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灰色の境界  作者: 宵時
第五章
120/141

5-10 禍つものたち

 下腹部に体重がかかっている。何かに寄りかかられているのか。

 (まぶた)を開く。白い天井に灯る白色灯。鼻先をくすぐる芳香剤の匂い。

 柔らかく、優しい匂い。起き上がろうとして、やめた。

 痛みがあったわけではない。どこも負傷していない。だが息苦しい。

 固いベッドの感触と、柔らかく暖かい感触。

 すぐ傍で(うい)が静かに寝息を立てていた。

 規則的に上下し、寄りかかった体が動く。

 未熟な肢体でも感触は伝わってくる。

 何事か呟いているが、うまく聞き取れない。

 きっと俺への罵倒だろう。そうに決まっている。

 伏せられた瞼や吐息がこぼれる唇に、普段覚えないものを認める。

 首を振って邪念を飛ばす。何故こんな状態になっているのか。

 ここは、少なくとも相滝(さがたき)の工房ではない。多くの気配を感じる。

 窓は閉じられているが、レースのカーテンから陽光が差し込んでいた。

 意識を外に向けると気合の入った少年少女の声が聞こえてくる。

 俺は赤亜の運転する車で千影や八千翔、初と共に山から下りて街へ向かい、また森深い山を登っていった。ルートを外れてどうにかこうにか荒れ地を駆け抜け、辿り着いたのは霊峰・不治御剣(ふじみつるぎ)だった。

