始まりの日
銃声は村の外れまで響いただろう。人を殺した音は、少年たちの耳に消えることのない音となって刻みついた。
村に突然、大きなトラックが入って来た。軍人だと気づくのに、誰もがそう時間はかからなかったはずだ。大慌てで村を逃げ出ていった者は、森の中で全員殺されたらしい。そして今、逃げ遅れた者たちが村の中央に集められているところだった。
ジャービス・エヴァーツ(Jarvis Evarts)もその中に居た。彼はこの時、12歳だった。
「よーし、大体揃ったか」
軍人は大きなトラックから続々出てきた。彼らが目に宿す光は、嫌な色をしている。ぎょろぎょろ動く眼球が、忙しなく人々を追いかける。
村の中央に集められた人々は、「少年」と「それ以外」に分けられた。それぞれ一列に並ばせられ、少年たちは、自分の家族と対面するような形にさせられた。
「何が起こってるんだよ......何させられるんだよ......」
ジャービスの隣に居たのは、幼なじみだ。村の同い年の中では最も小柄な少年だった。彼の目からは絶え間なく涙が流れ出ている。小柄な上に心も幼かった彼は、家族と離れ離れにされた時点で涙が溢れていた。
ジャービスは、彼のように泣こうと思ってもできなかった。これから起こることが全く想像できないのだ。
対岸に居る家族は、不安げな表情で自分を見てくる。母、父、姉、弟が二人。母の腹には、来月出産予定の妹が一人。
末の弟は姉に抱きついていた。彼もまた、今から何が始まるのだろう、と不思議そうな顔をして皆の顔を見回している。
「賢い皆さんはお分かりかな?」
大きく手を打って視線を集めたのは、軍人の中で最も偉そうな男だった。重そうな黒いコートには、泥の他にも様々な液体が付いているようだった。何かの動物でできているらしい分厚い毛皮の黒い帽子を深深と被り、太い体からよく通る声が出てくる。
「今から、この未来ある少年たちに簡単な試験を受けてもらいます。彼らが将来、素晴らしい兵士になってくれることを願ってね」
「兵士......?」
「試験って、なんだ」
少年たちは顔を見合わせる。その時、対岸で鋭い声がした。
「息子を返してくれ!! 彼はまだ_____」
銃声を聞いた時、ジャービスはハッと息を飲んだ。悲鳴が上がったのは無理もない。銘々頭で把握したのである。自分たちが置かれた状況を。
声を上げたその男は、今の一瞬で地面に伏していた。
逃げ出そうと列から抜けた者が、次々倒れていく。ジャービスは言葉を失っていた。対岸から弟の泣き声がした。大きな音に驚いているだけだ。人が死ぬ感覚を、二歳の弟が知るわけなかった。
「邪魔が入ったが、気を取り直して」
男は咳払いをして続けた。もう誰も列からはみ出すことはなかった。一歩でも列から逸れたら、自分は殺されると悟ったのだ。
ジャービスは、この時初めて戦争を知った。村の近くまで戦火が迫っているという話は聞いていたのだ。どんな国がどういう理由で争っているのか、彼は知らない。
この村で新聞をとっているのは、裕福な村長の家だけだ。そこの息子が、毎朝街の学校に通っていたが、最近その回数がめっきり減ったことを記憶している。戦争が関係していることは何となく分かっていたが、それが彼の学校生活をどのような形で阻んでいるのかは分からなかった。
彼らはこそこそ準備をしていた。夜逃げをする気だと村の住民が囁いていたが、ジャービスはどうしてそんなことをするのか想像もできなかった。畑を耕す仕事の方が大事だと思って、懸命に手を動かした。
戦争とは、人同士が殺し合うことだと、ジャービスは母に聞いたことがあった。何かいけない理由があって、お互いの正義のために相手を殺すのだそうだ。痛いことをするのだそうだ。
「我々は度胸のある兵士を欲している。この国のために戦ってくれる素晴らしい兵士を欲している」
その時、一人の少年が列から無理やり引きずり出された。物のようだった。ぬかるんだ地面に転がった少年は、手のひらで縮む芋虫のようだった。
「立てっ!」
男はそう言って、少年の前髪を掴んで、腹を蹴り上げた。列に居る少年たちが体を固くしたのが、ジャービスには分かった。
少年はよろめきながら立ち上がる。目から溢れている涙は、鼻水と混じって顎から落ちている。
「持て」
少年の前に、何かが降りてきた。それは名前だけを知っているものだ。長い、黒い棒。先端に向けて細くなっていく。先端から弾き出されたものは、何かの命を奪うのだ。
銃だった。
少年は男を見上げた。絶望の顔が、列に並ぶ少年たちの正面で、よく見える。
「持て!!」
怒鳴り声が、少年の手に銃を持たせた。重みでぐらつき、地面に銃床が落ちた。鋭い音が空にこだました。森にこだました。また子供が泣いた。
少年は顔を真っ青にして、立ち上がった。銃を低い位置で持っているので、構えているようには見えない。銃は構えるものであることを、知らないのだ。知りたくないのだ。ただ、鉄の塊として存在しているオブジェだと信じたかったのだ。
「構えろ」
「......」
