349 第六:「偽剣」(2)
どうぞ。
意識が途切れていた時間が、長かったのか短かったのかは判然としない。
「おや、起きられましたな。てっきり、封印が解ければ命も尽きてしまうものかと」
「……そんなことはないさ、寿命までは生きられる」
先代が十年ほどで死んだのは、彼の寿命がすぐそこに来ていたからである。
「ごめんなさい、封印を解いてしまって……でも、この街を放っておけなかったの」
「君たちは、……なんだ?」
顔をヴェールで隠したドレスの少女に、レオタードの上から鎖を巻いた破廉恥な少女、白と青の騎士装束に身を包んだ少女と、サムライ風の赤い少女。背恰好はばらばらだが、年の頃は娘盛りを少し過ぎたあたりか……傭兵団にいるものにしては言葉遣いが大人しく、正教会の戦士としては服装に統一感がない。
「私たちは「旅人」。外なる世界のひとつから来た、この世界の味方」
「外なる世界から、か。あれと似たようなものを、いったいどうやって信用しろと言うのかな」
「私たちもまた、人です。力が大きくても、人の心、人の考えしか持っていません。あの「懐胎の偽神」を討つのに……お力添えをいただけませんか?」
『みんなーぁ。おかあさんのこと、きらいなのーぉ?』
乳房を無数に並べて子宮を象ったような、あるいは肉色のブドウにも見えるおぞましいそれは、命を己の陰裂から喰らって赤子に戻し、己の力を与えて産み直す化け物であった。その力を享けたものは、外なるものどもと同等に厄災をもたらし、いずれこの世界を引き裂く亀裂のもととなる。
「地上で、私の親友が魔王虫の群れと戦ってるの。こいつらの影響で出てきたから。このままじゃ、また峡谷が増えて、この大陸に人が住めなくなる」
「俺の知る歴史の先を、知っているのか……」
ジュリオの知る歴史において、フェルニコラズ付近から出現した魔王虫は、何かを追いかけて地下に進んだ結果、大陸の大きな地下水脈と霊脈を寸断した。急速に衰退が進んだ原因が人類にあると知った鉱竜は、魔王虫討伐のちフェルニコラズの住民に対し報復を行った。それが原因になって、住民たちは「懐胎の偽神」召喚に至り、自ら進化しようとした。それを封じたジュリオごと、街の歴史は止まったかに思われた。
(……ああ)
ある学者が言っていた――人は日々少しずつ中身を入れ替えている。汗や涙はその証拠で、食事や水分補給で取り込んだ「新しい体」を作っては、古い体をそうして廃棄しているのだ、と。風呂に入って出た汚れは、古くなって捨てた体なのだと。……そのサイクルが止まったのち、人は捨て置かれた肉塊と同じような経過をたどり、腐って崩れてゆくのだ、とも。
もっとも近くでキノコに覆われた、こちらへ手を伸ばすような骨には覚えがあった。強引な進化を恐れていたせいか、ただ一人声掛けに反応し、球形の檻の中から「助けて」と懇願してきた少女のものだった。あの球形の檻はもはや影も形もなく、バラバラに転がった骨は、液体の中に浮遊したまま腐りゆく白い体を想起させた。地面に落ちて砕けた頭蓋骨には、利発そうな眉も、黒々と豊かな髪も、一すじも付いていなかった。ジュリオが進化を止めたがゆえに起きたことであった。
「俺が前に出る。……一人でも生存者がいないか、確かめてくれないか」
「……分かりましたぞ。あたしたちも強いのですが」
「子供を戦場に立たせるわけにはいかない。“神殺し”を、信頼してくれ」
「ええ、分かったわ」
とてつもない量のバフを受けて、ジュリオは鬼神のごとく戦った。己の無力を思い知ることは、それまでの人生で幾度もあった。しかしながら、己が殺した、己の責であるとこれほどはっきり思い知らされたことはなかった。
(男は泣かない。父さんも母さんも、村長も。勇者も……子供の前では、決して涙を流したりなど――しなかったじゃないか。俺は、泣いてなど)
己の頬を伝う液体は、羊水である。喉も裂けよと叫ぶ声は、義憤と勇猛の証である。激しい攻め立て方は、もっとも恐ろしい敵に対する警戒である。幾度も繰り返した自己欺瞞が破れていることに、ジュリオはとっくに気付いていた。
戦いが終わったのち、彼は少女たちをまっすぐ見ることができなかった。かんたんに礼を言って、砂漠をさまよった。救うべき人もおらず、倒すべき敵もいない。峡谷の下に降りて洞窟に入り、あてもない旅を続けた。やせ細っていく体を自覚してはいたが、死なないこともまた理解していた。勇者という生き物は、この程度では死なない。行き会うモンスターを狩っては喰らい、生きた。
そうして、因縁の相手と出会った。
「お前……まさか、“勇者ジュリオ”」
「お前こそ……! なぜ生きている、毒の魔女!」
腕足を斬り飛ばし、吹き飛んだ体に胞子を感染させていた――崖の下に落ち、急流に流されたその命が助かることなど、あろうはずもなかった。ところが、ローブをめくったそのあまりの異形に、ジュリオは戦慄した。
「なんだっ、その姿は……!?」
「スライムと融合して、生き永らえたのよ。うふふ、その視線もキモチイイわぁ」
腰骨と臓物の浮かぶスライムは、女陰のようにひくひくと震えている。事実として似たようなものなのか、男に抱かれて悦楽にとろける女のように、ゼェギアという女は頬を赤く染めて喘いでいた。
「レベルが8142まで上がったの。これも、毎日人の罪を雪いであげていたおかげねぇ。キレイにすることは、とってもキモチイイのよ」
「……これも、俺の罪か。決着が中途半端だったせいで」
こん、と地面を叩いた。
「な、に」
「人には使うまいと、先代がそうであったようにと、……己の中で誓っていた」
菌糸は、虫たちと協力して、大きな朽ち木も分解してしまう。その腐敗・分解の法則は、万物に当てはまり、動物の死後にも避け得ず起こる事実でもある。どのような劇物や毒物が含まれていようが、例外はない。
ゆえに。
「朽ち果てろ」
「やっ、やぁ、え? 毒がっ、能力が……何も、なんで」
自らの体を腐敗に侵されていく感覚が、いかなるものなのか。使い手を侵すことはない力ゆえに、ジュリオには知りようがないことである。付き人があげる悲鳴が、命数の大きさゆえに苦悶が長く続く魔女の絶叫が、幾度もこだました。
「正教会に、接触しなければ」
死滅と分解を見届けたのち、ジュリオは歩き出した。
今度こそ、罪を犯さぬように。




