最期
死の音は確実に彼に近づいてきていた。
呼吸が浅くなっていく。視界にモヤがかかる。音が遠退いていく。
ベルナルド・ウィンバリー(Bernard Wimberley)は、恐れていた死の足音に耳を傾けていた。あれほど怖がっていた死は、近づくにつれて心地よいものであるという錯覚を生むらしい。彼の最期の発見はそれであった。
*****
結局、マギーに関する情報は増えぬまま、長い実験の末に強引な打開策を見出した。
同じく超常現象など、この世の科学で説明のできないものを調査する会社であるBlack Fileに、手を出したのだ。マギーの調査の一環、そしてその他で出会った超常現象の調査に必要な人材確保の目的で、その会社とは一戦交えていた過去を持っていた。
政府を味方に置き、完璧な調査体制が整えられたBlack Fileは、ベルナルドが望む超常現象らの情報の宝庫だった。彼らが調査している超常現象の中に、空白の一日に関するものがあっても不思議ではない。現に彼らだって、その超常現象を追い求めて会社を立ち上げたのだ。姉妹会社と言っても良いほどの、目的を同じとした団体なのだ。
違うのはやはり環境だ。Black Fileに整えられた環境をベルナルドは望んだ。広い研究室、そこに収容されたあらゆる超常現象、政府からの手厚い支援。その会社と自分の会社を併せると、かなり広く深い研究ができる。
マギーの実験が滞ってしまったのは、ベルナルドにとってかなりの痛手であった。なぜなら、時間は惨酷に過ぎ去っていくものであるからだ。彼は焦っていた。老いていく体に、確実に近づく死の気配。
幼いころから周りの人間より極端に恐れていた死が、もうそこまで迫っている。
彼は、大きなプロジェクトに乗り出した。エスペラント総出で、Black Fileを乗っ取るというものである。
幸運なことに、彼らに無いものが此方にはある。それは、強力な軍力だ。武力行使で戦うならば、エスペラントの方がずっと有利な位置に居た。エスペラント軍の強さは、国も慄くほどの強力なものである。
ベルナルドは、エスペラントから独立した地位に居る軍のトップ・マヌエルに作戦計画の話を持ち出した。やはり、ここは自分ではなく、それを専門職とする彼に頼むべきであるとそう思ったのだ。
しかし、マヌエルは首を縦に振らなかった。
『我々がするべきことは、戦争介入に限ります。一つの会社を潰すことではありません』
ベルナルドは彼の返事をある程度予想していた。もともと国軍のトップ。正義の心は、未だ彼の中に燃えていることはよく分かっていた。
「これは両社の戦争だ。以前、彼らとの接触で軍は動いていただろう」
エスペラントがBlack Fileから五人の研究員を誘拐した際、彼らの相手をしたのは主にゾーイ率いるエスペラントのアルファチームだ。マヌエルが率いるベータチームは、武器を持たずにアルファチームに簡単な指示出しのみを行っていた。
『あの時は、会社の護衛という目的で行った武力行使です。今回は本当にいけません』
彼は頑なだった。ベルナルドは、なるほど、と理由が分かった。
彼はあの会社に知り合いがいるのだ。恋人か、友人か。戦争で共に戦地を駆け抜けた戦友かもしれない。
長々とエスペラントで人の脳に関する研究を行ってきたベルナルドからすれば、元国軍のトップであろうと微かな表情と声の抑揚で頭の中身が予想できた。最も、マヌエルは声を発することはできないのだが。
「お前は、この先どう生きていく予定だ」
ベルナルドは話をがらりと変えた。マヌエルの目に警戒の色が浮かぶ。サングラスの奥にある瞳が、鋭くベルナルドを見た。
「俺の代わりにエスペラントの長を名乗るか。それとも、またどこかの軍隊に入って戦地に赴くか。ついていくだろうな、あの少年兵は。貴様が死のうと」
マヌエルの目はさらに鋭くなった。
