第4話 ネレアと猫
「きゃあああ!」
路地裏から悲鳴が聞こえたが、俺の他に人などいない。チッ、しょうがねぇな……そう思って引き返し、声のした場所を覗き込んだ。
そこにはクレアと同じ踊り子の衣装を着た女がいた。そして、猫の口から溢れる大量の涎に、文字通り襲われていた。涎の量は見た目だけでざっと猫の倍の量はある。明らかに普通じゃない。間違いなく怪物だ! 俺は咄嗟に猫の口を目掛けてナイフを投げつけた。
びしゃん!
次の瞬間、猫の体を守る様に、女の体を覆おうとしていた涎が集まった。そして瞬く間に、涎は膜状となり、投げつけたナイフを弾いた。
くそっ、届かねぇのか……だが、俺の狙いは正確だったことが、怪物の次の行動で証明された。猫は女を飲み込もうとしていた涎を口に戻すと、俺に直接飛び掛かってきたのだ!
戻さないと動けない。猫の方を攻撃して激昂して襲ってくる、つまり……この怪物の本体は猫で間違いないってことだ! だけど、同じ攻撃をしても弾かれるのがわかっている現状からどうする?
とりあえず、真正面から飛び掛かってきた猫の横の壁に向かって飛び、壁を蹴って猫の頭上を通り過ぎ、女の横に着地する。そして倒れたまま動かない女に対し、背中をポンと叩くようにして声をかけた。状況が知りたい。
「おい、大丈夫か?」
「あ、は、はい……あ、ありがとうございます……!」
女は俺に声を掛けられてようやく気が付いたように俺の方を見る。そこで気づく。金髪で、褐色の肌の女……もしかしてネレアか?
だが、今、名前を確認している場合ではない。俺は手を差し伸べながら聞いた。
「立てるか? 逃げるぞ。対処がわからん」
「それについては、多分」
ふっ……!
割って入る様に動物の荒い呼吸音が聞こえ、俺は咄嗟に彼女を抱えた。
「わりぃ、先はこっちだ!」
女が全てを話し終わる前に、怪物が再び俺達に向かって飛び掛かる。俺は彼女を抱えたまま体をずらして何とか避けた。
「あ、わりぃ。こういうの嫌か?」
「だ、大丈夫です……」
俺が手を離すと彼女は自力で立ち上がり、一度首を横に振ってから怪物の方へと体を向け警戒の構えを見せた。
「で、対処はわかるのか?」
そう聞くと視線だけ俺に戻し、考えながら呟くように言う。
「えっと。多分……寄生、されてるので……本体を潰すしかないかと……」
そこまで言うと彼女は再び視線を怪物へと戻した。先ほどまで少しボーっとした印象だったが、今、その怪物を見る目はしっかりと相手の動きを探る、慣れている人間の目だ。
ふむ。この女。怪物の対処法を知ってる上に、この態度は明らかに冒険者だな。多分ネレアだとは思うが……違ったとしても踊り子の格好してて冒険者なら多分リヴェリアの関係者だろ。俺は内心ほくそ笑む。ちょうどいい。ここは恩を売っておくか。
「んじゃ、あの猫をやっちまえばいいな!」
まずは相手の特性だな。俺は素早く懐からナイフを三本取り出し、一本一本狙いと力加減をずらしながら放った。
ぴちゃん……
怪物の動きは速かった。猫は大きく口を開けると再び大量の涎を展開する。そして放った三本のナイフは猫の吐き出した涎の張った膜に受け止められてしまった。どうなってんだ、あの涎。展開までのスピードもさることながら、柔らかさを生かして勢いを殺しやがる。突き破るのは俺じゃ無理だ。そうなると、あの涎を避けて本体にあてる必要があるのか……結構難しいな。いや、だけど広げるには限度がありそうな感じはあった。量にもおそらく限界はある。多方向から攻めれば行けるか?
猫がこちらに警戒しながら体を震わせている様子を見ながら、少し考えているとネレアが俺のフードの裾を引っ張った。俺は視線をネレアへと向けた。
「あ、あの……」
「うん? どうした?」
「ナイフは、まだありますか?」
ネレアはもじもじとしながらナイフをねだった。一瞬戸惑う。しかし、すぐに理解する。そうだ、悔しいがクレアのやつとナイフの投擲勝負で負けてるんだ。で、こいつはその相方みたいなやつ。その上でナイフをねだるってことは……
「あるぜ。ほら」
俺がそう言いながらナイフを一本差し出すと、ネレアの表情がぱっと明るくなった。
「あ、ありがとうございます! では、その……」
「俺が上から。あんたはそこから。いけるか?」
「はい!」
これだけの指示で理解できるってことは戦い慣れもしてるってことでよさそうだな。正直助かる。自然と表情が緩む。
「んじゃ、指示出すから合わせろよ」
「任せてください!」
ネレアの元気のいい返事に頷くと、俺は怪物の正面へと駆けだす。すると猫の怪物は、俺を包み込むように涎を展開した。それを見た俺はその手前で大きく上へと飛び跳ねて躱すと同時に懐からナイフを取り出す。猫は大きく目を見開く。あいにくだったな。俺は元々ナイフは消耗品のつもりでいつも十本は持ち歩いてるんだよ! そしてちらりとネレアへ視線を移す。ネレアは小さく頷き、ナイフを構えた。
俺が視線を猫に戻すと、ちょうど猫が俺を見て涎を上へと動かしたタイミングだった。
「今だ!」
「やあ!」
シュン! ブンッ!
俺は合図と同時にナイフを投げる。そして俺の合図に呼応し、ネレアもまた不意打ち気味にナイフを投げつける。俺の軽いナイフの投擲音と、ネレアの豪快な投擲音が重なり合う。……豪快な? 何でナイフの投擲音でそんな音が鳴るんだ?
俺の疑問の答えはすぐに形となった。
猫の怪物は二方向からの同時攻撃に対応しきれず、頭にネレアの投げたナイフが突き刺さる。猫は大きく後ろへ弾かれるように倒れると、ピクリと体を震わせてから絶命した。その瞬間、俺を襲おうとしていた涎がまるで弾けるかのように消え去った。
なんだったんだ、この怪物は……そう思いながらもひとまず、俺は猫の頭からナイフを引き抜こうとした。しかし、抜けない。がっちり刺さっている。
……俺は目を丸くして、ネレアの方を見た。その表情を見て、ネレアは少し照れくさそうににこやかに頭を掻いていた。そして一言。
「すみません。その子は……クレアの猫なんです。えっと、ご存じですよね? クレアの事」
俺が目を見開くと、ネレアはまた頭を掻く。
「やっぱりそうですよね。あの時、酒場にいた人ですよね? とりあえず、その猫と、怪物の話、させていただいてもいいですか? 私も、貴方からクレアの事を聞きたいので」
そういってネレアは猫からナイフを引き抜き、拭うと俺にナイフを手渡した。そして、完全に息絶えた猫を両手で抱えるように持ち上げ、優しく撫でながら呟いた。
「ごめんね、こういうことだったんだね。気づいてあげられなくて、ごめんね」