「構えろっ!!」
少年は、赤子のようだった。この年で、次々と指図されることなど、初めてだったのだろう。もう、彼は前も見えていないようだった。
「引き金に指を入れるんだ。早くしろっ!!」
少年は引き金に指を入れた。プルプルと腕が震えている。
「さあ、標的を決めろ。ただし、お前の身内だけだ。血縁だけだぞ、撃っても良いのは」
列から悲鳴が上がった。また誰かが列から抜けた。七回、銃声が響いた。まだ動いていたのだろう。八回目が轟いた。
「決めたか?」
男が少年の顔を覗き込む。少年は何かを言ったようだった。
「何だと? もっと大きな声で言うんだ」
「撃てません」
「何?」
「撃てません」
しゃくり上げて泣き出した少年は、銃を落とした。落とした銃は衝撃で暴発し、対岸の一人の頭を吹き飛ばした。悲鳴が上がった。少年の列と、対岸からだ。
「母さんっ!!」
「列から動くな!!」
少年たちは互いに押さえ付けあった。何をされるか理解した者、自分の家族が殺された者、今から殺される者、こんなにも未来が想像出来る瞬間があるのかと、ジャービスはその時思った。
「さあ、次だ!! 合格者を連れていけ!!」
兵士が、少年の腕を掴んだ。彼は泣きながら連れて行かれる。誰も喋らなかった。少年たちは、やるべきことが分かったのだ。ジャービスは選別を始めた。弟だ。彼は一番、家族で非力だ。この先、皆が戦争から逃げる時、一番足でまといになる存在だ。
二番目の少年は、同じ手を使おうとした。泣いて、銃を落とそうとした。しかし、銃が地面に着く前に彼は死んだ。背中を撃たれた。対岸から、彼の家族らしき人間の叫び声が上がった。
三人目は母親、四人目は妹、五人目は祖母、六人目は叔父......少年たちが選んだ者は、順調に地に伏して行く。家族を撃たない者も居た。名前も知らない人間ならば、罪悪感も少ないと感じたのだ。そういう時は、少年の列から声が上がった。自分の家族が、運の悪いことに殺される形になったのである。
自分を撃つ選択をしたのは、ジャービスの真隣に居た幼なじみだった。彼はずっと何かを呟いていた。祈りの言葉だと気づくのは、彼が天に召されてからだった。彼の遺体は、兵士が足で転がして草むらに消えた。
少年は次々と合格していった。家族じゃない者を選んでしまえば、と考える者は、銃を構えてから撃つまでが早い。軍人の男は、少年たちが勝手にルールを変えたことに気がついたらしい。
ジャービスの出番が回ってくるまでに、八人の少年が死んだ。ルールの変更が許されないことになってしまった。残るは五人。ジャービスは、後ろから四番目だった。
「さあ、もう的も少ない。家族はきちんと残っているかい?」
軍人は終わりが見えて清々しているようだ。半ばからこのゲームには飽きていたようだった。男の言葉に、ジャービスは頷いた。家族は対岸に揃っている。弟はまだ泣いている。姉は何とか宥めようと、彼を抱きしめていた。邪魔だ、とジャービスは思った。弟が撃てない。
ジャービスは銃を構えた。形だけでも真似してみたが、素人の少年たちの外面が様になっているわけがなかった。皆、自己流の構え方を編み出していたのだ。
ジャービスは腹に銃床を押し付けた。反動など、彼はこの時知りもしない。弟に弾を当てることだけに集中していた。彼は壊れていた。最初に人が死んだ時から、彼は人の心を捨てていた。
「ジャービス」
「やめて、ジャービス......」
「銃をおろして!」
家族が口々にそう言う。姉はより強く弟を抱きしめた。照準が定まらないと、彼らも誰が狙われているのか分からない。
「早くしろ、もう撃つんだ」
痺れを切らした男がそう言って、足を踏み鳴らす。ジャービスの手に、その振動が伝わった。腹が吹き飛ぶくらい、強い反動があった。体が後ろに飛んだ。合格者の中では、何人も同じように後ろに倒れていた。ジャービスもそうだった。銃が落ちて、地面に向かって暴発したのが見えた。
「ははははっ!!!」
甲高い笑い声が聞こえた。今日一番の笑い声である。軍人の男が、腹を抱えて笑っているのだ。ジャービスは、地面からゆっくり顔を上げた。
対岸の死体の山。よく知った服が泥まみれになっている。ひとつの死体の上に覆い被さる、もうひとつの死体。
「姉と弟を殺したぞ!! いっぺんにだ!!」
兵士たちが手を叩いて笑っている。ジャービスは、泣き崩れる父と母の姿を見た。母は、もう一人の弟を抱きしめた。父親がさらにそれを抱きしめた。父の目が此方を向いている。怒りに満ちた冷たい目。泣いている父を初めて見た。感情の嵐が、その瞳の中で大暴れしている。あんな目を、ジャービスは彼に向けられたことがない。
栄誉あることをしたつもりだったのだ。弟を殺して、家族を戦火から逃すつもりだった。戦争が終わっても、足枷の無い生活を送ってもらいたくて。
姉が、此方を向いて倒れている。既に絶命したらしい。彼女の胸を貫いた弾丸は、弟の頭も貫いていたようだ。ガラス玉のように美しい緑色の瞳が、じっとジャービスを見つめていた。




