レイフ
キャンプは静かだった。皆の目は、輪の中でガツガツとパンにありつく小さな子供に向いていた。
「壁の裏に隠れていたんです。お腹も空いてるようでしたしね」
そう言うのは、アンドレ・イェイツ(Andre Yates)。左頬に縦に二つ並ぶほくろが特徴的な兵士である。彼は子供にお湯の入ったカップを渡した。
子供はカップを受け取ると、すぐ縁に口をつけた。「あっ」と誰かが声をかけた時には遅かった。子供がカップを投げ出して、中身が周りの兵士にかかった。
「ああああっっづうう!!!?」
「え、え、アンドレさん、アンドレさん......!? 子供にどんだけあっついもん飲ますつもり!?」
「喉死ぬわ、こんなん飲ませたら!!」
アンドレはキョトンとしていた。そして「ああ、ごめん」とカップを拾う。
「あまりにも美味しそうにパンを食べるから、見とれてたら沸騰してたみたい」
「怖い、怖いってこの人」
「怯えてるからこの子」
子供を挟んでアンドレの反対側に座っていたそばかすの兵士_____ハビエル・クラーク(Javier Clark)が、カップに再度お湯を入れた。そして、彼が息をふきかけて冷ますのを、子供はじっと見ていた。
「なあ、ちびっ子。お前、こんな危ないところで何やってたんだよ?」
他の少年兵が問う。子供はハビエルのカップから顔を上げて、周りを見た。皆の目が自分を向いている。それがわかると、静かに視線を落とした。膝を抱えて丸まっている上に、周りのガタイの良さも相まってより小さく見える。
「まあ、隠れてんだよな。この辺りに住んでたのか?」
と、ハビエル。冷ましたカップを子供に渡す。子供は頷きながらカップを受け取った。今度は問題なく口に含めたようだ。
「両親は......」
と言いかけたハビエルは、口を閉じた。大抵、このような場所で一人で居る子供たちのほとんどは、同じような境遇なのだ。
あの街の惨状からして、生きている方が奇跡だ。
「兄弟は居るのか?」
子供は首を縦に振った。
「途中ではぐれたのか?」
「その辺にしようぜ。疲れてるだろうしさ、この子も」
子供はカップを空にして、再び周りを見回した。彼の目はチラチラとゾーイを見る。パンをくれた恩人として、その子の脳に刻まれたらしい。
「寝るか」
ゾーイが言うと、周りは鍋や食事の後を片付け始めた。
「ゾーイさん、俺一緒に寝ていいですか? あっちで寝ましょうよ」
「ずりいぞ、ユーニス!! 前もそうだったろ?!」
「あ、こらジェフ!! お前は少しゾーイさんから離れろよ!!」
それぞれの寝床に散っていく兵士を、子供は定位置から動かず眺める。
「雑魚寝になるけど......良い?」
ハビエルが子供の顔を見る。子供は頷くとすっくと立ち上がった。そして、ゾーイの背中に向かって走って行く。ゾーイは何も言わずに子供を抱えると、壁の向こうに消えて行った。
「あ〜あ、助けたの俺なのにい」
ハビエルが残念そうに言う。
「パンくれた人の方が良いよね、そりゃ」
と、アンドレが苦笑する。
「だよね。喉焼こうと企む人とは一緒に居たくないよね」
「喉? 口の方がもっと火傷してたよ」
「アンドレ、本当に敵国に居なくて良かった」
二人は鞄から薄い毛布を取り出して、寝床を求めて歩き出した。既に寝息が聞こえてくる場所もある。遥か彼方で、何かが爆発する音がした。まだ負けたことを知らぬ国の兵士たちが、銃を手放せないのだ。爆発音と銃声は夜明けまで続いた。
*****
日が昇ると、兵士たちは一人、また一人と目を覚ました。ハビエルは火を起こして湯を沸かしていた。お湯で体を温めていると、例の子供も起きてくる。
「ゾーイさん、居なくなってた?」
ハビエルの問いは図星だったらしい。表情からして困惑している。朝起きてゾーイが隣に居なかったのだ。
「あの人は戦場でほとんど寝ないからなあ。如何にマヌエルさんを唸らせる経路を捻り出すか考えるのと、敵の動きを把握するのが大好きなんだよ」
ユーニス・デンチ(Eunice Dench)は逆立つ短髪の兵士だ。義足でありながら俊足で、彼のゾーイ愛はアルファチームでも屈指である。
「そういや、名前聞いてなかったな」
ハビエルが子供の頭に手を乗せる。子供はまだ喋ったところを見たことがない。マヌエルのように声が出ないというわけではなさそうだ。アンドレに百度の熱湯を飲まされた時は悲鳴に近いものをあげていた。
