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灰色の境界  作者: 宵時
第五章
122/141

5-12 失意の淵で

 薄く空を覆う雲が太陽を隠している。時折切れ目から陽光が降り注ぐ。

 人工芝を手で撫でる。ざらざらした感触とくすぐられる感覚。何かに触れて反応が返ってきて体が知覚している。確かに、俺はこの世界に存在している。

 近くのベンチが空いているが座る気にはなれなかった。

 風はない。少し肌寒かった。ジャケットのジッパーをあげて首元を隠す。

 俺は拠点の運動場の隅で膝を抱えて座っていた。

 運動着を来た少年少女が一つの球を追ってグラウンドを駆け回っている。

 ランニングウェアをまとった少女達が一番大回りで走っていた。決まった速度で周回しているわけではなく、思い思いの速度でゆっくりと土を蹴っている。

 少しずつ速さを落としてウォーキングへと移行している。競争や訓練ではなく、練習項目をこなした後に体をクールダウンさせる前の下準備だった。

 ホイッスルが鳴り響き、男女混合でサッカーをしていた者達が中央ラインに集まってきて一列に並ぶ。

 相手への敬意を表して一礼し、それぞれの陣営に分かれていく。

 くぅ、と腹の虫が鳴いた。小さく息を吐く。白い。

 吐息と一緒に大事なものも抜け出てしまいそうだった。

 ゆるりと近付いてくる足音。背中から抱きすくめられる。

 柔らかい感触が背に当てられ、潰れていく。

 普段なら気恥ずかしくなるような状況でも、俺の心に波が立つことはなかった。

 首筋に息を吹きかけられる。条件反射的に身震いしてしまった。

「神坂さん。今、俺は期待に応えられる状態じゃないです」

「つれないねぇ。そんなに選ばれなかったことが悔しかった?」

「……神坂さんこそ。鬱憤を晴らすために俺で遊ぼうとしてるんじゃ?」

「暗い暗い……モヤモヤした時こそ発散しなきゃ」

 口は思ってもないようなことを吐き出す。そんな自分自身が不快だった。

 俺と同じ立場であるはずなのに、背中に豊満な胸を押し付けている八千翔(やちか)の声は普段と変わらないトーンで世界を転がし、奏でる。

 刀霊の儀において、俺は手に取った太刀に誘導される形で自傷し溢れ出る死念の前に意識を保てず気絶してしまった。

 拠点で目覚めた後、室内演習場で(うい)が赤亜に対して霊剣・狂想空破の能力を見せた。返礼として赤亜は霊剣・巳架鷺(みかさぎ)を解放し空間をも裂きかねない斬撃を相殺する一撃を見舞った。

 俺は二人が内側に抱える〝魂の起源(やみ)〟の一端を見ていた。

 壊れている、と評される血濡れの少年……坂敷 紅狼はそう言っていた。

 情景が蘇る。ぶつけられ、刻まれた言葉が脳裏に浮かぶ。

 父親を否定された。俺自身もガラクタを見るような目だった。

 膝を強く抱いて顔を伏せる。胸にぽっかりと穴が開いたようだった。

 多分、これはずっと昔から開いていて気付いていないだけだったのだ。

 意識すればするほどに穴は深い闇を見せている。

 霊剣が使うに値する人間を選ぶ基準が、内側に抱えるものであるならば俺こそ至上のものではなのだろうか。

 それとも、紅狼が告げたように形を持たない闇であるからか。

「本格的にマズいみたいだね」

 声と共に柔らかい感触が離れていく。寂しいとは思わなかった。

 勿体ないとも、もっと触れたいという気持ちもなかった。

 俺の内側にある深淵が無明の闇である、ということでもないらしい。

 背後から離れた気配は隣にある。肩を叩かれた。俺は動かない。

 動けない。動きたくもない。

 クラッドチルドレンたる少年少女を前にした説明時に、聴衆としてでなく有事の際に対応する人員として初や八千翔と共に選ばれた。

 その時点で、俺は千影に重用されていると思っていた。

 刀霊の儀に招かれたのも、資質を見込まれたからだと思っていた。

 特別な何かだと、成れると思っていたのに、俺は〝選ばれなかった〟のだ。

「今回のクーデターはね、少数精鋭で行くっていう方針を聞いたでしょ。霊剣の

能力を鑑みて、私より初ちゃんが切り込み役に向いていた。それだけの話」

「……よく、簡単に割り切れますね」

「割り切るも何も、ここを守るのも大事な仕事だからね。

千影さんに赤亜さん、初ちゃんに狼くん。攻撃適性のあるメンバー全員

連れて行ったら、何かあった時に誰がここを守るために立ち向かうのかな」

「それ、は」

 顔をあげる。拠点には多くの少年少女達がいる。

 彼らの一部は定期的な入れ替わりで、合宿気分で過ごしている者達だが多くは〈灰絶機関(アッシュ・ゴースト)〉のメンバーとして最低限自分自身を守れるよう修練を積んでいる下部人員だ。

