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Esperanto  作者: 葱鮪命
ベティ編
6/43

施設内見学

「......何よ」

 声を聞かずとも匂いと仕草で大体の人物が分かった。ベティの声は不機嫌になる。


「暇なら手伝って欲しいことがあってな」

「暇じゃないわよ。これから行くところがあるんだから」


 ベティは目の前を覆っているものを払い除けた。後ろにはやはりベルナルドが立っていた。


「そうか。医務室にはもう顔を見せたようだが」

「......あの医者何者? 免許剥奪って、患者でも殺したの?」

「訳がある。だが深く追求するつもりもない」


 ベルナルドは淡々と言った。ベティは「そう」と曖昧な返事をして、


「手伝って欲しいことって何」


 とぶっきらぼうに聞いた。


「ある情報が欲しい。B.F.の構造で気になるところがある」

「はあ? そんなの知らないわよ。私医務室に居る時間の方が圧倒的に多いんだから」

「そうか。ならチェルシーにでも聞くか」

「ちょっと待って」


 歩き出そうとする彼をベティは呼び止めた。


「あの子に銃を持たせて何してるの? まさかとは思うんだけれど、あんな小さな子に人を殺させてるんじゃないでしょうね」

「エスペラントの収入源は戦争への戦力の提供だ。あいつもその一人になるだろうな」

「馬鹿なこと言ってんじゃないわよ」


 ベティが彼に詰寄る。


「あんな小さな子を戦地に狩りだそうって言うの? エスペラントって戦争で金儲けしてるの? そこまでして欲しいの? 永遠の命」

「ああ、そうだ」


 ベティに対してベルナルドは冷たい目を細めた。


「人間の長い夢だろう。死者の国になど行くものか。我々は永遠にこの世に残り続けることを求めている。そのためには実験とその実験を行う金が必要だ。貴様は政府の脛を齧って何不自由なく実験を行えても、我々はそうじゃない。一から全て築き上げてきた誇り高き会社だ」


「でもその中で人を殺してるくせに。聞いたわよ、ベルナルドは気に入らないやつを片っ端から殺すんだって。それってアンタ、矛盾してるわよ。誇り高いなんて歌ってるくせに笑えるわ」


「実験の邪魔者に命の価値などあってたまるか。永遠の命という目標を共に持てないものは死を欲しているということだろ」


「何を言ってるのかさっぱりだわ。私はアンタの頭にはついていけないみたい」


「難しいことは言っていないはずだが、まあいいだろう。俺は射撃場に行く。キュルスにも用があることを忘れていた」


 ベルナルドはそう言ってベティから離れていった。冷たい目が甘い色を孕むのを彼女は見逃さなかった。圧倒的に女の扱いを心得ている様子だ。その場に取り残されて、ベティは髪を掻き毟った。


 本当にこの会社は何なのだ。こんな会社に政府が介入しないのもよく分かる。


「はあ」


 ベティが大きなため息をつくと、


「ベティ、こんなところで何をしているの?」


 昼休憩なのかエリゼが遠くからやって来た。


 *****


「そうなの。ベルナルドはきっとベティから色々な情報が欲しいのね。彼はチェルシーにも最初は聞いていたけれど、彼女から得られる情報が少なかったから他の手をとったんだわ」


「私が何にも情報を吐かなければどうなるの?」


「きっとまた他の職員を連れてくるんだと思うけれど......彼は案外強引だから、ベティもこのままだとまずいことになるかもしれない」


 此処はカフェの隅にある二人がけの席だった。周りに会話の内容を聞かれないように二人は声を潜めて話をしていた。


「まずいことって、例えば?」


「実験室に連れていかれて、脳の中を覗かれるのかも。ベルナルドの実験って脳の解剖を中心としているの。それも記憶の部分をね。正確に盗みとる技術を彼は数年前に編み出したのよ」


「そんなの世間に広まったらノーベル賞よ」


「それどころか、全人類の記憶も彼に盗まれちゃうかもしれないわ。実際何処までが盗める範囲なのかは正確に明かされていないんだけれど......彼と全ての情報を共有しているのはフランチェスカだけだから」


