恐怖と自信と
下部は無事に見つかった。そこに書かれたことを要約すれば、人類が記憶から消されている「空白の一日」には周期があり、それが再び訪れるという。その24時間だけ、生と死の壁が取り払われ、この世界は天国と融合する。
死という概念が存在しない日が、再びやって来る。
それは、まだ20年近く後のことだ。
だが、ベルナルドは黙って待ってなどいられないのだった。
共に歩んでいくと決めた仲間と会社を立ち上げた。それが「エスペラント」だった。
*****
「やっぱり、死んじゃったか」
此処は実験室。ガラス張りの部屋の中で息絶えている男性が一人。細胞の移植を行ったが、拒絶反応が異常に起こったことにより、あっという間に動かなくなってしまった。
ベルナルドは手元のバインダーを捲る。
「細胞Dとはまた違う薬を使ったが、これでもか。細胞Cの時は反応まで時間がかかった。Cの細胞に戻して、薬は変えるか」
ベルナルドは白衣のポケットから鍵を取り出す。
「長い実験だねえ。これじゃ老けちまうよ」
実験室にはベルナルドの他にもう一人。それはフランチェスカ・エルドレッド(Francesca Eldred)だ。美しいその姿は男を引き入れるのに都合が良かった。
そして、彼女が最もベルナルドの思考に近かった。彼女は生きることを求めている。もう少し詳しく言えば、若さを保ちたいのだ。時間の経過によって衰えていく体が、彼女は嫌いらしい。
「また他のやつを用意しなければな。早急に」
ベルナルドがガラスの向こうをちらりと見やる。
「そろそろ研究員らにも勘づかれそうじゃないか」
「記憶処理を行う予定だ。大体の研究員はこの部屋の存在すら忘れるだろうな」
「で、また知ったらまた忘れさせると」
フランチェスカが呆れ顔で言う。彼女は部屋にある机でファイルに実験結果を挟んでいた。
「何だか、この研究所でちゃんと『生きている』人間はアタシらだけみたいだね」
エスペラントに所属する者は、一定の者を覗いて定期的に記憶処理を行う。いずれ実験体となる人間を逃がさないようにするためだ。最も避けたいのは実験体が居なくなることだ。この実験がバレて警察に通報されようが、そんなことはどうでもいい。警察ですら片手で転がせるほどの技術を、エスペラントはもう既に開発してしまったのだから。
それよりも重要なのはこの実験だ。永遠の命が手に入ったとして、若さを保つことは可能か。体に変化が訪れて、器官も機能していかなくなれば屍と何の違いがあるか。
空白の一日が巡ってくるまでは、まだ時間がある。
もし空白の一日をそのまま過ごしてしまい、その機会を逃せば......いよいよ寿命が迫ってくる。
死ぬなどごめんなのだ。あんな意味のわからない状態に理不尽にされるくらいならば、自ら世界を変えなければならない。誰も死に逆らおうとしないのだから、狂っているのは世界の方だ。
空白の一日を、一週間でも、一年でも伸ばす方法だって知りたい。時間をねじ曲げ、その時間を継続すれば生きていることになる。
とにかく死にたくないのだ。
「......良い目だね」
フランチェスカがベルナルドをうっとりとした目で見上げている。
「恐怖と自信に満ちた目だよ」
フランチェスカが笑って言った。ベルナルドは少し考えているのか静かに彼女を見つめていたが、やがてそんな彼女の頭を撫で、そっと引き寄せた。
*****
今のところ、エスペラントで成功している実験は、脳の記憶に関するものだけだ。
脳から記憶を吸い取る、もしくは記憶を覗く。
この技術はエスペラントだけが持っている技術だ。他人の考えていることを丸ごと見ることが出来る。大きな機械や準備、条件等はあるが、調整をしていけば強い武器となり得る。
そのほかの実験は時間という概念の停止や逆行。かなりの仮説を立て、此方は空白の一日が来た時にその答え合わせを行う予定だ。
そして、永遠の命の創造。今のところ様々な動物や植物の細胞を、特別な薬を混ぜ合わせて人間に注入するとどうなるかを見ているところだ。
時間の概念の実験が成功すれば、この実験はいらなくなるが、それまでは続けていくという方針だった。
エスペラントで主に行われているのは以上の実験だ。政府はもちろん見向きもしないし、世間に出れば大騒ぎになるだろう。人間の倫理観を無視した研究所、という話題はどれほど美味いニュースの種となるか。
そして、その実験は全て一人の男の欲望によって行われていることだということが大きな問題である。
軍で実験場を守り、洗脳した部下だけで周りを固め、その部下の中から少しずつ実験体を選んで殺すまで使う。
もちろん、そんなことをされる運命にあるとは部下たちは知らない。知っているのはフランチェスカ、エリゼ・ジンデル、キュルス・ガイラー、マヌエル・プリチェット、そしてマーガレット・バートレットくらいだ。
軍の方はベルナルドから独立した場所に位置するため、基本的にベルナルドが指示することは無いが、会社の資金の調達を任せている。それは戦争介入だ。戦争に勝ちたい国が喉から手を欲しがる軍力の提供。エスペラント軍は、元国軍でトップを務めたマヌエルが居るからか、軍力が非常に高かった。これだけで国をひとつ潰せると言っても過言では無い。
彼らが居るからこそ、エスペラントは成り立っていると言える。
血塗られた会社と言われようが、構わない。
むしろそうでもなければ欲望が叶えられないのだ。
この世に存在するもの全てに関わる「死」を覆すにはこれくらいしなければ。
ベルナルドは今日もほくそ笑む。
そして、怯えている。
表につけた仮面は囮。それに誘われた虫を捕まえ、もう戻れないように調教を図る。
その裏、いつやって来るか分からない死に怯え続けている。
それがベルナルドだ。
「恐怖と自信に満ちた目」
フランチェスカが言った言葉は、いつまでもベルナルドの心に残っていた。