「貴様らは死を見すぎて死を恐れないのだろうが、俺は違う。俺は生きていたいから、あの会社をもらうのだ。死ぬ予定はない。お前が望むならば、殺す相手は選んでやろう。誰を生かしておいてほしいんだ?」
マヌエルはじっとベルナルドを見つめていた。思えば、彼とこうしてきちんと会話をするのは初めてだとベルナルドは思った。いつもは、会社と軍を繋ぐ橋の役割を、キュルス・ガイラー(Cyrus Guyler)に任せていたのだ。マヌエルと話す際は筆談か手話をする必要がある。彼は病気のために声帯を取っていた。それがエスペラント軍が強い理由なのだが。
マヌエルの返答は少しの時間を要した。やがて、遠慮がちに指が動いた。
『あなたが生きたいのなら_____私はこの作戦の中で命を落とします。エスペラント軍は、大きく傾くでしょう。それを望んで、私はこの作戦で自害します』
彼はそう言った。
ベルナルドは、ふむ、と彼の話を考える。彼の意志は固いようだ。作戦が成功してBlack Fileが手に入っても、マヌエルは自ら死を選ぶらしい。エスペラントが会社としてやっていけるのは、マヌエルの力があるからである。
ベルナルドは、それでも、と笑みを浮かべる。
それでもいいのだ。彼に匹敵する人物をまた探せばいいのだ。たかが一人の軍人に、自分の作戦を大きく左右されることは許されない。
「いいだろう。残念だがな、共に戦ってきた仲間が一人減ってしまうのは」
ベルナルドは右手を差し出す。マヌエルはその手を握ろうとはしなかった。ただ、静かな目がサングラスの向こう側から覗くだけだった。
*****
モニタールームに耳をつんざくような警告音が鳴り響いている。確実な指示をマイクに向かって出している黒髪の男。絶え間なく血を流すベルナルドの体は、床に横たえられていた。傍らには、ダークブラウンの髪を持つ、メガネの男が居て、止血を試みていた。
「死ぬのか」
ベルナルドは薄れゆく意識の中で傍らの男に聞いてみた。
傍らの男は何も話さなかった。
「俺は、もうすぐ死ぬか」
ベルナルドはかすれた声で彼に問う。傍らの男は、寂しげな表情をして頷いた。傷口が浅くても逃げ出すことができない。爆弾に囲まれた死の施設からは。
「君は、道を大きく逸れすぎたよ」
傍らの男が口を開いた。
「右に行かなければならないところを、左に曲がってしまったんだ」
腹に威圧感が加わった。ベルナルドは弱弱しく咳をした。
「私たちも、もしかしたら間違っていたのかもしれない」
男の声は始終寂しげだった。
「間違いだらけの道を、気づかず進んでしまったんだよ。この景色を見ると、そう思わずにはいられなくてね」
彼の目は、モニタールームの扉に向けられた。倒れたエスペラント兵が見えた。既に絶命しているらしい。マヌエルはどうなっただろう、とベルナルドは考えた。
「超常現象に魅せられたのが、間違いだったのかもしれないな」
穏やかな会話だった。ベルナルドは、初めて心からの言葉を話せる人物に出会えたような気がした。自分の顔に張り付けていた仮面が、ぱらぱらと剥がれ落ちていくような感覚に襲われる。
不思議な感覚だった。彼とは少し前まで敵対関係にあったはずだ。彼の脇腹に、自分は弾丸を入れたはずだ。二人の間に、これほど穏やかな空気が流れる未来が待っていたとは。
「そうかもね」
彼は微笑んだ。
結局は、同じ目的を持った会社だ。行きつく先とその過程に、通じるものはあったらしい。二つの会社が、こうした意味で一つになるのは、なかなか面白いことだとベルナルドは思った。
*****
爆破のスイッチは、静かに押された。肩にそっと触れられる手があった。
誰の手かは、ほとんど見えなくなった視界からは分からない。
その温もりが、死への恐怖をほとんど消してくれた。
これから、この世界はどうなるだろう。
空白の一日は、誰の手によって解明されるだろう。
死後の世界とはどのようなものだろう。
また白衣をまとわなければ。
知らねばならないことは、まだこの世に溢れている。




