表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
11/52

見知らぬフェアリー

日が傾きかけた渓谷の街道は、両側の岩壁が夕光を吸って、橙色に染まり始めていた。足元の砂利道が、踏むたびに乾いた音を立てる。日が落ちる前に次の町の輪郭を掴んでおきたい——二人が黙って急いでいたのは、そういう理由だった。

その頭上から、突如として、信じられないほど甲高い声が降ってきた。

「——カイーーーーーーッ!!!」

「ぶふっ!?」

カイが振り返る間もなく、「光の塊」は彼の頬へと弾丸のように激突し、そのまま髪をぐしゃぐしゃに掻き回し始めた。

「探したんだから! 探したんだからね、カイ!」

「痛っ、ててっ! 暴れるな! 引っ張るなって!」

カイは顔をしかめながら、自分の頭にくっついて泣きじゃくる小さな影を、指先で引き剥がした。

背中に透き通った羽を生やした、手のひらサイズの少女——フェアリーのティアだった。

「ティア……! 無事だったのか……!」

カイの口元に、戦士ではない、等身大の安堵の笑みがこぼれた。

リラは、その瞬間を見た。いつもカイが笑う時——それは苦笑か、不敵な笑みだった。だが今のカイの顔は、そのどちらでもなかった。力が、抜けていた。戦士の顔では、なかった。

(こんな顔をするんだ、この人は)

「……どうやって俺を見つけた」

「思念の流れを追ったら当たりだった! カイの思念の色、どこにいても分かるもん」

ティアはカイの肩に乗り直し、それから、少しだけ声を落とした。

「……でも、変だったよ。カイの思念の流れ、ずっと前からこっちに引っ張られてたみたいで。私のいた場所からでも分かった。何かに呼ばれてたんだよ、カイ」

カイは、黙った。

「……あ、そうだ! 聞いてよカイ、ヴェルナがね——」

ティアはカイの肩の上に座り直し、息を吸った。

「ヴェルナ、カイがいなくなってから、地図を三回も書き直してたよ。ぜんぶ自分で。誰にも手伝わせないで、ひとりで机に向かって、ずーっと。声かけたら、うるさいって言われた」

カイは一瞬目を細めた。何も言わなかった。ただ、小さく息を吐いた。

その名前が、空気に溶けた。

リラの胸の奥で、何かが一瞬だけ静止した。うまく言葉にできない。痛いわけでもない。ただ、呼吸が半拍だけ遅れた感じがした。「ヴェルナ」という名前が、自分には関係のない音のはずなのに、なぜか耳の奥に留まって、消えなかった。

(……誰かしら)

リラはとっさに、この感覚に名前をつけようとした。物語の言葉で包もうとした。きっとこれは——遠い国に残してきた「剣の乙女」への、戦友だけが持つ特別な——

物語が、うまく見つからなかった。

鎧が、合わない感じがした。

「カイ、浮気者! ヴェルナに言いつけるわよ!」

カイの反応は、リラが今まで見たことのない速度だった。

「なっ……!? 変な誤解を生むようなことを言うな!」

ちらり、とカイの視線がリラに向いた。一瞬だった。頬が、わずかに赤かった。

リラはそれを見て、また一瞬だけ、あの半拍の遅れを感じた。

自分が入る隙がない、というよりも——そこに入ることを、自分が想定されていない、という感じだった。

(二人の間に、時間がある)

積み重なった時間の匂いがした。自分とカイの間には、まだ、それがない。それが寂しさなのか、別の何かなのか、リラにはまだ分からなかった。ただ、目を離せなかった。

「カイ、リラのことは気に入ったわ!」

ティアはリラの肩に、するりと飛び乗った。

「あなたが、カイのお姫様?」

「い、いいえ、私はただのリラよ! 翠野農場のリラ!」

「あら、カイと同じこと言う。カイも、自分のことを、ただの居候だって言うから」

リラは、思わずカイを見た。カイは、視線を逸らした。

「……やれやれ。余計なことを言うなよ、ティア」

「なんで? 本当のことじゃない」

「ティア、あなたの言う通りよ。私はあなたのお姫様でもなければ、ロマンチックな薔薇の誓いを交わした仲でもないわ。私は、あなたの『地図』になるって約束した、ただのパートナーですもの!」

「リラ、お前まで何を言い出すんだよ……」

ティアはリラとカイを交互に見て、それから、小さく首を傾げた。

「カイの色、リラといる時だけ、少し変わるね。分かんないけど」

ティアはそれから、リラの顔をじっと見た。羽が小さく傾いた。

「……リラの色も、へんなの」

「私の?」

「この世界の人の色と、ちょっとだけ違う。カイとも違う。カイのは遠くの色。リラのは——」ティアは首をひねった。「分かんない。はじめて見る色」

「あら。……私、ただの農場の子よ?」

リラは笑った。ティアは笑わなかった。でもすぐに別の話を始めた。フェアリーの興味は、長く一つ所に留まらなかった。

リラは答えなかった。答えようとして、物語の言葉を探して、見つからなかった。

ティアはリラの耳元で、ひそひそと囁いた。

「ねえリラ。カイってさ、ひとりの時、全然笑わないんだよ。知ってた?」

リラは、答えなかった。

知っていたかどうか、分からなかった。でも、聞かれた瞬間に、薪を割っていた背中のことを思った。声をかけたいと思いながら、かけられなかった夜のことを。あの時見ていたのは、笑っていない顔だった。笑っていないとは、その時は思わなかった。ただ、目が、離せなかった。

それが何だったのかを、リラはまだ、言葉にできなかった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