 彼らは霊剣を手にする機会すら与えられなかった。

 それでも己を磨いている。自分にできる、何かを探している。

 ただ、八千翔の言葉は彼女自身を納得させるための言葉にも思えた。

 グラウンドの少年少女から視線を外し、下の人工芝を見つめる。

「神坂さんは、本当にいいんですか。あの洗濯板女の傍にいなくても」

「初ちゃんがいたら冗談抜きにたたっ切られてるよ?」

「心配じゃないんですか。いつも、一緒だったじゃないですか」

 軽口には応じない。

 何度も何度も言葉の打ち合いができるほどの気力がなかった。

 今、俺自身が何故八千翔に問いをぶつけているのかわからない。

 違う。理解したくないのだろう。

「選ばれなかった理由作りをしている、とか思っちゃってる?」

「……神坂さんの方が、適任だったんじゃないですか」

「言ったでしょ。私より初ちゃんの方が敵陣へ切り込むことには向いている。私の霊剣は単独行動でこそ光るからね。それ以外の使い道も模索したいところだけど」

「遠回しに、何もできない俺への当てつけですか」

「真っ暗のまっ黒ね。そんなに殺しにいきたかったの?」

 声に怒気は感じられない。それでも、顔を見るのが怖かった。

 選ばれなかったのが悔しかったのか。

 それとも、紅狼がこぼした言葉に千影も相滝も何もフォローしなかったことが悲しいのか。結局何の力にもなれないのが悲しいのか。

「承認欲求、ってやつッスね」

 ぽつり、と落ちた言葉が傷口から染みて全身に広がっていく。

 振り返ると、いつの間にか青璃(せいり)が立っていた。

 相変わらず微笑を浮かべている。居残りが嬉しいのだろうか。

「ゼキエルが参陣してボクは置いてけぼり。やせ我慢とかじゃないけど

何とも思ってないッスよ。それぞれが適した役目を果たせばいいだけッス」

「……そんなに、わかりやすいですかね。俺」

「初々しい感じで。初ちゃんと同じくらい顔に出まくってるッス」

「ね。波動で威嚇しちゃってるのも全く同じ。喧嘩するほど仲がいい、ってね」

「同属嫌悪とも。どちらにせよ、亮くんはまだ戦場に出るべきじゃないッス」

 八千翔と挟むようにして青璃が俺の隣に腰を下ろす。

 膝を抱えていた腕を解き、自らの体を見回すが何も見えない。

 そもそも自分が波動を放っているかどうか意識できるものなのか。

 他人のものを感知する分には、クラッドチルドレンとしての力と生来の気質から自然とできている。思えば、気を抑えるという行動を自発的に行った記憶はない。

 気配を殺すのとはまた別系統なんだろうか。

「定時報告。周辺、異常ナシ。下部の子にも目立った問題はないッス」

「お疲れ様です。じゃ、私が変わりますね」

「お願いッス。あ、亮くん借りてもいいッスか」

「どうぞどうぞー。おっぱい攻撃に反応してくれなくて悲しくて悲しくて」

「えっ、亮くん巨乳派じゃないんスか。まさかの貧乳派……」

「反応すら示してくれなかったからEDなのかも」

「冗談キツいッスよ! まだ精通もしてなさそうなのにぃっ」

 好き勝手に言われているが反応する気も起きない。

 八千翔も、青璃も完全に割り切って行動しているのだ。

 言葉に嘘偽りはなく、与えられた役目を果たそうとしている。

 必要とされず、否定された気持ちを抱えているのは俺だけなのか。

 浮遊感。ジャケットの襟首を引っ張られる。意外な筋力に驚きつつも、立たされ流れのままに振り向かされる。青璃が笑顔で頷く。

「さ、ちょっと付き合ってもらうッスよ!」

「一応言っておきますけど、男色の気はないので」

「否定するのは、そういう願望もありますって表明でスかね」

「いやいやいやいや」

 何を言ってるんだこの人は。

 八千翔は座ったまま、グラウンドの方を見ている。

 俺にはどこか、その眼差しが寂しそうに見えた。

 本心では、やはり初と共に戦場に立てないことが悲しいのかもしれない。

「ほらほら、見惚れてないで行くッスよ!」

「わ、わかりましたから引っ張らないでくださいっ」

「もう、やっぱり巨乳派じゃないッスか」

「ですからねぇ……」

