第八話 女王陛下の朝食
石の回廊に大小二つの影が前後(小さい方が前)に並んで歩いている。
大きい方は青のコートをまとった三十代直前の男で、小さい方は青いメイド服をまとった十代前半の少女だ。
傍から見れば親子だろうなあ。
俺は女王専属の侍女の後に付いて、しみじみと現況に思いを馳せていた。当然ながら、前を歩く少女が俺の妄想など知る由もない。彼女――メリル・メリアルは、右腕と右脚、或いは左腕と左脚を同時に前に出しながら、全力で女王陛下の命令を遂行している。
まあ、俺を食堂に案内するだけなのだが。
メリルの様子を見ていると、緊張をほぐしたい衝動に駆られる。相手が年少という要因もさることながら、彼女に親近感を覚える理由が一つ有った。その内容が、俺の脳内でメリルの声で再生されていた。
「わ、私は女王陛下様に仕えさせて頂いておりますメルト・メリアル子爵の第四子、メリル・メリアルでございます」
案内される直前、メリルから自己紹介されていた。そこに出てきた第四子という言葉が、彼女の名前と共に俺の耳に残っていた。
俺も、エルス王国の王の第四子だからな。
第四子という立場には、それなりに得なことも有れば苦労も有る。その話題を切っ掛けに、メリルとの距離を縮めることもできるかもしれない。一先ずのところ、彼女の緊張をほぐしたい。そう思った。
ところが、俺が何か言おうと口を開きかけた瞬間、俺の脳内で紙面に記された条文が閃いた。
〈婚姻に関する規約〉
イェマの女王と交わした密約だ。公のものではない。だからと言って、イルメリの許しを無く破る訳にはいかない。
俺はイェマでは未だ余所者。信用第一。
俺は開きかけた口を閉じ、目の前でぎこちなく歩く少女の背中を見詰めながら、黙って歩き続けた。
結局、俺もメリルも王宮の食堂に着くまで一言も喋らなかった。互いに気まずい空気をまといながら足を進めていく内、俺達の前に重厚な扉が現れた。
イェマの杉でできた両開きの大扉。謁見の間に付けられていたものとそん色なうほど大きく、豪華だ。その威容は、俺に部屋の中の広さを想像させた。その際、俺の脳内には故国の大広間の様子が閃いている。
エルス王国を含めて、一般的に王族の食事は大広間で摂っている。その際、自分達は一段高い上座に陣取り、下座に臣下を侍らせた。
大人数で飲食する上に、飲み物として酒が用意されている。宴会のように騒がしくなることも度々有った。
まさか、イルメリと酒を交わすことに――ならんよな?
俺は「有りえん」と思いながらもイルメリが飲酒している様子を想像した。その最中、前に立っている小さな少女、メリルが遠慮がちに右手を掲げて扉を敲いた。
こん、こん、こん。ノックを三回。医師の廊下の中に小気味良い音が響き渡った。その直後、部屋の奥から声が上がった。
「何者か?」
清水のように涼やかな高音の美声だ。しかし、声質は金属のように硬い。口調にも棘が生えている。それを聞いているだけで首が竦みそうになる。
俺は耐えた。しかし、メリルは首を竦めていた。その様子を見て、俺の眉根が僅かばかり歪んだ。
もう少し、優しく声を掛けられないものか?
俺の喉下まで文句の言葉が喉下まで込み上げた。しかし、それを口にすれば自分だけでなくメリルの立場も悪くする。
俺は部屋の中から見えないことを良いことに、肩を竦めておどけた態度で気持ちを表現した。その様子は、前を向いていたはずのメリル視界の端に映っていたようだ。
「ふふっ」
メリルの口から小さな笑い声が漏れた。僅かばかりだが、彼女の心を癒せたようだ。その可能性を直感した瞬間、メリルが「すぅ」と息を吸い込んだ。続け様に、その可憐な口を開いて声を上げた。
「メリルにございますっ。マティス殿下様をお連れいたしましたっ」
結構な大声だ。メリルなりに頑張ったと思う。その努力は直ぐに報われた。
「入れ」
部屋の中から声が上がった。それに反応して、メリルが扉を押し開け――いや、押し開けようと踏ん張った。しかし、扉は存外に重い。俺は見かねて彼女を手伝った。それで漸く扉が開いた。
その直後、俺の視界に部屋の様子が飛び込んだ。
白い石材を敷き詰めた、屋外と錯覚するほど明るい広間だ。その中央部に長卓が三つ「コ」の字型に並んでいる。俺達がいる扉の方から見ると「Π」なのだが。
尤も、正確には「コ」の字とは言い難い。最奥の長卓は一段上がった場所に置かれている。
奥の長卓は上座、即ち王族専用だ。他の廷臣達は、左右の端の長卓に着く。その配置に関しては、俺の故国と同じ。その他、内装に関しても「驚くほど」と言えるほど差は無いと思えた。
しかし、俺は現況を目の当たりにした瞬間、我が目を疑いたくなるほどの違和感を覚えた。
誰も――いない?