「ああ......」


 彼女の名前を聞いたベティの顔が、一瞬で不機嫌なものになるのを見て、エリゼは笑った。


「もしかしたら資料室に色々な情報が眠っているかもね」

「資料室......私、キュルスに一番最初に連れて行ってもらったわ」

「そうなの。彼は最近鍵を持ち始めたの。ベルナルドのお気に入りだから」

「あいつ、ナッシュの弟なの。知ってた?」

「ナッシュ?」


 エリゼが少しだけ考えているのか間を置いて、「そうね、そういえばそうだったかも」と頷いた。


「彼はこの施設に居て幸せなのかしら」

「私よりは幸せよ、きっと」


 エリゼが微笑むと料理が運ばれてきた。二人は会話を止める。


 完全にウエイターが下がったのを見て、エリゼは自分の胸ポケットに手を入れた。そして、


「ベティ、午後の予定は?」


 と問う。


「射撃場を見に行こうかな、って」

「じゃあ、ついでに資料室も見てくるといいわ。キュルスが居てきっとゆっくりしていられなかっただろうから」


 そう言って彼女はハンカチを差し出してきた。手に取ると中に鍵と小さなメモ用紙が挟まれていた。


「暗証番号よ。他の部屋のも書いておいた」

「でも......いいの?」

「もちろん。全て数字は頭に入れて、その紙は破って捨てるといいわ。ベルナルドに見つからないようにね。あなたも情報が必要なんでしょう?」

「それは、そうだけれど......」


 彼女の前向きに協力をしてくれる姿勢にベティは驚いた。本気で彼女が此処から出たいと思っているのが伝わってきて、ベティはハンカチを素早く自分の服のポケットに突っ込む。


「彼が動き出す前に動いておかないと」


 エリゼがようやく料理に手をつけたのを見て、ベティも彼女に倣ってフォークを手にした。


 *****


 エリゼとはカフェの前で別れた。ベティはハンカチが落ちないか何度も確認をして射撃場に向かった。


 B.F.では銃を持つ機会はなかった。あんなに物騒で、直ぐに怪我をしそうなものを自分から手にするやつの気が知れない。が、ブライスはB.F.の制度に、自衛という手段で銃の扱い方をを取り入れて、研究員たちに銃を持たせた。

 確かに得体の知れない超常現象を相手にする上で自衛はとても大切なので、彼の判断は間違っていなかっただろう。


 だが、仲間内での撃ち合いが今にでも始まってしまいそうで、ベティは気が気ではなかった。


 射撃場はモールから少し外れた道を歩いた。廊下は何処も人気がない。だが、さっき一度すれ違った男性が白衣ではなく、茶色の動きやすいつなぎのようなものを着ていたので、おそらくこの先が訓練場に繋がっているのだろう。


 進んでいくと銀色の自動ドアが現れた。難しい機械は特になく、どこにでもある普通の自動ドアのようだ。


 ベティが近づくとそれは音もなく開いた。すると、耳を劈くような銃声が廊下に漏れ出てきた。ベティは思わず肩を竦めて目を細める。


 扉の向こうは白い綺麗なタイルではなく、土だった。コンクリートである程度足場はあるがあとは全て土という、今までの部屋とは全く雰囲気が異なっていた。

 部屋の大きさはB.F.の実験室の中でも最も広い部屋に匹敵する程だった。その部屋にはダンボールを一回り大きくしたような硬いブロックが積み上げられたものがいくつもあり、武装した兵士がほふく前進をしたりその影で銃を構えたりして訓練を行っていた。

 いかにも軍隊といったその景色にベティは目を奪われる。


「アンドレ!! 前に出すぎだ、下がれっ!!」

「はい!!」

「ハビエルは遅すぎだ!! お前は芋虫か!!」

「すみません!」


 部屋の中に怒号が飛ぶ。ベティは声の主を探した。部屋の中央には鉄塔のような細く高い足場が設けられていた。その上に一人の男性の背中が見えた。その髪色と背丈からベティはピンと来た。マーガレットの医務室で見た、ゾーイと呼ばれる男性だ。まさか、彼がこの部屋の中で一番地位が高いのか。


