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灰色の境界  作者: 宵時
第五章
114/141

5-4 死の印象

 男がこめかみに青筋を立てて憤怒を示す。

「何笑ってやがる」

「うん? 単純に滑稽だと思ったから笑ってやったまでだ。

何故わざわざ貴様らを連れてきて、くだらない嘘を披露しなければないのだ。

費用対コストを考えろ。一体誰が何の得をするというのだ。

ドッキリだとでも思ってるのか……足りない脳で少しは考えろ間抜けめ」

「ふっざけんな、このクソアマがああぁぁぁっ」

 突き上げる怒りの衝動に駆られ、男が地を蹴り突進する。

 千影は涼しい顔で闘牛士のごとく華麗に回避、すれ違いざまに足をかけて男が転倒。勢いのまま転がって砂に塗れる。

 連れて来られた者達は唖然とした表情を並べていた。

 八千翔(やちか)が呆れたように溜息を吐く。

「あーあー……千影さん、悪い癖ですよぅ」

「何を言う。獣にはきちんとした教育を施さねばならないだろう」

「精神がぶっ壊れるまでですかぁ」

「潰れるような脆弱な精神性が悪い」

「常に全力全壊でやってたら誰も残れませんって」

 困ったように千影が小首を傾げる。立ち上がった男が咳き込み、口内に入った砂を唾と共に吐き捨ててさらなる突進を敢行する。

 が、割り込んだ赤亜(せきあ)が男の腹に拳を叩き込んだ。

「がっ……」

「はいはい、面倒臭いから黙ろうな」

「て、めぇ……」

「年上でも敬う気にはなれんわ。彼我の戦力差も読めんカスは」

 意識を刈り取られ、崩れ落ちる男の体を支える。

 目で誰かを呼び、選ばれた青璃が仕方ないといった不満全開で手伝いに来た。

 二人で気絶した男を担ぎ上げる。

「千影さん、無為に挑発しても仕方ないですよ。ちゃんと頭から教えないと」

「これから説明することを考えると、危なげなのは黙らせた方がいいだろう?」

「……なら自分でやって運んでくださいよ」

「サポートするための貴様らだろう?」

「ああ言えばこう言う……。分かりましたよ、従います」

 もう一つ大きな溜息を吐いて赤亜は青璃と共に男を寮へ運んで行った。

 八千翔や(うい)がどよめく者達を説得しつつ寮へと向かわせる。

 ぞろぞろと引率されていく光景は遠足のようだった。

 さながら修練のための合宿所といったところだろうか。

 泣き虫をあやすように頭に手が乗せられ、撫でられる。

「……そんなふうにされるほど子供じゃないつもりですけど」

「最年長組からすれば弟みたいなものだ。可愛がらせろ」

「本当のところはどうなんですか。

あの男が言ったように殺人者に仕立て上げるのですか」

「答えを急ぐな。叱られてしまったから順を追って話す。まとめてな」

 手が離れていく。軽く手を振って千影が歩き出す。

 付いて来いということなのだろう。どちらにせよ他に行き場などない。




 寮に入ると、まず巨大な靴箱があった。先にあがった者達の靴が綺麗に並んで揃えられている。千影が靴を脱いでそのまま歩いていくので、俺は自分の分と共に空いた場所を探す。

