第九十八話 バルコニーから望む月
「きれい……」
王宮の奥にあるバルコニー。
ひっそりとしたその場所から望む満月はとても美しかった。
「でしょ?」
「面倒だけど、お月見なんてしたら最高だろうな」
「お月見?」
アンナとユキが似たような動きで首をかしげるので、誠哉は日本の伝統行事で月をススキやお月見饅頭をおいて月を楽しむことだと説明する。
「なるほど……お月見か……一回やってみたいわね」
「うん。そうだね!」
はたして、ススキやお月見饅頭のことを正しく認識できているのか怪しいが、とりあえず良しとしよう。
アンナは、バルコニーの端の方まで行くと、手すりに手をついて空を見上げた。
「昔ね。この場所でね、ちょうどこんな風に師匠が立っていたの……何だか、不思議な感じだったわ」
「へーアンナの師匠ってどんな人だったの?」
「私もそれ気になる!」
誠哉だけならまだしも、ユキにまでせがまれたアンナは、一つため息をついてからゆっくりと語り始めた。
「そうね。出会いは、さっき言った通りこの場所だったわ……」
*
「どこ? ここ……」
少し城内を探索するつもりが、まったく見たことのない場所へ出てしまった。
どこをどう来たかもわからない。
とりあえず、今目の前にあるのは大きな扉だ。
「行って……見ようかな?」
王宮の中は、大体どの場所も人がいた。
しかし、この場所は違う。人の気配がまるで感じられないのだ。
アンナは、その扉にゆっくりと近づいて恐る恐る扉を開けた。
「歌?」
その時、アンナの耳がとらえたのは、あまり聞きなれない独特のリズムを持った歌だった。
扉の向こうはバルコニーになっていて、そこの手すりに手を付けて、もたれかかるように立っている女性が歌っているのだろうか?
「あら? お客様だなんて珍しい。私の素晴らしい美声に引き込まれた迷い猫ちゃんかしら?」
「いえ、あの……」
妖しげな笑みを浮かべる女性は、あっという間にアンナの前に着て、持っていた短い棒の先をアンナの首もとに突きつけた。
「にしても、どうやって来たのかしら? “勇者さん”」
「あなたは? 誰なの?」
当時、アンナが勇者であるということはおろか、その存在自体、一部の人間しか知らないはずなのだ。
「くくっあはっはっ! 今度の勇者さんは、好奇心旺盛なわりに警戒心が強いのかしら? ちょっと笑えてきたかも」
「えっ?」
警戒しているアンナを見て、女性は一気に雰囲気を変えて笑い焦げ始めた。
「ちょっと! 何がおかしいんですか!」
「いや、ちょっと……こんなところまで来ててそれはないわーあはは……笑いすぎて涙が出てきちゃう」
「どこがおかしいんですか!」
アンナが持った師匠に対する第一印象は変人であった。
*
それからというもの、いつもその場所にいる彼女に会うために、しょっちゅうこの場所を訪れていた。
近衛兵隊長だとか、国防は自分にかかっているだとか、こんなところで黄昏ている人物の口から出ても信じられなかったが、真っ向から否定する気にはなれない。
なんというか、他の兵士たちよりも大きく雰囲気が違ったのだ。
具体的にどこがどう違うかと問われれば残念ながら答えに詰まってしまうが、実際問題、彼女に勝負を挑んだところでまず勝てないだろうということだけは分かっていた。
「修行をつけてほしいって?」
「はい」
そんなことを踏まえたうえで、ある日彼女に弟子入りを志願したのだ。
「えーそんなこと言われてもなー」
いつもの手すりに座って足をぶらぶらさせながら、師匠は空を仰いでいた。
これは、ダメかな……
そう思っていたのだが、彼女の返事は意外なものであった。
「いいよ。ただし厳しいから泣き言を言っても知らないわよ」
そういうと、彼女はどこからか木刀を二本取り出してそのうち一本をアンナに投げた。
「じゃっ厳しくやるから覚悟しなさい」
そうやって、師匠とアンナの修行が始まった。
補足しておくと、彼女が先代勇者だと知ったのはアンナが勇者として城を発つ少し前だ。
最後の見送りにと言って屈強の男どもを押しのけ最前列でアンナの背中を見送っていた。その時に“先代勇者である私が直々に修行をつけてやったんだ。負けて帰ってきたら容赦しない”といつもの笑顔で言ってのけるのだから、ひどく驚いたのを覚えている。
*
「これが、師匠とも思い出……と言っても、すごく簡単にだけど」
「まぁなんだ。先代勇者が面倒な変人だってことは分かった」
「えっまぁ当たってはいるけど……」
誠哉の感想を聞いたアンナは不服そうだ。
しかし、今の話を聞く限りただの変人である。と言っても変な意味ではないが……
「まぁでも、せっかく帰ってきたんだから会いたいな」
アンナは、手すりから少し体を乗り出すと空に浮かぶ満月に向けて手を伸ばした。