子供はビスケットを手にして嬉しそうである。ポリポリ齧りながら、適温のお湯に幸せそうな表情を見せている。
「レイフ」
小さな声がした。兵士たちの目は子供に向く。子供は柔らかな顔で、皆に答えた。
「レイフ・マッケイブ」
*****
「くそ、邪魔な霧だな」
建物の屋上にて、ゾーイは地図と睨み合っていた。横にはジェフ、そしてエスターがついている。
眼下には霧が広がっている。昨日は盾となったが、今日は邪魔でしかない。
「でも、地図を見る限り霧のエリアは避けての経路が組まれているようですが......」
エスターはゾーイの手の中にある地図を見る。ゾーイたちが真正面に見ている街の道を大きく外れた経路が、地図にはある。この視界不良を想定したマヌエルが、見晴らしの良い道を指定しているのである。
「こんな道に従ってちゃ、依頼者と合流するのは夜になる。さっさと終わらせてマヌエルに一泡吹かせてやるんだ」
ゾーイは地図を握りしめた。
「なるほど。向上心が素晴らしい。流石はゾーイさんだ」
エスターは頷き、ストレッチを始めた。今日も相当な距離を移動するだろう。常に筋肉をフルで動かせるようにしておかねば。いつゾーイに魔の手が迫るか分からない。
「あ、ゾーイさん。おはようございます」
屋上に上ってくる男がいる。ハビエルだ。
「どうした」
「や、あの子供のことで、ちょっと......」
*****
「マッケイブ......」
「マッケイブって、あれか? キートン大佐の息子ってことか?」
「こんな残酷なことあって良いのかよ」
子供はハビエルと少しの間話をしていた。名前について深堀はせず、以前は何処に住んでいたのか、家族とは何処ではぐれたのか、という話をしていた。
そんな彼らから少し離れた場所に、残りの兵士は集まっていた。マッケイブ。その苗字は、この作戦において最も重要人物が持っているものであった。
昨日殺したキートン・マッケイブである。この国の軍を動かしていた男で、彼は確かに昨日息絶えた。作戦の成功の瞬間であった。
「まさかとは思うけど......でも、本当なら酷だな」
「あの様子じゃ他の家族も居ないようだったし......」
レイフは親を殺した人物たちのもとへ、不幸にもやって来てしまったのである。神はあまりにも残酷だった。父を殺した者に、自分は命を助けられているのだから。
「父親を殺したって知ったら、なんて言うかな」
「そりゃ怒るだろ。信用してた人が人殺しなんて知ったらよ。ゾーイさんはこのこと知ってんのかな」
「さあな。昨日一緒に寝てたし、何かしら会話はしてるんだろうが......」
話が終わったらしい。ハビエルは此方を振り向かなかったが、背中に回った手が全てを表していた。手話である。
『キートン・マッケイブの五男。六歳。母親と他の兄弟は死んだ。唯一、姉が生き残ってる可能性があるらしい』
「姉ちゃんか」
「この戦火でたった一人か......」
「あんま良い想像ができないな」
兵士たちは顔を見合わせる。皆暗い表情である。
戦場というのは、残酷なのだ。
*****
「車の手配できました」
アルファチームはホテルから出た。霧の中、大きなトラックが手配されていた。人員輸送に適した、後ろが大きなトラックである。依頼者の手下が手配したもので、昨晩のうちに置いていったようだ。前に三人、後ろのコンテナには残りの兵士が全員乗れる程の余裕がある。
「運転はエスター。助手席は俺とアンドレが乗る」
ゾーイは指示をし、皆すぐに従い始める。
ハビエルはレイフを抱えて後ろに乗った。
「危ないから一番奥に行こうな」
そう言って、彼はコンテナの最も奥、ガラス越しに運転席が見える場所までやって来た。しかし、そこには既に、
「おい、ジェフ、ちょっと避けて」
金髪の少年兵、ジェフリー・モーラン(Geoffrey Morlan)が陣取っている。彼の目は常にゾーイに注がれている。ユーニスに並ぶゾーイ狂なのだ。相手が子供だろうが、ジェフは譲らない。
レイフは椅子に下ろされて、ジェフの顔の隙間から見える運転席の様子をじっと見ていた。やがて車が動き出すと、全員は窓の外を見たり、後方に気を配ったりと、緊迫した空気が流れ始める。霧深い外の景色は、敵を認識するには適さない。兵士たちはエンジン音の他に、霧に沈む敵の足音を聞き取る必要があった。
