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灰色の境界  作者: 宵時
第五章
121/141

5-11 情動の矛先

 紅狼が見ているものを追う。

 畳の上に(しつら)えられた戦場で(うい)と赤亜が切り結ぶ。

 赤亜が有効射程で勝る長巻を振るって斬撃を叩き込む。

 初は赤亜の間合いに自ら飛び込み、さらに距離を詰めていく。

 長柄の得物に対して近付けば射程の優位は薄れる。

 特に槍や薙刀(なぎなた)に対しては有効だ。

 だが、赤亜も自身が操る武具の特性は理解している。

 初の振るう刃を長巻の柄で受けつつ、後退して距離を取っていく。離されるまいと初が赤亜を追う。距離を制する戦いが続き、幾度となく刃が打ち鳴らされる。

 紅狼はそんな二人の戦いを笑いながら眺めていた。体中から肌を突き刺してくる波動を感じる。まるで意識を共有しているかのように、昂揚していることが伝わってくる。

 格闘技やスポーツの大会で観戦している時、会場を包む熱気に当てられるような感覚でもあった。見ているだけで自身がその場で戦い、競い合っているような臨場感を得られる。

 紅狼が伝えてくるのは、より濃密に深層心理にまで刷り込んでくるような感覚だった。眠れる意志を引きずり出すような、表に出してはいけない情動を発露させられるような、期待と不安の入り混じる気持ちにさせられている。

「セイリス、結界を張れ」

「えー……今リラックスしてるのに酷いッスよぉ」

「初の起源を試す。ついでにゼキエルのものも加われば、大変なことになるが?」

「……最初から織り込み済みってワケっスね」

 休憩していた青璃(せいり)が諦めたように首を横に振り、立ち上がる。

 全身を震わせる霊力の波が走った。俺は身震いし、寒さに耐えるように自身を抱きしめる。ほんの一瞬だけ、眼帯をした青璃の右目に白い紋様が浮かぶのを見た。

 青年の背後に女性の像が現れる。

 一枚布をまとった、始まりの女のような姿だった。

 背中にはメタトロンと同じ青白い翼が見えている。

 神造の美貌といえる整い過ぎた顔立ち。唇が動く。音は聞こえないが、抑揚をつけた手振りと口の動きから察するに何らかの歌を唄っているのだろう。

 世界が揺らぐ。

 軽い地震が起きたように、一瞬だけ横向きの振動を感じた。

 薄っすらと模擬戦場を囲う壁が出現している。警察が事件現場を封鎖するような、危険を示す黄色と黒のテープが張り巡らされている、ように俺には見えた。

 同時に動物園の檻のごとく、上方から覆い被せる形で初と赤亜を閉じ込めているようにも見える。新たな天使によって空間保持の結界が展開されていく。

 その間にも赤亜が長巻を振るい、線の動きを見切って回避した初が刃を振るう。

 回避に回避を重ねて早期決着には至らない、観客に見せるための演舞。

 同時に俺には二人が意図的にそれぞれの得物で大気を引き裂き、世界に線を引いているように見えた。分けられぬ場所に黒と白の境界線を刻んでいくような願望に至るための決意を示し、何物かに向かって奉る。

 二人が模擬戦場で踊るさまを見ながら、相滝が感心したように頷く。

「赤亜殿はしっかりと肉体に自らの得物が欲しがるものを刻んでいるようだな。

系統でいえば、切田殿へ渡した刀も近いものを引き出してくれるはずだ。

二人とも、魂の起源がかざす方向を見ている。振るう対象を解している」

「……と、剣道の先生が仰ってるようにだな。

霊剣っていうのは人間が〝使われる〟んだ」

「意味合いは近いが的確な解説であるとは言えぬな。

我が造りし霊剣は世に念を遺して逝った者の邪気を込めている。然るべき

ものが内に秘める渇望を吸い、世界に呼び出すための引き金となるのだ」

「いや、だから同じでしょ。それぞれの欲望が弾丸で、霊剣に宿る死念(しねん)は火薬なワケ。んで、霊剣そのものは欲望を撃ち出すバレルってこと」

「少々概念を省いた説明だが、概ねその通りではある」

「剣道先生も素直じゃないね。ま、見てなよ。

あの二人が抱える〝魂の起源(やみ)〟をさ」

「や、み……?」

 体育座りのまま、紅狼は相滝と言葉を交わしていた。

 俺は霊的な圧力に萎縮してしまい、相滝と紅狼の会話を聞くだけだった。

 ようやく搾り出した声は初と赤亜が鳴り渡らせる戦いの音でかき消される。

 二人は互いの得物を軋れさせ、金属音を響かせながら拮抗していくと示し合わせていたように同時に刃を払って後方へ退いて距離を取る。

 赤亜と初がこちらを見た。

 俺ではなく、千影に向かって許可を求めているのだろう。

 戦いにおいて圧倒的な殲滅力を誇る異能を発揮したのは千影ただ一人だ。

 天使を現世へ堕とし、操る〈天海堕落(アンジェ・ダウト)〉も交えれば世界の(ことわり)を逸脱している者に天海(あまみ)兄弟を加えることになるが、まだ二人は攻撃性能を持つ天使を呼び出していない。

