境界
遺跡の奥に、小さな部屋があった。
アルヴィは扉の前で、三秒だけ立ち止まった。
百年分の「会いたい」と「会わなくていい」が、今も同じ場所にあった。ブラートではない。あの男には、さっき、会えた。会えない方の名残が、この扉の向こうにある。どちらかが勝ったわけではなかった。ただ、扉の前まで来てしまった。それだけが、事実だった。
アルヴィは扉を開けた。一人で入った。
部屋の中に、気配があった。形はなかった。でもそこにあった。かつて確かにあったものが、今は輪郭だけになっていた。輪郭も、ゆっくり薄くなっていた。
アルヴィは立ったまま、それを見ていた。
「長かったな」
アルヴィが言った。
返事はなかった。返せる状態ではなかった。でも聞こえたかどうかは、分からなかった。
気配が薄くなった。薄くなった。
ある時点で、アルヴィには境目が分からなくなった。まだあるのか、もうないのか。部屋の空気と、どこで分かれているのか。
アルヴィはしばらくそこに立っていた。
扉の外で、ブラートは壁に背を預けて立っていた。カイも、少し離れた場所にいた。
急いでいなかった。焦ってもいなかった。ただ、そこにいた。
カイはその立ち方を見ていた。長く待つことに慣れた人間の立ち方だった。どれだけ長く、とは分からない。ただ、自分とは、桁が違った。
何も言わなかった。言う必要がなかった。
「行ったか」
ブラートの声がした。扉越しだった。
アルヴィは、暗がりへ目を戻した。
「分からない」
「そうか」
扉の外から、声が返ってきた。今、確かにそこにある声だった。
扉の内には、それがなかった。さっきまであった輪郭も、もう何も返さない。
同じ部屋の内と外で、こんなに違った。片方はまだ会える。もう片方は、もう会えない。
しばらくして、別の足音が来た。軽い足音だった。
「アルヴィさん」
リラだった。扉の外から声だけが来た。入ってこなかった。
「なんですか」
「外に出たら、ハーブの茶があります。シオン提督が、城から持ってこさせたそうです」
アルヴィは少し間を置いた。
「そうですか」
「カイさんが、早く出てこいと言っています」
「カイが」
「言っていません。でも、そういう顔をしています」
アルヴィは、その言葉を聞いてから、もう一度だけ部屋の中を見た。
細い光が、床の一点を白く照らしていた。その光の中に、何かがあった。あったのかもしれなかった。もうないのかもしれなかった。どちらでも、よかった。
アルヴィは出口の方を向いた。
扉を開けると、ブラートがそこにいた。リラが隣にいた。少し離れた場所に、カイがいた。こちらを見ていなかった。壁の文様を見ているふりをしていた。
アルヴィはカイを見た。
カイは壁の文様から目を離さなかった。
「行くか」
ブラートが言った。
アルヴィが頷いた。
五人の足音が、遺跡の石畳の上で重なって、出口へ向かって続いていった。
アルヴィは歩きながら、杖を持ち直した。いつもと同じ持ち方だった。ただ、少しだけ軽かった。
ブラートは、その横顔を見なかった。見なくても、分かっていた。
百年前、戦いが終わった夜に笑った顔を、ブラートはまだ持っていた。どこにしまったわけでもない。消えなかっただけだ。消えないまま、今日まで来た。
それだけのことだった。
出口の光が近づいた頃、前を歩くブラートが何か短いことを言って、カイが「うるさい」と返した。
それから——カイが、笑った。
声は立てなかった。ほんの一瞬、口の端が動いただけだった。戦いが終わった後の、力の抜けた笑い方だった。
リラは、それを見た。
(静かな人が、笑った時の顔)
アルヴィの言葉が、胸の中で、置き場所を見つけた。何百年経っても消えない、とあの人は言った。
(……分かる気がする)
リラはその顔を、胸の奥にしまった。本の中ではなく、自分の中に。




