スカウト
その建物は埃っぽい空気が立ち込めている。兵士たちの靴裏は、ジャリジャリとガラスの破片を踏んだ。
先頭を歩く兵士は、ジェフリー・モーラン(Geoffrey Morlan)、そしてユーニス・デンチ(Eunice Dench)だ。二人とも同じ理由で、ゾーイから一時的に離すのは不可能なのである。当然、二人のすぐ後ろにはゾーイ・フロスト(Zoe Frost)が居る。
ハビエル・クラーク(Javier Clark)とアンドレ・イェイツ(Andre Yates)は、ゾーイの後ろについていた。二人の間には、昨晩保護した六歳の少年_____レイフ・マッケイブが居る。
最後尾はエスター・ピークマン(Esther Peakman)である。彼は後方から来る敵を迎えるために、一人だけ後ろ向きに歩いていた。
さて、物音がしないのは誰も居ないからだろうか。依頼者が一人で居るとは到底考えにくい。
仲間とは言っても、ただ金で繋がった仲だ。そこに「信頼」という言葉は存在しない。きっと、向こうも大人数でリーダーを固めているだろう。戦場において裏切りというのは、日常以上に身近なことである。
建物は、扉のない壁だけで仕切られた空間がいくつもあった。コンクリートで出来ている建物は、足音が何処までも響いていく。相手にはきっとこの足音が届いているはずである。
やがて、一同は階段までやって来た。すると、上から微かな声が降ってくるのが分かった。ゾーイが止まれと合図し、全員は歩みを止めた。すると、喋り声もぴたりと止んだ。
ゾーイの手がすぐに動いた。全員がそれに対し頷いた時、上から声が降ってきた。
「どうぞお上がりください」
それは柔らかな男の声だった。若くは無い。だが、何度も聞いた声だ。過去に彼らとは顔を見ずに話をしている。
アルファチームは階段を登った。先頭のジェフリー、そしてユーニスが先に登った時、見えてきたのは複数の男だった。年齢層はバラバラで、一番若い者で十代前半だ。
「随分と早い到着でしたね」
群れの奥から声がする。
「少し飛ばしてきたもので。作戦が終わり次第、次の戦場へ向かうためにも早く帰らなければいけませんからね」
答えるのはアンドレだ。
「無線での会話を聞いておりました。見事な連携でしたね。本当に素晴らしい。まさか、こんなに早く事が片付くとは思っていませんでした」
アルファの一同が階段を上りきった。ゾーイはジェフリーとユーニスの間に出てきた。
「報酬は既にあなた達のリーダーのところへ送っております」
「変ですね」
アンドレは微笑んで続けた。
「約束では、今日この場で受け取ることになっているという話でしたが......」
「あまりに早い到着だったものですから、此方も予定が狂ってしまいまして。申し訳ございません。ところで、この隊のリーダーというゾーイ・フロストさんにお目にかかりたい」
「俺だ」
ゾーイが口を開く。すると、相対する群れの奥からも男が出てきた。くせ毛の中年男だ。今回の依頼者である、チェスターという男である。がっしりとした体格は群れの中では目立たないが、目の奥に光る意志の強さが背中に嫌な汗をかかせる。
彼は柔らかな笑みでゾーイを見た。
「声から想像できていましたが......まだ子供でしたか」
「歳は関係ねえ。それより」
ゾーイが地面を指さした。
「随分廃れた土地だな。此処に難民キャンプがあるはずだ。来る途中でそんなもん全然見えなかった。何処にあんだ、教えろ」
「おや、難民キャンプに寄ってから帰るおつもりで?」
「馬鹿か」
ひゃー、と後ろで声がする。ハビエルはゾーイの高飛車な態度が相手の機嫌を損ねないか心配していた。だが、特に相手が顔色を変えるような様子は無い。チェスターは柔らかな笑みをゾーイに向けているだけだ。