何十人と収納できるであろう広間の中は閑古鳥が鳴いていた。廷臣用の長卓には誰の姿も無い。
広間に存在している者は、俺達以外に唯一人しかいなかった。
奥の長卓のど真ん中に、青いドレスを着た女性が座っていた。その正体は言わずもがなだろう。
イルメリ・イェマ。イェマの女王その人だ。
女王とも有ろうものが、唯一人で昼食を摂る。その事実は、俺の常識の埒外だ。首を傾げたい衝動に駆られた。しかし、相手がイルメリだと思った瞬間、俺は首を真直ぐ縦に振り抜いていた。
ウガリット大学にいた頃も、食事は殆ど一人で摂っていたな。
イルメリは、当時から「氷の姫」と呼ばれるほど隔絶した存在だった。少なくとも、周囲に彼女に近付く者はいなかった。例外は、恐らく俺だけ。当時の出来事を想起すると、現況の原因はイルメリに有るような気がした。
ところが、俺の発想は間違っていたようだ。
「遅い」
「あ」
イルメリは、俺を冷ややかな目で見詰めながら文句を言った。その言葉を聞いて、俺は漸く現況の意味を直感した。
他の皆は食事が終わっているのか。
誰も座っていない長卓をまじまじ見詰めると、真新しいテーブルクロスが掛けられていることに気付く。その事実を目の当たりにして、俺は自分の直感を確信した。その瞬間、俺の視線が最奥に座った白銀髪の美女に吸い寄せられた。
もしかして、俺を待っていてくれたのか?
俺はイルメリに向かって「すまん」と頭を下げた。すると、彼女は「はぁ」と溜息を吐いてから、棘を含んだ冷たい声を上げた。
「早く座りなさい」
イルメリに勧められて、俺はイルメリがいる長卓――ではなく、廷臣用の長卓へと向かった。
俺はイルメリに遠慮して下座に座るつもりだった。その行為は、当然ながらイルメリの視界にバッチリ映っている。
「そっちじゃない」
イルメリは、その白く細い右腕を掲げて、自身の右隣の席を指差した。
「こっち」
イルメリの右隣。そこは王配の席だ。その事実を直感して、俺の顔に苦笑が浮かんだ。
そういえば俺、王配だった。
俺は改めて自分の立場を想起して、イルメリの隣の席に着いた。その際、俺の視界に卓上に乗ったフォークとナイフが映り込んだ。
夜空の星のように控えめな煌めき。銀製だろう。イルメリの前にも同じものが置かれている。その事実を目の当たりにした瞬間、俺の口許が綻んだ。
まさか、こんな日が来るなんて。
共にウガリット大学で学んでいた頃を鑑みると、冷遇されてもおかしくないと思っていた。実際、イェマに着いた初日(昨日)は様々な目に遭っている。
俺は隣のイルメリの横顔を盗み見ながら、彼女の俺に対する心象を想像した。その最中、俺の耳に聞き慣れない女性の声が飛び込んだ。
「失礼します」
声が上がった後、複数のメイド服姿の女性が広間の中に入ってきた。それぞれキッチンカートを押しながら俺達の方へと近付いている。昼食の給仕係なのだろう。
俺のせいで、侍女達に余計な残業を強いたようだ。それを申し訳なく思いながら、彼女達の様子を目で追った。
それぞれのカートの上には、様々な料理を持った皿が乗せられている。中には湯気が立ち上っているものも有る。全部作り立てなのだろう。それぞれの料理が目に入った瞬間、俺の腹が盛大に鳴った。
俺の腹の音は、隣のイルメリだけでなく、侍女達の耳にも入っていたようだ。
イルメリは、何の反応もなく、氷像のように固まっている。しかし、侍女達から笑いを堪える気配が伝わってきた。それを察した瞬間、俺は右手で頭を掻いていた。
面目次第もない。
俺が真鍮で恥じている間に、侍女達は運んできた料理を卓上に並べた。俺の腹の状況を予想していたのか、料理はどれも大盛り、卓上を埋め尽くしている。
ライ麦を使った黒パン、温野菜のサラダ、燻製肉の盛り合わせ、根菜と肉のスープ――等々。
