表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
19/52

守るための覚醒

鉄の影が空を横切ったのは、たった一度きりだった。

砲火が割れ、要塞ヴォルケンの鼻先で白銀の光が炸裂して——防衛軍に、ほんの一息ぶんの猶予が生まれた。それが何だったのか、カイは知らない。味方だと名乗った者はいない。礼を言う相手も、すがる相手もいない。ただ、二度目は、なかった。

そして、その一息も、もう使い切られていた。頭上で、ヴォルケンの主砲が再び満ちていく。空を埋める出力は、桁が違う。退けたはずの敵は、ただ退いただけだった。要塞は、まだそこにある。防衛軍の翼は、また数を減らし、また押し戻され、また城壁へと追い詰められていく。

カイは腰のナイフを逆手に握り直した。リラの想像が纏わせた白銀の甲——念甲が、再び彼の身を覆っている。それひとつで、ここまで食らいついてきた。だが、甲ひとつでは、もう届かない。

守る、という一語だけが、頭の芯で鳴っていた。背の城壁には、守るべき者たちがいる。リラがいる。

カイには、目を逃がす癖があった。川面へ、虚空へ、いつも視線を滑らせて、まっすぐ見ないことで、自分を保ってきた。——けれど今は、逃がさなかった。迫る刃を、その奥の死を、正面から見据えた。逃げ場をなくした時、人はようやく限界の向こうへ手を伸ばす。

胸の奥で、ずっと黙らせてきた名が、せり上がってきた。失った相棒の名だ。今の乗機に乗り換えるより前——エルド・ラインの空で背中を合わせて戦い、最後に砕け散った、最初の念機。あの世界から落ちて以来、一度も口にしなかった名前。

その想念に、応えるものがあった。

城壁の上から、白銀の念威が、奔流となって降ってくる。リラだ。彼女の想像が、カイの内に眠っていた相棒機の輪郭をなぞり、空へと描き出していく。砕けたはずの機体が、散った光の粒を集めて、かたちを取り戻していく。念甲とは違う。身に纏う甲ではない。これは——機体だ。彼の、相棒だ。

カイは、その名を呼んだ。

「——ヴァルト」

光が彼を包み、機体の芯へと引き上げる。久しく空けていた席に、身体が収まる。指先が、機体の鼓動を思い出す。ヴァルトの念炉が、応えるように、低く唸りを上げた。

ジェイルの高機動隊が、戦のどさくさを縫って距離を詰めていた。ガルドスの旗は、もう掲げていない。数で押し、連携で潰す——理詰めの群れだ。ヴァルトが、その正面へ翼を向ける。念炉の唸りが、ひとつ、高くなった。

* * *

城壁の上で、リラは両腕を下ろせずにいた。

指先まで白銀が抜けていく。膝が笑った。本は開いていなかった。カバンは足元に置いたまま、底の三冊には触れてもいない。

——今度は、本じゃなかった。

本を介して力を呼ぶのとは、わけが違った。あいだに挟むものがない。だから、削れていくものが、まっすぐ自分の芯から持っていかれる。それでも、止める気はなかった。カイのヴァルトが、空にいる。彼女が、想像で、空へ返したのだ。

けれど、一機では足りない。ジェイルの群れは、ヴァルトを囲もうと連携を組み替えていく。リラは城壁の下へ目を落とした。打ち捨てられた古い機影——とうに役目を終えた、旧式の無人念機、ダーナ。誰も乗っていない。乗り手なら、いらない。

「——おいで」

残った念威を、ダーナの念炉へ流し込む。眼光が白銀に灯り、無人のまま、旧い機体が跳ね起きた。

無人のダーナは、軌道に法則を持たなかった。誰の癖もなく、次の挙動を帰属させる先がない。ジェイルは、数字で戦う男だ。練度も、機体の癖も、燃料の残りも、数にして先回りしてきた。その一機だけが、計算に乗らない。読もうと伸ばした手が、宙を掴む。

半拍の戸惑い。それが、隙になった。死角からヴァルトが肉薄し、光の刃がジェイル機の主翼を断つ。煙を引いて、隊は戦場の彼方へ退いていった。崩れたのではない。ただ、初めて計算が外れた——その手応えを、残して。

戦場が、静まった。

ヴァルトが、城壁のそばへ高度を落としてくる。装甲の隙間から、カイの横顔が見えた。張り詰めていた線が、わずかにほどけている。——笑っている、のかもしれなかった。あの、めったに笑わない男が。

リラは、それを見上げた。

(……いつから、こんな顔ができるようになったんだろう)

けれど、その静けさは、嘘だった。頭上で、ヴォルケンの影は、ひとつも動いていない。退けたのはジェイルの群れで、要塞ではない。カイが覚醒しても、ヴァルトが還っても、あの本体には、爪の先すら届いていない。

リラは、自分の想像の底を、初めて覗いた気がした。本を介さない力には、限りがある。震える指が、ひとりでに、足元のカバンへ伸びかけて——止まった。

底に眠る、三冊。ずっと守ってきた、まだひらいていない、最後の物語たち。

まだ、触れない。

頭上では、重なった二つの空の境目が、要塞の影を抱いたまま、ゆっくりと脈打っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