影の兆し
要塞都市の建設が軌道に乗り始めた頃、シオンはナイラ女王の要請を受けて、近隣のヴェルダ国へと外交接触を図っていた。エルト王は若く、善意の人間だった。星海の技術に関心を持ちながらも、急かさない。シオンはその慎重さを、悪くないと思った。
ヴェルダ国の城門は、石造りだった。
切り出したばかりのような白さではなく、長い年月が染み込んだ灰白色だった。石の一つひとつに、積まれた時間の重さがある。カイはその色を見ながら、エルド・ラインにも似た城があったことを思い出した。名前は出てこなかった。戦場として覚えている場所の名前は、時々そうなる。地形だけが残って、名前が抜ける。
「思ったより小さいな」
カイが小声で言った。
「聞こえますよ」
エリオが同じ声量で返した。隣を歩きながら、視線は城門の上部を確認していた。見張りの数と配置を読んでいる目だった。
城門の前に、人が出て待っていた。若かった。礼服を着ているが、どこかまだ慣れていない着方だった。しかし姿勢は真っ直ぐだった。背筋を意識して伸ばしているのではなく、自然にそうなっている。笑顔は本物だった。それだけはすぐ分かった。
「よく来てくださった」
エルト王が言った。一行を見渡した後、視線がシオンで止まった。シオンは読書眼鏡の縁を一度だけ触った。
「あなたが、星の海から来た提督か。我が国では、賢者と呼ぶ者もいる」
「賢者、ですか」
シオンは口の端だけで、ごく短く笑った。
「魔術師と呼ばれるよりタチが悪いですね。賢者というのは、答えを持っていることになってしまう」
エルト王が笑った。作った笑いではなかった。
「答えをお持ちではない?」
「持っていたことが一度もない。いつも後から、なぜそうなったかを考えているだけです」
エルト王がまた笑った。今度は少し違う笑い方だった。最初の笑いより、少しだけ距離が縮まった笑い方だった。
「どうぞ、中へ」
第二章 夕食後の話
エルト王の私室は、思ったより質素だった。
暖炉と、椅子が二つ。地図が一枚、壁に貼ってある。この世界の地図だった。シオンは座りながら、その地図を一度だけ見た。手書きの歪みを含んだ、不完全な地図だ。衛星軌道スキャンのデータとは似ても似つかない。それでも、誰かがこの世界を記録しようとした痕跡が、一筆一筆に滲んでいた。
「単刀直入に聞かせてください」
エルト王が言った。杯を持っていたが、飲んでいなかった。
「星の航行技術を、この国で活かすことはできますか。農業でも、建設でも、医療でも。あなた方の知識が、民の暮らしを変えるなら、それを学びたい」
シオンは少し間を置いた。暖炉の音がした。
「難しい話です」
「難しい、というのは」
「技術は文脈の中にある。切り取って渡せるものじゃない。下手をすれば、土そのものを腐らせる」
エルト王は黙って聞いていた。反論しなかった。その素直さが、シオンには少し意外だった。同時に、あまりに空っぽで何物にも染まりうる危うさとも、紙一重だと思った。
「ただ」とシオンは続けた。「何が役に立つかは、もう少し見てから判断できる。今夜の答えは、そこまでです」
「それで十分です」
エルト王が言った。今度は杯を口に運んだ。
「急かすつもりはない。ただ、知りたかった。あなたが頭ごなしに断る人かどうかを」
シオンは答えなかった。断らなかった、という事実だけがそこにあった。
部屋の端で、カイはずっと黙っていた。外交の言葉というのは、こういうものか、と思った。武器を持たない交渉がどういう形をしているか、エルド・ラインでは見たことがなかった。シオンの言葉は静かで、断言しない。それでいて、相手を動かしている。剣より遅く、剣より深く刺さる言い方だった。
(使える、という計算とは、少し違う)
カイは自分でも気づかないうちに、シオンのことを値踏みしていた。値踏みして、手が届かないところにあると思った。戦場で生き延びる技術は持っている。でもあの男の持っているものは、種類が違う。
暖炉の薪がパチリと爆ぜた。シオンはこの世界のハーブの茶を一口飲んだ。冷めかけていた。