 常倉一派を殲滅した時点では初も八千翔(やちか)も霊剣すら所持していない状態だった。それでも、無法者共を圧倒していたのだ。

 即ち、元から備えている常人よりも高い身体能力だけで悪に対する裁きの執行を行っている。現に今も各所からクラッドチルドレンを集めて戦士、もしくは補助する下部メンバーとするべく育成を施している。

 頭数を揃えて物量作戦でいくのか。それとも一騎当千の少数精鋭でいくのか。

 千影の最終目的はどちらなのだろう。視線を動かす。

 赤亜と初からの要請を受けた千影は、静かに頷いて承認を示した。

 頷き返して赤亜と初がそれぞれ構える。

 赤亜は抜き身の刃を背負うように、長巻を肩に担いでいた。

 迫る敵兵を馬ごと薙ぎ倒す鬼神のごとき気迫を感じる。

 対する初も刃を鞘に収めて抜刀の体勢を取っていた。

 だが、こちらは迎撃ではなく、自ら先陣を切って活路を切り開く刃が見える。

 心臓が早鐘を打つ。眼前の戦いを食い入るように見る自分がいる。

 冷たいものが背筋を撫でていく。世界が切り取られ、引き込まれそうになっていたところで急激に現実へと引き戻される。昂ぶっていた何かが急速に冷えていく。

 座っていた紅狼が、いつのまにか俺の隣にきていた。

 体中に無数の切り傷が見える。何らかの封印じみた紋様まであった。

 身にまとう何かの圧力が怖い。酷く冷たいものを感じる。

 紅狼は心底愉しそうに笑っていた。ともすれば、嗜虐に心躍らす常倉 和久にも見えてしまった。蘇り、胃から這い上がるものを堪える。

 改めて臨戦態勢の二人を見守る。

 互いが互いに秘める力を溜めながら、初が先に口を開く。

「本当に、あたしからでいいんですよね?」

「なめるな。お前なんぞより先にこいつと〈紅〉を受け入れてるんだ」

「最近イラつくことが多い分、全部ぶつけちゃいそうですけど」

「二度言わせる気か? 戯言抜かす暇あるならさっさと来いよ、まな板娘」

「…………マジでぶった切ることになります、よ?」

 ぞるん、と全身に痺れが走っていく。

 瞬時に酸素を奪われたように息苦しく、激痛が走り抜けていく。

 痛みに打たれた後で、明確な憤怒からくる霊力の波動だと予測する。

 酸素を求めて呼吸し、深く息を吸うと体を襲う異変は治まっていた。

 噴き出る激情が一瞬だけ周囲にぶちまけられ、収束し静まっていく。

 まさに嵐の前の静けさだった。初が低く腰を落とし、構える。

「蒼天駆け抜けろ……狂想空破ぁぁぁっ!」

 初が抜刀するのと同時に、圧縮空気が解き放たれたように霊力が噴出した。

 刃が大気を切り裂くと共に刀が振りぬかれた軌跡を追って、斬撃が形を持って空間を飛翔していく。

 霊剣・狂想空破が見せた能力は斬撃の物質化、(ある)いは物体だけでなく空間ごと切り裂いて斬撃そのものを延長させる力か。

 激情任せとはいえ、これも死者の無念に後押しされた故の力なのだろうか。

 幾ら結界を張っているといえども、真正面から受け止めることなどできそうにもない。が、そんな俺の内心を読んでいるかのように赤亜が笑みを浮かべていた。

「それくらいなきゃ解放する意味がない……森羅万象薙ぎ祓え、巳架鷺(みかさぎ)

 飛翔する斬撃へ合わせるように、赤亜が長大な長巻の刃を叩き込む。

 ずぐり、と体にかかる負荷が増した気がした。

 大気が質量を持ったように、上空から落ちてくる感覚に襲われる。

 咄嗟に受身を取ろうとするも、見上げた視線の先に人影。

 紅狼が跳躍し、体を捻って回転していく。空中に無数の斬撃が生まれ、すぐに消えていった。紅狼は重力に引かれて四足獣のごとく華麗に着地。体操選手のように両手をあげてポーズを決める。空中回転を決めただけ、なのだろうか。

 空が落ちてくる奇妙な感覚は意識からすっかり消え失せている。

 まさか、とは思うが紅狼が何らかの力を発揮して不可視の力と相殺したのか。

 はたとして模擬戦場の二人へと目を戻す。

 霊剣・巳架鷺を振り下ろした赤亜に傷は見受けられない。

 初にも負傷はない。だが、休憩なしに何時間も走り続けたように青白い顔で、喘ぐような息遣いだった。だらりと前傾姿勢になり、肩を上下させている。

 手に引っかける程度で支えられていた霊剣が落ちた。

 硬い音を響かせて転がっていく。

「ん。まぁ、後先考えずにぶっぱなしゃ、そうなるだろうな」

「……はぁ、はぁ、はぁ。まさ、か。わざ、とあたしを怒らせ、て?」

「いやいや。慎ましい胸も魅力になるんじゃないか?

