第五十六話 勇者の迷い
鈴菜の別荘を飛び出したアンナは、ひたすら迷宮の森の中を走っていた。
後ろから誰かが追いかけてきているようだが、あらかたセイヤあたりだろうと考えてひたすら走り続けた。
マアサは、自分が倒すべき魔王だった。ということは、彼女が“お兄様”と呼んで慕うセイヤも只者ではないということだろう。
意味が分からないよ。
彼女の声にならないつぶやきは森のざわめきにかき消されていく。
その時である。
後ろから接近してくる気配に大方の検討をつけて振り返ると、予想とは違う人物が立っていた。
「まさか、あなたが来るなんてね……」
「えぇ、そもそも彼はあっちサイドの人間だかね。まぁ本来はって話で本人の気持ちなんてわからないけれど……」
「そうか……やっぱり、そうなのね」
微妙な静寂が二人の間を支配する。
その間にも魔王は、城へ向けて移動をしているのだろう。
「なぜ、魔王との戦いにそこまでこだわるのか理解できませんね」
「まぁ一般人には理解できないかもね。勇者と魔王の戦いにはいくつのかのルールが存在しているの。私は、悪魔でのその決まりにのっといてやってるだけ……」
「ルール?」
「そうよ」
魔王との戦いにおいてルールが存在するなど初耳だった。
別段、すべての戦いを知っているわけではないが、魔王が人間に対し宣戦布告をし、それに対して国が勇者を選定し送り出すというぐらいの知識しかないからかもしれない。
「大体、勇者は魔王が現れてから選定されるとか言われているけど、召喚されてからすぐに伝えられたわ。その時には、先代の魔王が生きていたのにもかかわらずよ」
「なに? 先代の時代からっておかしいね。まるで、次代の魔王が現れるのが確定しているみたいなイメージを受ける」
「えぇ。その時点で彼女が魔王として人間に宣戦布告を行うのが確定していたのよ」
あまりの衝撃にオリーブは、声が出せなかった。
魔王が宣戦布告を行ってから勇者の選定が行われる……これが当たり前の流れだと思っていたからだ。
「そもそも、魔王側からしたら動機なんてどうでもいいかもしれないわ。だって、しっかりした内容もあればあいまいなものもあったって聞いてるし」
「割といい加減なんだね」
「えぇ。たとえどんな内容だったとしても、王国側がそれを宣戦布告だと判断すれば、形だけの儀式をやって、勇者を送り出すの」
アンナは、足下の石をコツンと蹴る。彼女ががけった石はガサッという音を立てて藪に落ちた。
「恐らく、一番大切なのはいかに戦う理由を作るかということ。宣戦布告の内容なんて聞かされてないからそんなものが実際にあるのかどうかすら怪しいわ
「割といい加減なのね」
「えぇ。神話の中でもあったでしょう? 別段、二つの勢力の代表が戦って、勇者が常に勝つ。それがあれば十分なのよ。これで十分?」
どこかうんざりとした様子のアンナは、再び石をけった。
「アンナの気持ちはどうなの? 本当にマアサと戦えるの?」
オリーブの言葉は、まるで忘れかけていた古傷が一気に開くかのようにアンナの心臓を大きくえぐった。
「仕方ないじゃない……私だって、マアサの相手なんかしたくないわよ。でも、私は勇者であの子は魔王なの……仕方ないのよ」
「でも!」
「魔王と戦う勇者の心得その一。魔王とは必ず戦わなければならない。心得その二。いかなる場合においても魔王と思われる人物に対しては、戦いを挑まなければならない。心得その三。勇者は必ず勝たなければならない。なお、魔王城外での試合は例外とする……これがルール。マアサが魔王だと知ってしまった今では、どれを使っても戦わざるを得ないってことよ」
どこか、あきらめているようなあいまいな笑みを浮かべながら、アンナは聖剣を空へ向けた。
「これは、ニンゲンが決めたことではなく神が決めたこと。破ることはできない」
「それで……それじゃあアンナの気持ちはどうなるのさ! マアサだって、アンナと戦いたくないはずですよね! だったら、うまいこと戦わない道を模索すれば……」
「無理よ! 何時だってそうしてきた! この世界の人たちは、魔王と勇者が戦って魔王が死ぬのが当然だと思ってるけど、そんなのはおかしいよ。私は、私はニンゲンと魔族が対立しないですむ道を探していたけど見つからなかった! 無理なのよ! 神が決めたことには逆らえない……」
いつの間にかアンナは泣いていた。
マアサと会った時から実のところうすうすと感じていた。瞬間移動を始めとした人間離れした魔法や大爆炎の魔法などあまり表だって見せるわけではなかったが、偶然見てしまったそれらの魔法はとてもあの年の少女が操るものではなかった。
でも、それでもマアサはこの世界に来てから初めて友人と呼べる人だった。
アンナは、オリーブの胸に顔をうずめて泣き続けていた。




