第七話 婿の朝
どれくらい寝ていたのか? 俺が目覚めたとき、部屋の中は既に陽光で満たされている。その様子を目の当たりにして、俺は天井を見詰めながら顔をしかめた。
もしかして、昼では?
締め切られていた厚手のカーテンは、既に全開になっている。俺が寝ている間、誰かが開けてくれたのだろう。
序に起こして欲しかった。
俺は苦笑しながら体を起こした。そのときになって、漸く自分の格好を意識した。
銀糸の詩集が施された青いコート、イェマの礼服だ。見覚えが有り過ぎる。謁見の間に望んだ衣装そのままだ。その事実を直感した瞬間、顔に張り付いた苦笑が一層歪んだ。
昨日は、本当に、大変だったなあ。
イェマに付いた早々イェマの女王の前に引き出された。その後、休み間もなく王宮を歩き回っている。その間、一度も食事を摂っていない。歩き回った後は、夜遅くまでイルメリと議論を戦わせている。
我ながら、よく頑張ったと思う。しかし、俺の苦労は昨日で終わりではない。
俺は歪な笑みを張り付けたままベッドを降りた。すると、足の裏に柔毛の感触が伝わった。その刺激を意識して、俺は改めて寝室の中を見回した。
流石は女王陛下の寝室だな。
昨夜は気にも留めていなかったが、寝室の内装は目を見張るほど豪華だ。
部屋を構成する暗色の石材は、宝石と錯覚するほど磨き上げられている。
因みに、俺達の寝室は王宮の北東端に位置している。出入り口は西側で、東側の壁には窓が有った。それぞれイェマの最高級の木材「イェマの杉」が使用されている。箪笥を始めとした家具も、同じ素材を使用していた。しかも、それぞれ精緻な意匠が施されている。
家具や装飾品を眺めていると、自分が名画の中に紛れ込んだように錯覚した。その中で、一際存在感を誇示している物が有った。それは、 イルメリのベッド側の東壁に設置された暖房設備、暖炉。
イェマは常冬の国。その為、暖炉は王宮の至る所に設置されている。しかし、俺は初見で暖炉とは思わなかった。俺が知るエルス王国のものとは形状が違っていたからだ。
イェマの暖炉は、宛ら窯だ。組み上げられた石材が殆ど全面を覆っている。火災予防用に、水を湛えた瓶も置かれている。それらを見ていると、本当に異国に来たのだなと実感した。
尤も、異国情緒を覚えさせるものは暖炉だけではない。イェマ独自の文化もさることながら、現況には諸外国のものと思しき家具も有った。
例えば、俺の足を温めている毛足の長い絨毯。これは南の地方で造られている特産品。部屋の内装を飾る調度品の中にも、他国製のものが幾つか有る。それらの事実を確認して、俺は「ほう」と感嘆の溜息を吐いた。
イェマって、俺の国(エルス王国)より裕福なのでは?
イェマは、平たく言えば辺境の小国。それが、エルスを含めた周辺国の共通認識だ。しかし、現況を目の当たりにして、これまで抱いていたイェマに対する偏見は木っ端微塵に打ち砕かれた。その衝撃で胸が軋んだ。
しかし、俺の口角は吊り上がった。それと同時に、俺の目から「キラキラ」という擬音が零れ出ている。
この国のこと、もっと知りたい。
俺はイェマの国情に思いを馳せて、脳内で様々な妄想を膨らませた。それが存外に楽しく、夢中になった。このまま放置されていたならば、俺は一日中寝室に籠っていたかもしれない。しかし、それが許される立場に、俺は立っていなかった。
俺が妄想に耽っていると、唐突に出入り口のドアが敲かれた。それを聞いて、俺は反射的に返事をした。その直後、ドアの向こうから少女の声が響き渡った。
「あの、マティス殿下様」
子どもと思しきあどけない声。それを聞いた瞬間、俺の脳内に一人の少女の顔が閃いた。
昨日、俺にイルメリの伝言を持ってきた子だ。
俺は昨日見たメイド姿の少女を想起しながら「何でしょう?」と用件を尋ねた。すると、少女はオズオズと控えめに声を上げた。
「イルメリ陛下様が、その、一緒にお食事をと言っておられます」
食事。その言葉を聞いた瞬間、俺の腹が鳴った。その音を聞いて、改めて昨日は何も食べていないという事実を直感した。
「直ぐ行きます」
俺としては、今すぐ食事の場まで走り出したい気分だった。しかし、俺を待つ相手は女王陛下で、俺はエルス王国の王族だ。それなりに身嗜みに気を遣いたい。
俺は周りを見渡して、自分の荷物を探した。しかし、直ぐに無駄と悟った。
先程寝室内を確認した際、俺が持ってきたものは見当たらなかった。念の為にベッドの下を見たものの、やはり何も無い。
未だ馬車の中に有る? それとも、別の場所に持ち込まれている?
俺の脳内に様々な可能性が閃いた。それら一つひとつに付いて考える度、俺の口は「へ」の字に歪んだ。今直ぐ荷物の所在を確認したい気持ちも沸く。しかし、今は後回しだ。
俺は視線を寝室の壁際、そこに有る箪笥に向けた。その中に、俺の服が有る可能性を想像した。しかし、直ぐに首を横に振っている。
まあ、今の格好のままで良いか。
今の俺は、イェマの礼服を身に着けている。女王陛下の前に出たときの衣装そのままだ。
俺は手櫛で髪を撫で付けながら「どうにでもな~れ」と諦めて寝室を飛び出した。
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