因みに、飲み物は水。それだけ。酒は無い。その事実は、今の俺には有り難かった。女王と初めての食事の場で醜態を晒す訳にはいかない。
俺の脳内で、過去に起きた飲酒絡みの問題事が閃いていた。その記憶を意識すると、僅かばかり眉根が歪んだ。その僅かな変調はイルメリの視界に入っていたようだ。
「気に入らない?」
イルメリの咎めるような視線が顔に刺さった。それを浴びながら、俺は「まさか」と肩を竦めた。
「むしろ、有り難いくらい――ですよ」
俺は自分の言葉を証明すべく、夢中になって料理を口の中に掻き込んだ。その様子は、それなりに奇異だったようだ。
氷の女王と呼ばれたイルメリが、呆気にとられたように口を開けている。その表情は、俺の視界の端に映っていた。
俺は食事を中断して、ナプキンで口を拭ってから声を上げた。
「昨日、何も食べていなかったから」
昨日の出来事を想起すると、俺の顔に苦笑が浮かんだ。いや、苦笑する胆力が有ることに、自分でも吃驚だ。
我ながら大人の対応をした。その直後、意外な言葉が耳に飛び込んだ。
「それは――済まなかった」
「え?」
まさかの謝罪の言葉。俺は反射的にイルメリをマジマジ見詰めてしまった。俺の視界に映った白銀髪の美女は、申し訳なさげに俯いている。その様子を見て、俺の脳内に慰めの言葉が幾つも閃いた。しかし、それを口にする機会は得られなかった。
俺が口を開くより先に、イルメリの両手が超高速で動いた。銀のカトラリーを使って卓上の料理を切り分けている。
パンも、肉も、野菜も、全てが細切れになった。サイコロ程度まで切り分けられたところで、イルメリは欠片にフォークを刺して口に運んだ。
「ん」
食べた。以外に絵になる。俺は少し見惚れた。しかし、それ以上に腹が減っている。俺は引き続き食事に取り掛かった。
程無くして、俺の卓上から料理が消えた。その事実を直感して「ほぅ」と息を吐いた。それなりに腹が満ちた。俺は満足感を覚えながら、隣の女王を見た。
イルメリは、未だ食事を続けている。俺はコップに水を注いで、彼女の横顔を見詰めながら喉を潤した。
本当に、綺麗だな。
俺はイルメリの容姿に見惚れていた。その隣の席に与った幸運をウガリ神に感謝した。だからと言って、今の自分が彼女の隣に立つに相応しいとは思わない。
もう少し、身支度を整えたかったな。
俺の衣装は昨日と同じ。着替えたかった。しかし、俺が故国から持ってきた荷物は見当たらない。その事実を想起した瞬間、俺の脳内に一つの疑問が閃いた。それが、口を衝いて出た。
「俺の荷物って、どこに有るんだ?」
俺の寝室には無かった。そもそも、運ばれている様子を確認していない。その事実も知らない。だからこそ、知っているであろう人物に尋ねた。
その瞬間、イルメリの動きがピタリと止まった。
「…………」
イルメリは、黙ったまま固まっている。その様子を見て、俺の首が斜めに傾いだ。
「どこに有るんだ?」
俺は再び疑問を口にした。すると、イルメリは両手に持っていたカトラリーを卓上に戻した。続け様に、口をナプキンで拭いている。それを卓上に戻した。これで口を開くことができる。そう思った。ところが、
「…………」
イルメリは何も言わない。俺は暫く待った。凡そ三十秒ほど経ったところで、見詰める先の可憐な口が開いた。
「後で其方の寝室に届けさせる」
届けさせる。どうやら、俺の荷物は王宮内に存在しているようだ。しかし、イルメリの回答を聞いた俺の首は一層傾いだ。
俺は荷物の所在を尋ねたのだが。
何故、イルメリは場所を教えなかったのか? その理由は、俺が寝室に戻った瞬間、目に見える形で明らかになった。
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