どっちかって言うと俺はスレンダーな方が好みだし」

「慰められてるのか、けなさ……れてるの、か。わかん、ない……ん、で」

 最後まで反論を紡ぐことができず、初が倒れて畳の上に突っ伏した。

 赤亜が右斜め上から左斜め下、左斜め上から右斜め下へと二度巳架鷺を振るってから鞘へと収めて畳の上に置く。

 ゆっくりと右目の(まぶた)を閉じて深呼吸する。

 ライトグリーンの瞳があらわになると同時に、眼帯の奥に紅の紋様が見えた。

 見間違いではない。青璃も赤亜も眼帯の奥に何かを刻み込んでいるのか。

 薄っすらと中性的な容姿を持つ人間の像が現れる。赤亜に招かれた天使が初の体に優しく触れていく。医者が触診しているような動きだ。 

「よし、と。念のため確かめたけど、内包霊力を食い尽くされて気絶しただけだ」

「ゼキエルが意識ごと刈り取っちゃったのかと思ったッスよ」

「アホの青璃も最初の能力起動時に吸われ過ぎて泣き言あげてただろうが」

「ゼキエルも似たようなものだったと記憶してるッス」

「……いい加減俺をゼキエルとかいう頭の悪い呼び方をするのをやめろ」

「やだなぁ、ゼキエルが初ちゃんにやったみたいなスキンシップの一種ッスよ!」

「はぁ……いいよ。もう、それで」

 どっと疲れが出たように赤亜が肩を落とす。

 俺も何だか緊張状態から脱したように、止めていた息を吐き出した。

 予めこうなることを予測していたのだろうか。外から下部メンバーに割り当てられた者達が担架を持って入ってきた。慣れた手つきで初の体が持ち上げられ、運ばれていく。狂想空破も一緒に搬送された。

 あらあら大変、と言いながら八千翔も後を追う。

 赤亜も嫌々ながら青璃の肩を借りて外へと向かっていく。

 見た目以上に霊剣の力を行使することは多大な疲労が伴うようだった。

 千影も見慣れているといった風にメンバー達を見送っている。

 脇腹への軽い衝撃。見ると紅狼が小突いていた。

「見たよな。あれが二人が抱える闇の一端だ。

頭目殿は魂の起源って呼んでるけどな」

「……あなた、も霊剣持ちなんですよね。それどころか、喰ったっていうのは、」

「お前には足りない。死念を受け入れる度胸と器はあっても、

精神が向けるべき矛先を示していない。だから霊剣に拒絶され、

名すら聞けない。当然、能力行使なんかできやしないんだな、これが」

「会話に、なってない気がする、んですけど」

 また鼓動が早くなっている。紅狼の言葉で揺さぶられている。

 愉しそうに笑う目が俺を捉えている。俺の隠したい精神の底まで(すく)い取られているようだった。嫌だ。見るな。ほじくるな。漁るな。触れるな。

 そこは俺と、小百合だけの領域だ。誰にも踏み入らせない。触れられたくない。

 吸い込まれる。引き込まれる。紅狼自身が大鎌を携えた死神に見えた。

「お前の求める力には指向性がないんだ。

向かう先がないから、溜めることはできても放てない。誰のために

使うかは理解していても、放った後に何が待っているかを恐れてるんだ」

「一体、何を言って……る、の、で」

「親父を無残に殺されたんだってな。奪われる痛みがあるから奪えない?

馬鹿か。殺らなきゃ殺られる。そんだけだ。

割り切らなきゃ死念に喰われてお前が死んで終わる」

「……親父は、間違っていない」

「やっぱりお前は餓鬼だよ。概念は分かっていても、本質を飲み込めてない」

 吐き捨てるように告げて、紅狼が外へ向かって歩き出す。

 振り返らず俺から離れていく。

 最後に見た表情は、侮蔑と憐憫(れんびん)に満ちていた。

 まるで、飽きた玩具を捨てたようだった。

 遠ざかっていく、野獣じみた気配を放つ少年を見送る。

 優しく、肩を叩かれる。相滝の巨体があった。言葉はないが、鋼色の瞳には深い慈愛が宿っている。そう思い込みたい俺の願望なのかもしれない。

 相滝の隣には普段と変わらない、冷淡な表情の千影が並び立つ。

「……決まりだな」

「うむ。そのように、こちらも進めよう」

「頼む。私達は次の戦場へ乗り込むこととしよう」

 千影は俺を見ずに歩いていく。

 もう一度、優しく肩を叩くと相滝も女の背に続く。

 誰もが去っていき、後には俺だけが忘れ去られたように残った。

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