女王の待つ城へ
――ヒタッ…ヒタッ…ヒタッ…――
不愉快に滴り落ちるソレを、忌々しい程嗅ぎ慣れた〝臭い〟を…俺は、良く知っている。
〝血の匂い〟だ…それも、ただの血の匂いでは無い。
墨の様に黒く、その匂いを嗅いだだけでえずき、胃酸を吐き捨ててしまいたくなる様な〝腐敗した血〟の匂いだ。
定まらない思考に、唯一理解出来るソレを得て重い瞼が軽くなる…本能のまま…何も違和感を覚える事も無く目を開くと、俺は――。
――ジィッ――
「ッ――!?」
其処に〝亡霊の姿〟を見た…いや、その亡霊が纏う〝死の気配〟を捉えただけだ…姿形は見えるが、その顔を視ることは叶わない…唐突なこの状況に、心臓が凍り付くような感覚に襲われた事を、覚えている。
「お前…は……!?」
身体を動かそうと意識する…だが、その思考に反して、俺の身体は動かない…。
――ポタッ…ポタッ…ポタッ…――
気が付けば、その亡霊は俺の身体に馬乗りになり…その身体を、顔を俺へと迫らせる…真っ暗な闇から零れ落ちる〝血〟が…俺の顔を伝い…そして。
――ピトッ…――
その指が…亡霊の凍る程冷たい指が俺の額に触れ、鼻をなぞり…喉を通る…そして。
――トンッ――
俺の胸の中心…忌々しくも先刻目の前の亡霊に貫かれへ触れると…その瞬間…。
――ズキンッ――
忌々しい〝痛み〟が…俺の胸を起点に全身へ広がってゆく…理解も追い付かぬ内に…その亡霊は闇へ溶け込み…俺の意識もまた、闇の彼方へ消えてゆく…そして、コレが〝夢〟で有ると知覚したその瞬間。
『―――』
俺は何かの音を聞き…その意識を完全に消失させる…。
――パチッ――
目が覚めると同時に、俺は息苦しさを感じて首に触れる〝ソレ〟に手を伸ばす…。
「ん……んん…」
「……ルイーナ…」
其処には、俺の身体へ手を伸ばし…小さく寝息を立てる彼女の姿が有り…俺は前日の夜の出来事を思い出す…。
「……」
――グッ――
寝息を立てるルイーナを置いて、ベッドを離れようとする…しかし、殊の外強い精霊の膂力に阻止され、俺はルイーナの腕に手を掛ける…。
「……ハァ…まだ〝黎明〟か…」
起こすか、起こすまいか…その2択に迫られ…逡巡の後に、俺は抵抗を止め、ルイーナの寝息に耳を傾ける…。
ただ…それだけの時間が過ぎて行く…窓から見える空の〝変化〟が、その時間の長さを物語るまでの間…俺はただの一つとして…〝あの悪夢〟についてを、思い出す事は無かった…。
●○●○●○
――ギィィッ――
「シルヴィア女王陛下」
扉を開けて、私が最も信頼する右腕が…私へ言葉を紡ぐ。
「何だ…レリオット」
私はその言葉にただ、そう問い掛け…その視線を〝ソレ〟へ落としたまま動かない。
「……〝レイド・バルクレム〟一行が、宿を出た様です…恐らく、後半刻もせず到着するでしょう」
「……そうか」
臣下の言葉へ、私はただ静かに…短くそうだけ応え…その手を、其処で〝眠る娘〟の頭へ触れさせて…沈黙する。
きめ細やかな髪、白く柔らかな肌…整った顔には、今は亡き〝父親〟の愛嬌を感じさせる…己と良く似た娘の、その儚さは、忌々しくも娘の身体に染み付く〝痣〟により、よりその神秘的で悲劇的な〝眠り〟を強調する。
「……レリオット…〝例の件〟はどうなっている」
「ハッ…本日中には入手出来ると…先方からは伺っております」
「――一月と経たずにか…流石、お前が良く利用する〝情報屋〟なだけは有る…良くやった」
「有り難き御言葉」
「――報酬に糸目は付けん、言い値で買い取れ…口止めは――」
「問題有りません…〝蜥蜴〟達は決して口外致しません…彼等の掟は絶対ですので」
「そうか…なら、良い」
レリオットの言葉に私は頷き…一先ず目の前に現れた希望へ微かな安堵を覚える…。
「〝女王陛下〟…そろそろ」
「……嗚呼…分かっている」
レリオットの言葉に、〝私〟はその手を引き…立ち上がる…そして〝我〟は改めて、レリオットへ命じる。
「――レリオット、娘の世話を頼む」
「承知致しました」
そして、見送るレリオットの視線を受けながら…我はその歩みを、己が座する〝玉座〟へと進めるのだった…。
○●○●○●
――ザッ…ザッ…ザッ…――
「〜〜♪」
その鼻歌に、多くの者が視線を集め…その姿にざわつく。
「おい…アレって…」
「嘘だろ…初めて見た…」
その姿を見た者は皆、一様に口を揃えて感嘆の声を紡ぐ…その視線の先には、四人と一匹の〝一団〟が居た。
「〝上位精霊〟…何て美しい御姿だ…」
ある者は、鼻歌交じりに道を跳ねる美女の姿に見惚れ。
――ザッ…ザッ…ザッ…――
「「……」」
「――へぇ…まだ若いのに、やるじゃねぇか」
「あの餓鬼もだ…見かけ以上に〝強い〟ぞ?」
また、ある者はその背を追う〝二人の少年少女〟に興味を覚え。
――バサッ…バサッ…――
「ギギャアッ?」
「オイオイ、見ろよアレ…」
「マジかよ〝竜〟か?…竜の使い魔とか初めて見るぞ…?」
また、ある者は彼等の周囲を悠然と舞う〝小さな竜〟に視線を奪われる…そして。
――〝ザッ…ザッ…ザッ…ザッ…〟――
その場に居た…大半の人間が、息を呑む…彼等の一団の中で…取り分けて強い〝威圧感〟を放つその男の気配に呑まれて。
「……」
――ジロッ――
その視線を受けた者達は、その口を閉じ視線を逸らす…その視線は、彼等一団へ向けられる微かな邪気に反応し、その凍える程冷たい視線は、そんな邪気を意いともも容易く払い除けて行く…。
そんな、人々の目を引く〝一団〟は衆人に一切の関心を払うこと無くその歩を進め、大通りを通り過ぎて〝王城〟へ向かう…やがて、その背は数多の人の背に掻き消され、その姿を無くした街道は、不思議な沈黙の後…何時もよりほんの少し活気に満ちた雰囲気で、日常の中へと戻っていくのだった。




