星の海から
浅い眠りの底で、輪郭が来た。
ひとつは気高く、静かで、重い。ひとつは赤茶の——感情が激しく波立つ輪郭。どちらも知らない顔なのに、知らない顔ではない、と深いところの何かが告げる。声も言葉もなく、ただ引かれていく感触だけが確かにあった。
目が覚めた。額に冷たい汗。
シオンは冷めた黒檀茶を呷り、「疲れているな」とだけ片づけた。説明のつかないものは引き出しの奥へ押し込む。歴史家になりたかった男の、それが癖だった。
だが星海は、彼を眠らせなかった。次の夜も輪郭は来た。とりわけ赤茶の方が、夜ごとに近くなった。言葉にしようとするほど遠ざかるくせに、眠るたびに、確かに近くなった。
そして、星海が裂けた。
羅針盤の針が、ない方角を指した。艦の魔力回路が悲鳴を上げ、数万里に連なる艦隊の全艦を、白銀の光の波が静かに貫いた。光が収まった時、舷窓の外の漆黒に——世界があった。緑と土の色が滲み、雲があり、海があり、山の稜線が走っていた。星海の下に、別の空が重なっている。
「……やれやれ」
副官のエリオが淹れた黒檀茶は、温かかった。自分で淹れるといつも冷めて苦くなるのに、と思いながら、シオンは眼下へ目を戻した。
戦が、あった。空の高みで要塞が火を噴き、歪んだ魔力をまとった機体が、防ぐ側の軍を押し込んでいる。誰が誰かは分からない。ただ、押されている側がもう長くはもたないことだけが、戦を見慣れた目に伝わってくる。
そして——その防がれている城壁の上に、小さな影がひとつ見えた。
距離も高度も、見えるはずのない遠さだった。なのに、見えた。カバンを胸に抱えた、赤茶の髪。
夢の輪郭が、胸の奥で強く鳴った。
(……君か)
名前は知らない。顔も、まだ像を結ばない。それでも、毎夜こちらを引いていたものがあの小さな一点だということだけは、疑いようがなかった。
「エリオ。艦隊へ。少しだけ手を貸す——墜とすな、退かせるだけでいい、と」
「殺さずに、ですね」エリオが復唱した。
殺さずに勝つ。それが彼の流儀だった。旗艦ペレグリンと僚艦が滲んだ下層の空へ白銀の影を差し向け、砲は当てるためではなく、網を張り、進路を塞ぎ、要塞の鼻先で光を炸裂させて、たじろがせる。一機も墜とさず、ただ間合いを割って、息を継がせた。
手を貸せるのは、ここまでだ。二度はしない、と決めていた。あとは、あの空の下の者たちの問題だった。
「使える」——口にしかけて、シオンは言い直した。「いや。信頼できるか、どうか、だな」
まだ名も知らない、城壁の上の赤茶に向かって。何万もの命を動かす席にまた腰を据えてしまったことを思いながら、シオンは捻じれた宙域へ目を戻した。赤茶の引きが、まだ胸の奥で鳴っていた。名のないまま、遠くで、こちらを呼んでいた。




