は倫理と情報の論理で」

「二人揃って初めて、物理的な生存と精神的な希望の両面からザカリアを包囲できる」

二人は、マリアとイブラヒムの回線を再開した。

「参加します」

浩が答えた。

「ただし、私たちの目的は、マリアさんやイブラヒム師とは少し異なります」

マリアが尋ねた。

「どう異なるの?」

「私たちは、ザカリアの思考を解析します」

洋子が説明した。

「彼の論理の弱点を見つけ、可能であれば、教団を崩壊する手がかりを得たいと」

イブラヒムが、深く頷いた。

「素晴らしい。目的は違えど、方向は同じです」

マリアが言った。

「わかったわ。では、準備を始めましょう。討論会は三日後、一月二十四日です」

「了解しました」

二人は、通信を切った。

そして、互いを見た。

二人とも何かを言おうとしては、そのままお互いを見つめていた。

そして、言った。

「始めましょう。準備を」

人類史上最大の討論会まで、あと三日。



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