第百十三話 お茶の淹れ方
マアサが退室したあと、マリナはノエルとともにお茶を持って執務室に向かう。
「基本はマアサ様が頼んでからでいいんだけど、そろそろお茶がほしいとおっしゃるころだから……」
ノエルが、そういったときひとりのメイドがパタパタと走ってきて目の前で気持ちいいぐらいきれいに転ぶ。
「あらあら、大丈夫?」
「はい。大丈夫です」
水色の髪とアクアマリンのような瞳を持つメイドは頭をさすりながら立ち上がる。
「それで? 用事を聞いてもいいかしら?」
「えっはい。お嬢様がお茶を所望しておりますので、すぐにお願いします」
「やっぱり……マリナ急ぐわよ。ありがとうユナ。仕事に戻って頂戴」
「はい」
ユナと呼ばれたメイドは頭を下げてマリナとノエルを見送った。
*
ノエルは、コンコンとノックをして、マアサの部屋に入り、マリナもそれに続く。
「あら、あいかわらず早いですわね。ありがとうですの」
出会ったときから、気になっていたことだが、マアサのこの口調は、素でやっているのだろうか? 少しばかり不自然なことがあるので、とってつけたようにやっているという印象を持ってしまう。
「マリナ。私の顔に何か?」
「いえ、何でも……」
だが、相手は魔王だ。雇い主だ。一応、主だ。それはさすがに聞きにくい。
「そうだ。せっかくだから、マリナ。お茶を淹れてくださいまし」
「マアサ! 私やったことないんですけど!」
「大丈夫ですわ。いずれ、淹れるようになりますの。ですから、練習だと思ってやってくれればいいですの」
「まぁその意見も一理あるけど……」
目の前に座る魔王は、薄ら笑いを浮かべてマリナの姿を見ていた。
こういった姿を見てると、何か裏がある気がしてしまうのだが、お茶を淹れる程度でそんなことはありえないだろう。
「さぁさ。早く淹れてくださまし」
「はい」
マアサに促される形で、マリナはお茶を淹れはじめる。
横から、ノエルが手を貸そうとするが、マアサがそれを阻止する。
「なるほど……やはり、なくなっているのは自分の出自、体験した出来事と言ったいわゆるエピソード記憶というやつすわね。予想通りですわ」
「マアサ様。そのエピソード記憶というのは?」
マリナが聞く前にノエルが口を開く。
マリナもまた、マアサが何を言っているか理解できていなかった。
「えっと、エピソード記憶というのはですわね……」
マアサは、手元にある本を開く。
「えっと、この場の状況を例にいたしましょうか。一応、確認いたしますけど、お茶の淹れ方はどこで?」
「えっさぁ……なんだか、淹れようと思ったら自然と浮かんできたといいますが……」
マリナの答えを聞いたマアサは、満足そうな表情を浮かべる。
「ありがとうございますの。さて、ざっと説明いたしますと、お茶の淹れ方は知っている。しかし、それをいつどこで誰に教えてもらったかは覚えていない……そんなところですわ。ようするにいつどこで何があったという記憶はなくしてしまっても、今までの人生で得た知識はしっかりと持っている。そんなところですわ」
マリナは、理解できているようなできてないようなあいまいな笑みを浮かべる。
「これで理解できましたの?」
「えぇ。何とか……なんとなく……」
「そうですの。ならよかったですわ。それと、わざわざ二杯淹れさせた理由。わかってますわよね?」
「はい。お客様がお見えのようですので……私たちはここで失礼いたします」
ノエルは、頭を下げて退室していき、マリナもそれに続いて行った。
「お客様ってどこにいたんですか?」
部屋を出たあと、マリナはノエルに尋ねてみる。
あの部屋には、マアサ以外の人物がいるようには思えなかった。しかし、ノエルはお客様がいると言い切ったのだ。
「あなたは知らなくていいことよ。時期が来たらマアサ様から話があると思うわ」
「わかりました」
マリナは、マアサ直々の誘いを受けたとはいえ新参者だ。
最初からすべてを教えてもらえるわけがないということだろう。
マリナはマアサの言っていたことと“お客様”のことに関しては気になっていたが、仕事に集中しようと頭を切り替えてノエルの後について行った。