「ベティさん、来てくださったんですか」


 コンクリートの上にキュルスが居た。彼の横にチェルシーは居ない。ベティはそこでようやく部屋の中に入った。


「凄い部屋ね」

「はい。全てベルナルドさんのおかげです」


 崇拝的な彼の言葉にベティはふん、と言って、ゾーイを見た。


「随分若い子が指揮をしてるのね」


 ベティの視線の方向に気づいたのか、キュルスは「ああ」と頷いた。


「ゾーイ・フロスト(Zoe Frost)さんです。マヌエルさんの一番弟子と言いますか......マヌエルさんに憧れて、此処に来たんですよ」


「そんなに凄い人なの、マヌエルって」


「はい。この軍もマヌエルさんが来てから本当に強くなったんです」


「此処の軍って......ベルナルドから聞いたわよ。戦争の手助けしてるんですってね」


「エスペラントは常に資金不足ですから。それに、ゾーイさんの戦い方はきちんと理にかなっています。彼は無駄な殺しをしませんから」


「さあ、どうかしら。上司があんなんなら、その部下だって同じようなものでしょう」


 ベティは言い放って、訓練をしている兵士たちに目を戻す。自然とチェルシーの姿を探していたが、彼女は見当たらなかった。


「チェルシーならさっき訓練を終えました。まだ入隊して間もないので体力も少ないんです」


 相変わらずキュルスは人の思考を読み取るのが得意なようだ。何処を見ていても彼にかかれば大抵の心の内を読まれてしまうらしい。


 兄弟揃って鋭い観察眼を持っている。


 ナッシュのことを思い出して、ベティはB.F.が恋しくなってきた。


「あまりあの子に変なことさせないでよね」


 また心を読まれてはいやなので、ベティは足早にその場を去るために体の向きを変えた。


「もちろん。気をつけますよ」


 キュルスが柔らかい声で言った。ベティは部屋から出た。


 *****


 資料室には誰もいなかった。キュルスが彼処に居るのなら彼が居るはずはないが、見つかってはならないのでベティは扉が開くまでドキドキしていたのだ。


 誰か入ってきてしまえばもう逃げ場などないので、ベティは素早く情報を集めようと適当なファイルを手に取って開いた。ちょうど職員の情報が挟まれたファイルであった。こんな場所で一括で保存するのはどうなのかと思うが、あれだけのセキュリティである。普通の人間は到底辿り着けない。


 ベティはファイルを捲りながらまずはエリゼのページを探した。彼女はきちんとそこに収まっていた。顔写真も貼り付けられており、その写真に写るのは、まだ幼い顔をした大学生時代の彼女であった。写真の下には名前、生年月日、住所などが事細かに記してある。そして、ベルナルドから見たらしい彼女についての情報も記載されていた。


『エリゼは大学生時代の最初の協力者である。ドワイト・ジェナー(Dwight Jenner)を餌に誘き寄せて情報の受け渡しを行わせた。ドワイトとは卒業前に別れたようだが、それからはもぬけの殻のような状態。最終的に解剖材料にする予定。』


「......解剖材料」


 ベティの声は棚の間で溶けた。


 マーガレットが実験室には近づくなと言っていた。


 このエスペラントでは永遠の命を造るための実験を行っているが、まさかエリゼはそれに使われるというのだろうか。


 それはつまり、彼女の命に危険が及んでいるということだろうか。


 ドワイトという餌をぶら下げられて、そのレールに素直に従った彼女をベルナルドは最後まで都合よく利用しようとしているのか。


 ファイルを持つベティの手がわなわなと震えた。怒りでどうにかなる前にベティはページを捲った。続いてキュルスのページになった。


『従順な下僕。ナッシュ・フェネリー(Nash Fennelly)との接触を目的に入社を希望。女を引き入れるのに好都合で、人をまとめる力にも長けている模様。マヌエルと我々の挟み役とするか否かを議案中。』


 キュルスの写真は若い頃のナッシュにそっくりだとベティは思った。特に目は、あの信念を曲げない同期の目をしており、その髪色も全く同じだった。


 後ろの方を捲っていくと、チェルシーのことについて載っているページを発見した。


『キュルスが路地裏にて気を失っている所を発見。Black Fileでの上司からのいじめによりエスペラントで保護。姉もBlack Fileに居るようで、今後の情報を期待。新たに兵士としてキュルスの指導のもと狙撃訓練開始。』


 この情報から分かるのは、キュルスが多くの役割を担っているということだった。


 エスペラントの軍とベルナルドは独立した関係にあるようで、基本的に軍の主な指示はマヌエルが行っている。そんなマヌエルとベルナルドを繋ぐ架け橋となるのがキュルスなのだ。彼はその役割の他、兵士としても射撃の練習などに付き合うという。


 今の数分で得た情報を整理しながらベティは読み進める。大勢の研究員の情報を確実に頭に入れて行く。その中でマーガレットのページに辿り着いた。ベティは思わず顔をこれでもかと近づけた。


『名前:マーガレット・バートレット(Margaret Bartlett)。本名は不明。ただし使っていたペンには擦り切れた文字でベニー・マーカム(Benny Markham)と書いてあった。(本名かどうかは定かではない)』


「ベニー・マーカム......」


 ベティは頭の中で今までの知識を蘇らせようとした。新聞記事や医学書。しかしそれらしい名前は出てこない。


『エスペラントの医務室長。医師免許剥奪は入社四年前の出来事。解剖の手伝いに使えると思ったが解剖には頑なに手を出さない様子。免許剥奪の理由も不明。』


「不明」という単語が何度も出てくるほど彼はベルナルドに対して全く自分のことを話していないようだった。しかし、彼はベルナルドの実験に対しては消極的なのかもしれない。解剖の手伝いを断ったのなら、此方の味方になる可能性も少なからずあるということである。


