第百十二話 少女の名前
マアサが魔王城に帰ると、まるでそこに来るのがわかっていたようにノエルと少女が立っていた。
彼女が本当に先代勇者なのだろうか? だとしたら、なぜ魔族領にいたのだろうか? なぜ、あんな血塗れで倒れていたのだろうか?
疑問は尽きないが、彼女に記憶がない限り、それを彼女自身の口からは聞けない。
「おかえりなさいませ」
「ただいまですの。二人とも、時間はよろしいですの?」
「はい。問題ありませんが……」
「そう、ならいいですの。ついてくださいまし」
マアサは、そう言って寝室の横にある部屋に入っていく。
少女とノエルは、その少し後を追って部屋に入って行った。
マアサは、部屋に入るなりイスに腰掛けて、ノエルたちにも座るように促した。
「お話というのはなんでしょうか?」
「簡単な話ですわ。あなたの名前……決める約束でございましょう?」
「えっ本当にいただいてもいいんですか?」
驚きの色を浮かべる少女を見て、少しほほえましく感じた。
「えぇもちろんですわ……あなたの名前は、マリナ。そう、マリナにしましょうか……それがいいわ」
いっそのこと、先代勇者に近い名前にしようかと思ったのだが、彼女の記憶を無理に引っ張り出す必要はない。
だからこそ、当たり障りのないところで自分の名前をもとに考え出したのだ。
「マリナ……いい名前ですね。ありがとうございます」
少女改めマリナは深く礼をする。
その動きはきれいで、ノエルには悪いかもしれないが彼女の指導だけではないのではないかと感じさせるものだった。
「それで、マリナ。一つ聞かせてくださいまし」
「はい。なんでしょうか?」
マアサは、少し視線を泳がせてから話しかける。
「あなたは……記憶を取り戻したいですの? それとも……」
「記憶は、わかりません。かつて、私がどんな人だったわからないからということもあるかもしれませんが、良くわからないんです。だから、それはもう少し考えてみることにします」
あいまいな笑みを浮かべるマリナを見て、マアサはくすりと笑ってしまった。
「本当にあなたは結論を先送りにするのが好きなんですわね……でも、悪くはないと思いますわ。こうったことは、人生を大きく左右いたしますんの。ですから、安直には決めずにじっくりと悩むといいですわ」
彼女は、自分とはまた違った考え方を持っているのだということをひしひしと感じさせる。
マアサは、どちらかと言えばそれをすべきかどうかを考える暇があれば、考えられる限りの保険を掛けながら実行してしまうのだ。
それに対し、マリナはやるかどうかという段階でじっくり考えてから行動に移す。
悪く言ってしまえば優柔不断なのだが、よく言えば慎重なのだ。
「マアサはそんなに考えずに行動するんですか?」
「いや、そういうわけじゃありませんの。ただ、やろうと思ったことはすぐに準備を取りかかりますの。それで、失敗しないために別の道もしっかり用意して保険もかけておきますの。それが、私のやり方ですわ!」
胸を張って堂々としているマアサに対し、マリナはどこか懐疑的な様子だった。
「何かありますの?」
「えっえっと……確かに保険をかけるっていうのはいいのかもしれないけれど、疲れませんか?」
「はい?」
マリナの質問の意図が理解できなかった。
失敗して問題を収集する手間を省くために保険をかけて確実性を上げているのだ。もちろん、失敗するときは失敗するがそうなっても被害が大きくならないようにさらに保険をかけてあるのだ。
だからこそ、これまで魔王としてうまくやってこれたという自負がある。
「いや、なんでしょうか……変な誤解があるといけなんですけれど、今の言い方だと大きいことも小さいことも全部、保険をかけてやってるのかなっていう気がして……それって、疲れませんか? もちろん、重要なことなら保険をかけるべきだと思います。つまり、なんというかすべてのことに保険をいちいち考えてつけるのは大変じゃないかって……」
「そうですわね。そんなことありませんわ。だって、今までずっとそうしてきたんですもの」
今までがそうだった。
計算されて、失敗しても保険として用意していたルートに乗れば結果は大きく変化しない。ずっとそうし来たのだ。
目の前の少女は、それが疲れないかと聞いてくる。
そんなことを言われたのは初めてだった。
「……そうですわね。たまにはじっくりと考えてみるのもいいかもしれませんわね。なので、その答えはまた今度にいたしますわ」
そういうと、マアサは二人に背を向けて部屋から退室していった。