 やけに重い。千影の靴底には鉄板が仕込んであった。

 戦闘用、ということか。

「筋力をつけるのに丁度いいだろう? 貴様にも仕込んでやろうか」

「……それこそ、順序を踏んでください」

「残念だ」

 本当に残念そうに小さく笑って千影が先を歩く。

 戦闘用靴を下駄箱の下段隅に置き、俺の靴もその隣に入れて後を追う。

 広い玄関を抜けるとフローリングの長い回廊が伸びている。

 左右には木製の扉が並んでいるが、部屋の札は白紙で何に使われる部屋なのかは一見して判別できない。

 途中、空いた空間にキッチンらしき空間があった。

 給湯器に巨大な冷蔵庫、オーブン。

 食器棚には様々な皿や器が並び、隣にはタンブラーやカップが並ぶ。

 かなりの人数を賄える量だった。今回連れられた数より明らかに多い。

 下部の収納スペースを少女が漁っている。

 ベリーショートの黒髪が揺れ、振り向く。

 男勝りな少女、切田 (うい)だった。

 鋭い視線が俺に突き刺さる。

「…………何見てんの」

「なにゆえガン飛ばされてるのでしょうか」

「今までの言動思い出してみたら?」

「男だと思っていたことについては、もう済んだと思っていましたけど」

「あのね、男にとっては軽い出来事でも女の子は深く傷つくものなの」

「そうやって難癖つけるのって三流雑魚のすることですよ」

「何か文句あるわけ? あ、それともあたし給仕なんて似合わないっていうの?」

「……誰もそんなこと言ってないです」

「一瞬間があった!」

 面倒臭い。絡まれるような言動をしてしまう俺にも問題があるのだろうか。

 関係性は車中の一件でリセットされたと思っていたが、女心は複雑らしい。

 かといって口に出せば新たな災厄、もとい燃え盛る火にガソリンを追加するだけだろう。わざわざ墓穴を掘る必要はない。

 小さく溜息を吐く。廊下を覗くと俺と初の諍いなど見ていない聴いていないという風に、振り返ることなくずんずんと奥へと向かっていた。

 首を戻すとまた初が収納スペースを漁っている。

 床に乾燥昆布や煮干し、鰹節のパックにカレールウが散乱していた。

 予測するに、初の探し物はそこにはない。

「何を探してるんですか」

「見て分からない?」

「読心能力者じゃないんで分からないです」

「状況から察しなさいよ! お茶よお茶っ」

「お茶なら……」

 予想していたので、初が探しているところとは別の場所に手を伸ばす。

 飲料用の食器が並ぶ棚に後付けの収納ボックスが置かれていた。

 上段の扉を開く。

 中には紅茶のパックが詰まった袋に、シュガースティックの入った藤籠。インスタントコーヒーの瓶に、一杯ずつ抽出するタイプの使い捨てドリップコーヒーパック。その下には様々な種類の茶葉が入った銅筒があった。

 蓋に錆びつきはなく、光沢の眩しい立派な逸品だった。

 誰の持ち物なのだろうか。外から持ち込んだものだろうか。

 苦い系統のものは要らないだろう、と勝手に判断して紅茶パックの袋とコーヒー瓶を取り出して料理台の上に置いていく。

「とりあえず紅茶とコーヒーでいいですかね」

「あっ……それ、どこにあったの?」

 問いに対して首を(すく)めながら手で示す。

 悔しそうに初が頬を膨らませる。子供か。

 俺も子供だった。

「何? 場所知ってるからってえらいっての?」

「だから、何も言ってませんって」

「顔に書いてあるの!」

 これだ。

 読心術を持っているわけでもないのに決めつけの先入観だけで断定する。

 思い返せば昔、父親と母親もそんなつまらない諍いを繰り返していたように思う。浮気をしただのしてないだの、食事の付き合いは嘘で女とよろしくやっていただの、張り込みといいつつ女のところに泊まり込んでいただの……迷惑な話だった。

 気持ちが沈む。くだらない喧嘩の度に理不尽さに怒りを(あら)わにしていた父親はもういない。母親とも、もう会うことはないだろう。

 家庭という場所はとうの昔に壊れてしまっていた。

 あの暖かさはテレビの中で起きる空想の存在でしかない。

 温もりを思い出す。命を感じる温度さえ、俺はこの手の中で喪った。

 新たな熱。柔らかく、優しく体を抱かれていた。

 右肩には初が顎を乗せている。

 女性特有の、成分分析不可能な甘い香りが漂う。

 どこか懐かしい芳香だった。

 多分、生まれた時くらいに母親に抱かれた感覚なのだろう。

 妙に安心できるものがあった。

「……辛気臭い面しないでよ」

 突き飛ばされてバランスを崩すも、柱を掴んで転倒は防げた。

 気恥ずかしそうに初が頬を紅潮させている。

「何か、辛そうだったからさ。昔やち姉があたしにもしてくれたことをしてあげただけで別にアンタに特別な感情があるとか、そういうのじゃないからね!」

「……有難う」

「御座います、でしょ。一応あたし、これでも十四なの」

「十四……十四? はあ?」

「はあ? じゃないってのっ!」

 驚きのあまり素の反応を返してしまっていた。

 レトルト食品の弾丸が放たれる中、慌てて紅茶パックとコーヒー瓶、角砂糖入りの瓶を抱えてキッチンから脱出する。

 背後を見ずに雪崩れ込むように正面の部屋を目指した。




 紅茶やコーヒーの香りが鼻腔をくすぐる。

 寮の奥にある会議室らしき場所に少年少女が集められていた。

 長机の前にパイプ椅子が並び、正面には巨大な両面式のホワイトボードがある。

 裏返せばすぐに黒板としても使えるものだが、時代的には一昔の仕様だ。

 壁際には小型で移動式の両面ホワイトボードもある。

 それぞれの希望する飲み物がバケツリレー的に回されていき、準備を整えたところで皆の前に千影が立った。まるっきり教師のような立ち振る舞いだ。

 サポート役として両サイドに赤亜と青璃(せいり)が玉座の傍に控える騎士のように相似形の顔に緊張した表情を貼り付けている。

 唯一の出入り口の左右は八千翔と初が固めていた。

 俺はというと、並んで座る少年少女に混ざらず少し離れた位置で座っている。

 傍にはテーブルクロスがひかれた丸机があり、電気ポットに替えのカップや角砂糖の瓶、紅茶のカップにインスタントコーヒーのパック、蓋のしまった茶筒が置かれていた。先の一件で給仕係に任命されたので、ひとまず与えられた仕事をこなしている状態だ。