三時間は走っただろうか。霧は未だに晴れない。ゾーイがマヌエルの示した通りに進まないで、霧地帯を突っ切って次のポイントに向かおうとしているからである。兵士たちは黙って彼に従うしかない。敵が居れば殺すまでだ。
その時、僅か数キロ離れた地点で爆発があった。距離は音の近さでそれぞれが測ったが、全員はハッと顔を見合わせる。
「ゾーイさん、十時の方向です!」
煙を見つけた兵士がすぐに運転席側に知らせる。
「戦車だったか?」
「いや、にしては無臭だ。地雷か、不発弾だろう」
「油断は禁物だ。あいつら、使わなくなった穴ぼこにもう一度身を潜めているかもしれないぜ」
「ユーニスが、昨日爆弾まみれの穴を見たって言ってた」
「死の落とし穴だな。霧を利用するのは相手も一緒だ」
ハビエルはチラリと子供の顔を見た。レイフの表情が強ばっている。このような会話は好ましくないのだろうが、仕事は仕事なので仕方ない。これだけの幼い子供が戦場に居ること自体、そもそも珍しいことである。
明るい話題でも無いかと考えるハビエルだったが、長いこと子供らしいことをしていない彼には何も思い浮かばない。
その時、車体が大きく斜めに傾いた。「うおおおっ!!」と兵士たちが片方に寄る。ハビエルもレイフに覆い被さるようにして体が斜めった。
「おい、何だよエスター!! どういう運転だよ!!」
不満は運転手に向く。後方とは違って、運転席側は冷静である。
「ごめん、穴があって。まだ生きてるやつらが居るみたい」
助手席に座っていたアンドレが冷静に答える。彼は目が良い。
「おい、何か迫ってきてるぞ!!」
外に一番近い部分に乗っている兵士が声を上げた。見ると、後ろから自分たちが乗っているものと似たトラックが近づいてくる。よく見ると、形は依頼者と同国のものだ。
しかし、
「くそっ!! おい、敵だ!!」
「伏せろっ!」
兵士が構えた銃は、すぐそこに迫っていた運転席に向いた。一瞬にしてフロントガラスが不透明になる。ヒビと血が広がって、トラックは大きくバランスを崩した。そのまま穴に前輪を取られると、動きを止める。やがて遠くなって行った。
「依頼者の野郎、トラック盗まれてるんじゃねえか!!」
「中には物資もあったんだろう。親玉も死んだ後じゃ、どうすりゃ良いのか分からないのかもしれないな」
「銃すら構えていなかったところを見る限り、ほとんど自害に近かったな。半分錯乱状態って感じか」
兵士らは遠くなっていくトラックを見ていた。フロントガラス越しの目は充血していた。自分たちの国を散々侵され、大切なものを奪われた者の目をしていた。人間と言うより、獣だ。だが、獣は復讐のために動かない。獣のように理性を失った人間の姿だった。
ハビエルは、今のショッキングな出来事が子供の目にはどう映るのだろう、と気になった。見ると、彼はガラス玉のような瞳に外の景色を映している。その目にかすかに浮かぶ涙は、感情を想像するには複雑すぎた。
*****
「そろそろ着きます」
エスターの声がした。霧はほとんど無くなっていて、崩れた瓦礫の街を、トラックは走っていた。依頼者と落ち合うポイントの付近まで来たようだ。この辺りには難民キャンプがあるという話も聞いていたが、瓦礫の様子を見る限りは、あまり良い想像ができない。
レイフもそこに置いていくことになっていたが、この様子ではまだ傍に居た方が良さそうである。
やがて、トラックは大通りから逸れて脇道に入り、そこに止まった。二階建ての低い建物が建っている。瓦礫で窮屈そうにしていて、あと一度でも砲撃を喰らえば粉々に砕けてしまいそうなほどに脆く見える。
「此処ですか」
「みたいだな」
運転席の会話が聞こえてきた。兵士たちはいよいよ降りる用意を始める。
「半分は残れ。半分は俺と来い」
ゾーイが降りてきた兵士に言う。
「ゾーイさん、この子は」
ハビエルはレイフを指した。
「ついて来たいか?」
ゾーイが銃を見せて言うが、レイフは頷いた。
「良いのか? あんまり良いもんじゃないと思うぞ」
そう言って耳打ちするのはユーニスだ。レイフはそれでも頷いた。会話を理解出来ているのかは分からない。だが、彼が行きたいと言えばついて来させるしかない。
「あんまり傍から離れちゃダメだぞ」
ハビエルはそう言って、彼に服を着せた。地面に引きずりそうだが、無いよりはマシだ。生地の内側に硬い鉄板が入っているのだ。
六人の兵士をトラック周辺に残し、六人の兵士と幼い子供は、微かに血の匂いがする建物の中へ入って行った。