 ただならぬ気配と(よこしま)な感覚に囲われた場所にあった工房で出会った。

 意志の波長を感じて視線を彷徨わせる。壁に黒塗りの鞘に収まる太刀が立てかけられていた。あれが、俺に俺を貫かせた刃。そうだ。俺は自分自身を刺して……。

「ん。うにゃ」

「……ッ!」

 飛び出そうな言葉を無理矢理抑え込んで飲み込む。

 初の漏らした寝言で我に返った。なんて状況だ。

 抜け落ちた記憶の枠に拾った断片をはめ込んでいく。

 儀式の最中に、初と八千翔がそれぞれの所有することとなった刃との〝対話〟を終えたのを見て俺も与えられるという刀剣と向き合うと決めたのだ。

 何故自分を刺したのか、理解が追いついていない。

 確かなのは自傷によって深手を負い、気絶したまま搬送されたということ。

 ここは元の訓練場なのだ。では、何故初が俺の介抱をしているのか。

 初は俺の下腹部辺りにもたれかかったまま、船を漕いでいる。いつもは口うるさく突っかかって来る少女も寝姿はどこにでもいる少女だった。

 そっと手を伸ばす。ボブカットの黒髪に隠れる目元がやけに綺麗に思えた。

「おぉ、てっきり亮も巨乳派だと思ってたんでスけどねぇ」

「うわあああぁぁぁっ!」

 瞬時に手をひっこめるが、声を抑えることはできなかった。

 静かに戸を開けて、室内の様子を伺っていた青璃(せいり)が澄み渡る青空よりも清々しい笑顔を浮かべている。左手に様々な果物が詰まった籠を下げていた。

 実に楽しそうだ。いや、困る。決して、そんな感情を抱いたわけじゃない。

「あ、あのですね。セイリス。これは、特に綺麗だとか思ったんじゃ、なくて」

「そんな大声出すと傷に響くッスよ。もう完治したんでスかね」

「いや、それは……」

 痛みはない。確かに太刀は腹を貫いたはずだが、軽くでも体重をかけられているのに苦痛どころか甘く柔らかい感触すら覚えていた。払いのけるように首を振る。

「特に、問題ないみたいだけれど」

「う、うぅん……なぁに? もう朝なの、やちねえ――」

 あたふたと手を振って否定する俺と、戸の近くで微笑んだまま見守る青璃の間で初が目覚めた。うつろな瞳が名を呼んだ八千翔を探し、不在を確認。

 自らの乱れた服装を見て、寝間着ですらなかったことを確認。

 そして俺の顔を見て状況を再認識。

「お、おはよう」

 多分俺はひきつった笑みを見せていたと思う。

 初は微笑んだ。これ以上ないほど綺麗で、恐ろしい笑顔だった。

 俺は予測してたグーパンチを素直に顔面で受け止めた。

 あ、駄目だ。鼻骨がイカれたっぽい。

 目の前に火花が散る。血が噴出する嫌な感触。

「な、なんであたしより先に起きてんだよエロガキっ!」

「……ってぇなぁ、加減しろよ暴力女!」

「年上の、組織的にも先輩に向かってなんて口きいてんのよ!」

「年食ってるかもしれないけど精神的には余裕で子供の領域だろうがっ」

「あぁ? なんつったクソガキ。

あたしの狂想空破で真っ二つにしてやろうかぁっ」

「上等だよ暴言女! 俺の太刀で受けて立ってやる!」

「はぁ? 名前すらつけれてない癖に操れるかよ。また踊らされて、てめぇを

ブッ刺して自滅すんのがオチだろ。憑り殺されてろクソエロガキがっ!」

「エロガキエロガキってうるせぇな!

誰がお前みたいなまな板に欲情するかボケっ」

「はっ……ハッ、ハハハハハ。え、なんて言った? 誰がまな板だって?」

「神坂さんとは大違いだよなぁ。胸も器も小さいっつってんだよ!」

「…………よし、殺す。やっぱお前はぶった斬る」

 言葉で殴り合い、一触即発の空気だったが互いに強制停止させられた。

 じゃらり、と突如天井から出現した鎖が初の体を拘束している。

 俺の体も、どこから出たのか鎖でベッドに縫い止められていた。

 初が獲物を前に猛る肉食獣のように腕を振るが、抜け出せない。

 視界の端に物々しい騎士甲冑の像が見えた。剣も盾もなく、鎖を放出し操る天界の住人。機械天使メタトロンが世界に顕現している。

 青璃は笑顔のままだったが、俺は背中に氷柱を突っ込まれた気持ちで両手をあげた。無抵抗、全面降伏を示す。それでも鎖は肉体を拘束したままだった。

「とりあえず、二人とも落ち着こうか。ね?」

 珍しく普通の口調で告げたからこそ、俺には青璃が恐ろしくて仕方なかった。




 メタトロンの鎖から解放された俺と初は視線をぶつけ合いつつ、青璃に先導される形で施設内を進んでいく。廊下を歩いていき、角を曲がって建物の外へと出る。

 運動場では少年や少女が走り込んでいた。傍で体力測定が行われている。

 さらに奥の区画では広い空間を最大限に活用してフットサルをやっていた。

 赤と青のユニフォームを着た子供達が一つの球を追いかけて右往左往している。

 脇腹に肘打ちをもらって意識を引き戻される。

 先を歩く青璃は俺と初のどつき合いに口を挟まずに目的地を目指している。

 各々組み込まれたカリキュラムをこなす子供達を眺めつつ、歩いていくと体育館が見えてきた。中に入る前から熱気を感じる。

 ガラス張りの戸を引いて青璃が中へ入る。初と俺も後に続く。

 入口には既に五人分の履き物が並んでいた。

 靴に混じって一つだけ下駄が置かれている。

「じゃ、靴脱いで運動靴に履き替えてねー」

 特に言及することなく青璃が靴を脱ぎ捨て、室内用の靴を履いて先を進む。

 初もそそくさと履き替えていってしまった。脱ぎ捨てられた二足分の靴が床に転がっている。靴を脱いであてがわれた室内靴に履き替えた。(かかと)を内側へと向けて靴を揃える。先にいった二人の分も同じように揃えておいた。