 ホワイトボードには既に文章が書かれていた。

 千影の手には指示棒が握られている。

「さて、多少順序が狂ったが貴様らが置かれている状況を説明してやろう」

「あの、さっきの人はどうなったんですか」

「別室で休ませている。それと勝手な発言は慎め。質問がある時は挙手しろ」

 女教師の質問捌きを経て千影による授業が始まった。

 指示棒が最初の文章を指し示す前に少女の手が挙がる。

「なんだ。トイレなら勝手に行け。

男は来々木 亮、女は神坂 八千翔か切田 初が着く」

「その、監視付ということでしょうか。どうして、こんなことを?」

「順を追って説明する。他に何かあるか」

 反応はない。全員の顔を見て、千影が改めてホワイトボードを指す。

「さて、貴様らはクラッドチルドレン……生と死の二面性を

持つことから名付けたものだが、二十歳で必ず死ぬ呪いを持つ

恵まれた身体能力および感覚器官を持つ子供達だ。質問を許す」

「先程も仰ってましたが、呪いというと解くことはできるのですか」

「一番聞きたいところだろうな。そう思って、最初に記載しておいた」

 答えつつ指示棒がホワイトボードに書かれた文章を指し示す。

 最上段に大きくクラッドチルドレンの特異性、と書かれ段分けされた上で特徴が書き記されている。一行目には二十歳の誕生日を迎えると死ぬこと。二行目からは呪いから解き放たれる方法が記載されている。

 挙げられた手に対し、千影が指示棒で指して許諾を示した。

「どうして二十歳を迎えると死んでしまうのですか。

その、言っては何ですが私達は本当に死んでしまう、のですか」

「死ぬ。繰り返すが、冗談でこんな面倒な真似はしない。

私自身くだらない冗句(ジョーク)は大嫌いだ」

「何故死ぬんですか! どうして、何が原因で私達が……」

「原因はまだ分からない。手探りで解明を急いでいる。

何故死に至るのか、呪いにかかる基準は何なのか。

特異な力に個人ごとの差異があるのは何故か。今は全て謎だ」

「だったら、なんで死ぬという結果だけ分かっているのですかっ!」

「そう吼えるな。既に亡くなった実例があるからだ。

信じられない、と言ってもすぐに分かる。百の言葉よりも

一目見た方が明確に〝死〟というものを理解できるだろう」

 体感したからこそ分かる。

 死というものは実際に触れなければ分からない。

 いや、触れても理解するには程遠い。

 確かなのは、失い奪われる痛みが何なのか知覚できること。

 死そのものを解する時は自身の命を終える瞬間だろう。

 一つの疑問が浮かぶ。だが、あえて口にはせず傍観者を決め込む。

 千影は他に質問者がいないことを確認してから先へと説明を進める。

「貴様らに現れている症状、常人よりも高い身体能力や

肉体治癒力、五感の増大は程度の差はあれど呪いを受けた

代わりに与えられた恩恵だと考えていいだろう。

期限付きの命の代わりに得た超常の力というわけだ。質問を許可する」

「望んで、いません。そんなもの欲しくなかった」

「そうだよ! 効きすぎる鼻のせいで世界が臭くて仕方がないっ!」

「だからうるさいんだよ! お前ら心臓止めやがれ」

「できるわけないだろ馬鹿。死ぬっつーの」

「暴れんな。つーか黙れよ。お前らの声で痛いってんだよ!」

「……見えすぎて悪いことは、余りないな。見たくないものはあったけど」

 苦痛を叫ぶ男を皮切りに室内が騒然とする。

 苦鳴と罵倒と絶叫が轟く中、壁を叩く重々しい音が響き渡った。

 全員の視線が一人、右手をひらひらとさせ微笑を浮かべる青璃に集まる。

「騒いで当たり散らすだけじゃ、何も解決しないよ。ね?」

 声に鎮静効果でもあるかのように、騒いでいた者達が落ち着きを取り戻して席に着く。薄らと天使の影が見えたが、恐らく居並ぶ者達には見えていないのだろう。

 全員が着席するのを確認し、千影が何事もなかったように再開する。

「私が貴様らに呪いを与えたわけではないし、

泣こうが喚こうが呪いを受けた事実は変わらない。

前向きな話をしようじゃないか。呪いを解く方法を、な」

 指示棒が動く。全員の視線が追いかけて欲する答えを探す。

 呪いから解き放たれる方策のうち、現在有効だとされていることは二点。

「一つ目は他者を殺害し、命を吸うこと。

今のところ、実例は私を含む数名だが殺害数が増えるごとに

血中のある因子の減少が確認されている。質問を許可する」

「私達を見てくれる専任の医者がいるのですか?」

「いる。私が昔から世話になっている人物だ。

ちなみにクラッドチルドレンではない」

「何故、こんな胡散臭いとも言える話に付き合ってくれているのですか」

「胡散臭い、というのも酷い言われようだな。

が、もっともな意見か。個人的な興味、だそうだ。

断っておくが軍事転用だとか他に利用する意思はない」

「……どこか、引っかかっていたんですが今思い出しました。

九龍院流、多くの武人を生み出した名門だったものの

突如、当主の九龍院 義景が失踪。家族は行方不明。

支持母体も解体されたと聞きましたが、まさか貴女が……」

「そう。私が父を殺した。公にしてはいないが、今の当主は私だ」

 一切顔色を変えることなく千影は自身が殺人者であると告げた。

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