第百二十四話 鬼ごっこ(後編)
アンジェルが必死に走る背中を、観測者の少女は余裕綽々と言った様子で追いかけていた。
「ほらほら、もっと走らなきゃ。そうじゃないと、つまらないじゃない」
「だっ誰か! 誰かいないの!」
鬼ごっこが始まってから20分ぐらいは経っているはずだ。
なのに誰とも出会わないというのはおかしいのではないか? いくら広大な図書館だといってもその大きさに合わせて司書というのは何人もいる。
それにこれほど大騒ぎしているのなら、あの司書長が気付かないわけないのだ。
なのに誰も来ない。いや、もしかいたらこれないのかもしれない。
「違う。この角を曲がれば出口のはずなのに……」
図書館の構造は大体、覚えているはずだ。
なのに道を間違える。ここまでくれば、一つの仮説を立てるのは容易だ。
思考がそこに至った瞬間、アンジェルは大きくバランスを崩して転んでしまった。
視界の端に観測者の人形が見えた。
どうやら、走るアンジェルの足元に糸を引いていたようだ。
「痛ったたた……」
「あらあら、転倒しちゃったわね。はい。捕まえた」
観測者が地に付しているアンジェルの肩を持った。
その瞬間、背中に凍りつくほどの悪寒が走った。
観測者の手は、肩からゆっくりと首の方へと回って行った。
「ねぇ。最期に教えてくれないかしら? あなたに私がここを訪れることがあるって話を流したのは誰? ちゃんと答えてくれれば、あなたの処遇、少しぐらい考えてあげてもいいのよ?」
答える気はなかった。
怜菜は、大切な友人だ。そのうち、彼女にたどり着くのかもしれないが、自分が話したせいでとなるのは嫌だった。
「答える気はないのね?」
首を絞める腕の力が強くなっていく。
しかし、その力は急にふっと弱くなった。
「結構、強情ね。どうしようかしら……ねぇ?」
いつの間にか、体の上から前に移動していた観測者は、アンジェルの髪を引っ張って顔を上げて、ジッとのぞきこむ。
「その辺にしておきなさい。アルドンサ・マリ・モンテジョル。あなたは、いちいち細かいことを気にしすぎよ」
「あんたが暢気すぎるのよ。マリー」
自分を掴んでいた手が離れて、再び地面に顔をたたきつける。
姿こそ見えないが、今観測者と話しているのは図書館館長マリーで間違いないだろう。
「大丈夫?」
「はい。大丈夫です」
マリーに手を貸してもらいながら、アンジェルは何とか立ち上がる。
目の前のアルドンサ・マリ・モンテジョルと呼ばれていた観測者は、アンジェルが無事に立ったのを見届けるなり、苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべていた。
「あら、感情が表に出ないあなたにしては珍しい……この子を……アンジェルを殺し損ねたのがそんなに悔しいのかしら?」
マリーの問いにアルドンサは答えない。
「答えなさい! 観測者アルドンサ・マリ・モンテジョル!」
「えぇそうよ。まったく関係ないニンゲンへの情報漏えいなんて気分が悪すぎてへどが出そうだわ。ちゃんと証拠は消したはずなのに、なんでよりにもよってこんなニンゲンに! あぁほんと胸糞わるい!」
アルドンサが右手をふるうと、それに合わせるようにたくさんの人形たちが彼女を囲むように出現する。
「戦う気? いくら、あなたの魔法をかけたところでここは、私の図書館よ。どう考えても私が有利だと思うけど?」
「うるさい!」
たくさんの人形が各々の武器を持って、攻撃を仕掛けてくる。
しかし、マリーは自身とアンジェルを囲むように結界を組んでその攻撃を防いでいた。
「はぁ今、かなり感情が高ぶってるでしょ? 少し頭を冷やしてから出直してきなさい。それとも、この図書館から締め出して出入り禁止にすればいいのかしら?」
マリーがそういうと、攻撃の雨がすっかりとやんだ。
「チッわかったわよ」
攻撃をやめたアルドンサは、恨めしそうにアンジェルの顔を見た後、光の粒子となって消えて行った。
「はぁ助かった……」
その瞬間、アンジェルは思わずその場にへなへなと座り込んでしまった。
「あとでいろいろ聞きたいわ。今夜、仕事が終わったら私のところに来なさい。もちろん、関係者を引き連れてね」
マリーは最初からアルドンサとの戦闘などなかったかのように涼しい顔で立ち去って行った。