 回廊を進むと内部には広く畳が敷かれていた。

 和装の武人が柔術の構えを取る。

 対峙する八千翔(やちか)の右手にはあの短刀が握られていた。

 合図もなく両者が動く。八千翔が刃を振るうが切っ先は届かない。

 接触する前に腕を払われて刃の動線が曲げられる。

 淡々とした動きで次々と放たれる刃物の連撃を回避し続けていた。

 やはり、下駄の持ち主は彼だった。

 青璃に引き連れられた先、畳の上で千影と赤亜が正座して模擬戦闘を見ている。

 赤黒い瞳が俺を捉えた。

 赤亜(せきあ)欠伸(あくび)()み殺してこちらを見る。

「連れてきたッスよー」

「ご苦労。切田は休まなくてもいいのか」

「大丈夫です。よく眠れ……いえ、眠気が飛んでしまったので」

「うん? そうか。では一旦止めてくれ。切田はゼキエルと打ち合え」

「了解しました。ゼキエル、よろしくね」

「……皆わざと呼んでるだろ。それもこれもボケ青璃(せいり)のせいだ」

「ゼキエルがノリ悪すぎるだけッスよ」

「お前が能天気すぎるんだよ。血と肉を分けた兄弟だとは思えない」

「またまたー、冗談キツいッスよ!」

 赤亜と青璃がいつもの調子で口喧嘩を始めた傍で和装の武人、相滝 緊道(けんどう)と八千翔が定められた戦場から出る。肩を上下させ、荒々しく呼吸を繰り返す八千翔に対して相滝の彫りの深い顔には全く疲労の色が見えない。