 疲れる。八千翔も青璃も精神を休めさせてくれる気配がない。

 がっちりと腕を掴まれた俺は、やる気なさげに手を振る八千翔に見送られて連行されていった。青璃は速足で演習場へと向かっている。

 紅狼の言葉がちらつく。跳ね飛ばすように頭を振る。

 彼らは戦場へと向かった。初を切り込み隊長とし、殲滅力に優れた千影と紅狼が中核となって赤亜がサポートする。他に別の区域でこの拠点と同じように各地のクラッドチルドレンを集めて鍛錬させていた者も合流するらしい。

 現地で情報工作や隠蔽を担当する人員を含めれば、それなりの規模にはなるが実働の戦闘員は十人にも満たないそうだ。

 それでも十分すぎる。千影一人でも人ならざる暴力を振るうのだから。

 演習場へ着くとようやく青璃は手を放してくれた。

 当然のように他に人はいない。相滝は調整した霊剣二振りと、新たに手渡した霊剣二振りの調子を確認すると、不治御剣にある工房へと帰った。

 この事実にも俺は捨てられたような寂しさを覚えさせられていた。

 自らの境遇を思い返すと心の中に隙間風が通っていくようだった。

 青璃はそそくさと模擬戦場へ向かって歩いている。

 一体何をさせられるというのか。

 招いた天使の実験相手か、はたまた霊剣の練習相手か。

 俺に務まるのか。どんどん卑屈になっていく自分自身が気持ち悪い。

 足取り重く室内に入ると、驚愕すべき光景が目に飛び込んできた。

「な、何してるんですかっ!」

 あれほど陰鬱な気持ちだったのに、声を張り上げていた。

 畳の敷かれた模擬戦場で、上半身裸の青璃が待ち構えている。

 傍に脱いだ衣服が綺麗に畳んで置かれていた。

「何って、見たまんまッス。脱いでるんスよ」

「や、それは見りゃわかりますけど、どうして」

「いい機会だから、ボクの〝魂の起源(やみ)〟を見てもらおうと思ってね」

「その、闇ってどういう……」

 言葉が詰まる。近付いて、青璃の裸体を見て気付く。

 おぼろげに見えていたのはタトゥーではなく、生々しい傷跡だった。

 全身を隈なく埋め尽くすように、多種多様の紋様が刻まれている。

 意匠は天使にも見え、また悪魔のようにも見えた。

 古代文字のような、一見では解読できない文字が走っている。

 俺の視線を受けて、青璃がくるりとその場で回っていく。

 胸に腹、脇に背中。首筋から背骨を突き抜ける傷痕は尾てい骨まで伸びていた。恐らく下半身も尻から足にかけて刻み込まれているだろう。

 全身を走り回る刻印は両腕の肘あたりで途切れていた。

 よくみれば、まるで新しく生え変わったように肘から先だけ傷一つない綺麗な肌を晒している。これほどの紋様がある中で、きめ細かな肌を見せる両腕は一際異彩を放っており、不自然ですらあると思えた。

 不自然、というのもおかしい。どれほどクラッドチルドレンが常人を超えた力を持っているとしても、腕が生え変わるほどの奇跡など起こせるはずもない。

 いや……〈天海堕落(アンジェ・ダウト)〉ならば可能だろう。

 人威を超えた天使の力なら、(ある)いは。

 そもそも、クラッドチルドレンとはいえ人間が天使の力を扱えるのか。

 千影が戦略兵器クラスの暴力を発揮するのだ。

 その下に連なる者として、持っていてもおかしくはない。

 そう思ってはいても、常人の感覚からすれば異常にして異質なのだ。

 俺自身、踏み込んでしまっているからこそ染まっていた。

 天海(あまみ) 青璃という〝人間〟は有り得ない神威をその身に宿し、操っている。人の領域を踏み越えている。或いは人間を辞めているとも。

 今更過ぎる感覚ではあった。

 悪寒が走り抜ける。青璃は、笑っていた。

 紅狼に感じたものと同質の、どろどろに濁った波動を感じる。

「さあ、知らしめてあげよう。君の闇とボクの闇を」

 青璃の手には黒と白に塗り分けられた脇差があった。

 刃も見せていない霊剣が禍々しい気を放っている。

 鞘の先が示す畳の上には、まだ()を持たない俺の太刀があった。

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