「ガキを保護した。まだ六歳のちっこいガキだ。戦場に置いていくのも癪だから、此処に連れてきたんだ。聞けば姉が居るらしい。そいつが生きている。何処に居んだ」
チェスターは微笑んだまま、後ろに指示をした。指示された者がさっと動き出す。
「実は、我が国とこの国はある一種の協定を結んだところでして。両国間で戦争行為はもう二度と起こさないと決まったところだったんです」
チェスターは続ける。
「ですから、難民キャンプの住人たちを柔らかく迎えたのです。皆で仲良く過ごそうとね」
レイフは、ずっとアンドレとハビエルの間に居た。前に出ようとしたが、ハビエルがしっかりと服の首根っこを掴んでいるので動けない。下手な動きをしたら殺されるとでも思っているのだろう。
「昨日まで殺し合っていた人間同士で仲良くしようってか」
ゾーイは鼻で笑った。
「また随分と自分勝手だな」
「思い切った行動ですから、多少の気持ちの犠牲も大事ですよ。ねえ、レイフ・マッケイブ」
全員の目が子供を見た。敵国の子供のことである。キートンの息子だとしても、戦場で死んだかも分からない子供だと、一目で見て分かるものだろうか。名前ならまだしも、顔など知っているものだろうか。
「優秀な兵士たちを連れてきてくれてありがとう、レイフ」
ハビエルは気がついた。レイフがさっきから強く拳を握っている。
「レイフ」
少年の目はハビエルを見た。その目は何かと葛藤していた。
「含みのある言い方ですね。まるでこの子に、私たちを此処へ連れてこさせたような」
アンドレがレイフの肩に手を置いて続ける。
「まさかとは思いますが、我々を自国へ連れて帰るおつもりですか?」
「そのまさかですよ。こんなに優秀なゲリラチームを見た事がありましょうか。統率の取れた動き、完璧なチームワーク。我ながら完璧な隊に目をつけましたよ。極限状態でも一人として死なない、子供を連れる余裕まであります。理想のチームです。是非我々の国の戦力となって頂きたい」
その時、小さな子供の声がした。
「姉さんは」
それはレイフの声である。彼はハビエルから離れると、前に立つ三人を押し退けて前へ出てきた。
「姉さんは」
「君のお姉さんかい?」
チェスターが子供を見下ろして笑った。
「とっても良い子だったよ。恐怖で声は出なかったようだけれどね」
子供の手からポトリと何かが落ちた。それは、小さな機械だった。
「盗聴器か」
ゾーイがボソリと呟く。
「子供を使って俺らを此処に連れてきたんだな。見た感じ、位置情報も分かるみたいだ。道理でこんな盛大なもてなしされるわけだ」
ゾーイの目は部屋を見回す。いつの間にか出口は塞がれ、自分たちは屈強な男たちに囲まれている。
「あなたたちが取るべき行動は三つありますよ」
レイフは放心していた。姉の小さな頭が揺れる。おんぶされて、自分はよくいろんな所へ連れて行ってもらったのだ。
あの扉の向こうに姉が居る。
レイフの目は、男たちの向こう側にある扉を見た。
彼らへの裏切りは済んだのだ。自分はもう用無しのはずだ。
「ひとつ、此処に素直に残って、我々の傘下に入ること。今よりも快適な練習場を提供致しましょう」
姉と再会しても良いはずだ。
しかし何だろう。扉の向こうから香ってくる非人道的な行いの気配は。
「ふたつ、どうにかこうにか、この建物から逃げ出すこと。恥ずかしながら、あなた方には敵わないでしょう。我々の人数でもっても、あなた達を捕まえるのはやっとです」
レイフは扉からチェスターに目を戻した。何故か、彼と目が合った。
「そして、三つ」
彼は微笑んできた。
「この可愛い裏切り者を撃ち殺すこと」
レイフは振り返った。ゾーイの銃口が、いつの間にか自分を向いている。声を出す間もなく、何かを考える間もなく、大きな銃声が鼓膜を震わせる音を聞く間すらなく、レイフの意識は闇へ消えた。