 呼吸を整えつつ、八千翔が短刀を鞘に収めていく。

 相滝が待機場所に置かれていたタオルを拾って投げる。

 八千翔は受け取るも、礼を言葉にすることができず、頭を下げるだけだった。

 鋼色の双眸(そうぼう)が俺を見る。

 頭から爪先までを丁寧に、負傷がないか確かめているようだった。

「完治しているようだな。目覚ましい回復力だ」

「その……どうして、ここに?」

「儀を終えれば用済み、というわけにもいかぬ。

食い殺されぬように経過を見守らねばならぬし、何より扱いと

付き合い方を見届けることで、我としても今後の参考になるのだ」

「御身が手ずから刀剣を振るわれるので?」

「無論だ。我は造るだけに(あら)ず。

操り、馴染む過程を確かめた上で得た情報全てを注ぎ込んで至高の

作を生み出していく。用途と担い手の行く末を見届ける責任もある」

「相滝殿、まずは座られては」

「ぬ。うむ。そう……だな」

 千影に割って入られたところで、立ち話を中断する。

 全員で待機場所に移動し、茶菓子や急須の置かれた簡易机を囲む。

 剣戟の音が響き渡り、金属同士が打ち合って(きし)れ合う。

 赤亜が朱色の長巻を上段から振り下ろし、初が脇差で受けてから流す。

 翻って振るわれる刃を柄で受け止めた赤亜が長巻の湾曲した刃で斬り上げる。

 一歩間違えばどちらも切り裂かれ負傷する。だが、常人よりも優れた治癒能力を持つクラッドチルドレンであれば問題ない、ということだろうか。

 真剣を用いた模擬戦闘は実戦とほぼ変わらない、命がけの演舞だった。

 二人が斬り合うのを見ることもなく、青璃が給仕役を務めて茶を用意する。

 相滝が供された茶を一口啜(すす)り、小さく息を吐いた。

「さて、何から話すべきか」

「……俺は、刀霊の儀を終えられたのでしょうか」

「貴殿の太刀に名はない。我が託す刃は不治御剣に満ちる

霊なる気を集め、宿る念を動力として願望を現実に引き出す。

前提として鍛え上げられた刃に精神で打ち勝たねばならない」

「それは、死者の念を利用して武器にしている、ということでしょうか」

「かの地で命の灯火を消した者に還る場所はない。寄る辺もない。

利用している事実を否定はせぬ。だが、彷徨い続ける魂を集めて

吸い上げることで不治御剣の清浄なる気が維持される。

必要なことなのだ。我は手助けをし、応じた報酬を得ているに過ぎぬ」

「不治御剣の近辺は自殺の名所ですよね。

そもそも、自殺させないよう働きかけるべきでは?」

 乱舞のメロディを背景に舌戦が繰り広げられる。

 とはいえ、俺が一方的に疑問をぶつけているだけだ。

 千影は静かに茶を啜っている。青璃も普段と変わらぬ笑みを浮かべている。

 恐らく、誰もが通ってきた道なのだろう。

 疑問に思い、叩きつけてきたのだろう。

 同じ道を辿り、同様の結果に辿り着こうとも俺自身が主導しなければ納得できない。面倒としか言えない気質にも、相滝は風を受け流す柳のように穏やかだった。

「貴殿が多くの死や痛みを見てきたのであれば、

既に理解しているのであろう。意味を噛み砕いて魂の器に

収めてもなお、問うのであれば気が済むまで辿ろうではないか」

「確かに俺は、俺の正義を貫くために多くの犠牲を強いた。

だけど、それは俺が潰してきたからこそ受け入れられたんです。

どうして、見聞きもしていない他人の分まで引き受けるのですか。

死者の無念を物扱いして、使い潰すのが供養になるとでもいうのですか」

「彷徨うまま、霊的な主導者によって操られ呪念の材料となるか。

異界の扉を開いて邪悪なる化身を呼び起こすか。

はたまた人の心に巣食い、新たな犠牲者を生み出すか」

「どこまでも、オカルトの世界なんですね」

「既に貴殿もこちら側の住人であろうに」

 鋭く激しく相滝の言葉が俺の魂ごと心臓を抉り切っていく。

 後戻りはできない。振り返ることは許されない。

 力を持たずに強者と対峙した結果、多くを失った俺には責任がある。

 手段を選ばない。そう決めたはずだった。

 殺人という罪によって、罪を裁く〈灰絶機関(アッシュ・ゴースト)〉に加入したのも綺麗事を捨て去ったからではないのか。

 何故、まだ一度捨てたものに縋ってしまうのか。

 思考に没頭していて、触れるまで接近に気付けなかった。

 背中に柔らかい感触。女性特有の部分が俺の背中で潰れていく。

「ちょっ……何、してるんですか神坂さんっ!」

「またまたぁ、本当は嬉しい癖に……このこのぉ」

「本当に、そんなことしてる場合じゃ――」

「亮くん。君が分かっているかどうか知らないけど、

もう殺人者達の中に立ち入っちゃってるんだよ?」

 背後から抱きすくめられ、耳元で囁かれた言葉に寒気が走った。

 同じクラッドチルドレン達と日々を過ごす。連れられてきた者達の多くは非日常とは縁のない、日常の中で常人との違いに苦悩してきた者達。

 だが、八千翔は違う。今、赤亜と打ち合っている初も違う。

 当然、茶を啜り沈黙を保っている千影も、殺人を犯している。

 この目で見て、その結果救われた。

 あの場で諸共消されていてもおかしくはなかった。

 八千翔がさらに俺に密着してくる。

 死神に抱きすくめられているようだった。

「ね。私もたくさん殺してる。だけど、亮くんは普通に接してくれてるよね」

「それと、これとは違います。神坂さんは……その、よくしてくれますし」

「でも殺してるよ。これからもっと殺す。

この日本の政界や財界に巣食う癌を殺し潰す」

 殺人予告。〈灰絶機関〉は日本へと戦いを仕掛ける。正確には、日本という広すぎる庭を使って好き勝手に私腹を肥やしている者達を殲滅する。

 その行為は間違っているのか。正しいのか。

 認めたからこそ、ここにいるのではないか。己を鍛えているのではないか。

 力無きものを、暴力を振りかざすものを叩き潰すために強大な力を欲したのではないか。

 柔らかい感触が離れていく。同時に全身を震わす悪寒も去っていった。

 後には少女の香りだけが残る。

 とてとてと歩いていく八千翔が少し離れた場所で胡坐(あぐら)をかいた。

 膝に立て肘をついて俺を見る。

 髑髏の顔ではなく、悪戯っぽい笑みを浮かべていた。

「そんなんじゃあ、戦場には出れないよ。

壊れてるけど、狼くんのがマシかもねぇ」

 笑顔だが、こぼれた言葉は俺の精神へ槍となって冷たく突き刺さった。

 そういえば、靴はもう一つあった。ならば、彼もここにいるのだ。

 茶髪の少年を探す。常倉の拠点で血に(まみ)れていた狂獣の姿を。

 壁際で少年が膝を抱えて座っている。一目では、眠っているのかとも思える姿勢だったが、膝に頬をついた顔には深淵のような黒い瞳が輝いていた。

 視線の先は真っ直ぐ、初と赤亜との模擬戦闘を見ている。

「紅狼殿か。我の刀剣を受け取った者の中で、最年少記録は来々木殿に譲ったが、あれこそ異常にして異質な存在だ。ただ一人、我が刀剣を〝喰った〟のだからな」

 話題にあがっていても、紅狼は全く動かず、ただ戦いを見ている。

 くつくつと笑い声が聞こえた。

 それが何を意味しているのか、俺は考えたくなかった。

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