 ベティはファイルを閉じて、他の棚に向かった。どれも同じような見た目でほとんど中身が分からないが、また適当なファイルを手にして彼女はそれを開いた。


 そのファイルの中身は、このエスペラントで調査しているらしい超常現象についてだった。


「宇宙ばっかり」


 どのページを見ても、必ず宇宙空間だとか惑星だとか、規模の大きな単語が出てくる。宇宙人なんて言う単語を見つけた時には、ベティは笑ってしまった。だが読み進めていくとそれが淡々とした文章で書かれているからか、妙に現実味を帯びてきていた。普段ならば馬鹿らしいと一蹴するが、今はページを読む手が止まらない。


 最新のページにやってきた。リングファイルなので新しくページを増やすことができるのだが、最新のページの日付は一昨日となっていた。それは実験の記録用紙だった。


『人型惑星《惑星住所》と《惑星住所》』


 それは見たことも聞いたことも無い惑星だった。写真はあるがぼんやりと影のようなものが無数の星をバックに写っているだけで、信ぴょう性にはかけていた。説明文を読んで、ベティはハッとした。


『空白の一日の原因と考えられる。時空間を歪めて惑星と惑星の間を漂っている少女型の超常現象』


「空白の一日って」

 ベティはその現象の名前を知っている。


 大学生時代、卒業間近に文学部マーロン・コフリン(Marlon Coughlin)という教授が持ってきた文書、「文書001」。その内容を解読したベティを含む五人は、ある衝撃的な仮説にたどり着く。


 それは、「全人類がある一日のことを忘れてしまっている」ということであった。


 あまりにも現実的ではないことに最初は驚いた読解者たちだが、少しずつその仮説を飲み込んできたのだ。その現象について一同は「空白の一日」と名付けたのだが、やはりその情報もベルナルドは持っていた。


 空白の一日。文字通り全員が記憶から消えた時間的な空白を意味する。もし本当にあれば大事件だが、このことを知っているのは文書に携わったメンバーと、マーロン、そして政府の一部の人間。ベルナルドもそうだろう。彼と情報を共有しているフランチェスカだって。


 彼に情報を手渡したのはエリゼだが、彼女への怒りも恨みも今のベティには既になかった。彼女は完全にこっちの人間になったのだから、もう何も心配する必要は無い。


 さて、この空白の一日の正体がどうやらこのページに書いてあるもののようだが、もちろんそう簡単に信じるわけにはいけない。実際そんな話ならB.F.で取り扱われていてもおかしくはないのだ。エスペラントが宇宙を中心に超常現象を見つけているとしても、これだけ目立つものならば、B.F.でも負けず劣らず見つけられるはずなのである。


 ベティは何か無いかとポケットを探った。この有力な情報をどうにかしてB.F.に持って帰られるのなら、とそう思ったのだ。生憎携帯電話を自分の部屋に置いてきてしまった。


 ベティはファイルを閉じて棚に戻す。何番目の棚かを頭に叩き込んで、その日は資料室を出た。


 *****


 ベティが部屋に戻って今手に入れた情報を持ってきたメモ用紙に書き込んでいると、エリゼが扉から顔を覗かせた。


「ベティ_____何をしているの?」


 扉を開くと同時に机に突っ伏して書いていたメモ用紙を隠し、扉を睨みつけるベティを見て、エリゼは首を傾げた。


「アンタね、ノックくらいしなさいよ。びっくりするじゃない」

「へ?」


 エリゼは不思議そうな顔をして部屋に入ってきた。


「何をしているの?」

「資料室に行ったのよ。色々見てきたからまとめてるの」

「そう、誰にも見つからなかった?」

「ええ、なんとかね」


 ベティはメモ用紙をエリゼに手渡した。彼女はそれに軽く目を通す。


「空白の一日の原因の超常現象に辿り着いたのね」

「ええ、でもまだ半信半疑よ。大体宇宙空間に人間が居るって何?」

「詳しい話は私も知らないの。でもベルナルドはそれとの接触を試みているって」

「ふーん」


 エリゼは一通りメモ用紙を読んで机に置いた。


「残念だけれど、メモとして残しておくのは危ないかもね」

「は? 何でよ」

 エリゼの言葉にベティは怪訝そうに彼女を見上げる。


「ベルナルドがいつ部屋に入るか分からないわ。紙媒体で持っていたら絶対に見つかっちゃう。記憶に自信はあるかしら」

「まあ、それなりに」

「じゃあ紙は諦めて脳に叩き込んで。それと、私が渡したメモも捨てた方がいいわ」


 ベティは「わかった」とメモ用紙をくしゃくしゃに丸めてゴミ箱に放った。そしてメモ用紙にエリゼがベルナルドに解剖材料として使われる予定であることを書かなかったというのに気がついた。寧ろ書かなくて正解である。彼女にそんなことを伝えて不安にさせることだけは避けたかった。


「夜ご飯にしましょう」

 ベティは立ち上がった。

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