第六話 王配の切札
俺は手にしていた冊子、イルメリが作成した〈婚姻に関する規約〉を、豪奢な木製の執務机の上に置いた。続け様に、目の前にいる革張りの椅子に座った白銀髪の美女をジト目で見詰めた。その表情の意味が、俺の口を衝いて出た。
「これでは、俺はイェマにいられなくなるかもしれんぞ」
規約には、イルメリ以外の女性との制限が山ほど書かれている。その殆どが、俺には理不尽、俺を人間扱いしていないと思えるものばかり。
そもそもの話、人間には心が有る。誰だって、自分を人間扱いしない相手に敬意を払いたいとは思わないだろう。自分を嫌う人間と親しくなりたいとは思わないだろう。むしろ忌避感すら覚える。その想いは、俺の心底にも燻り続けている。
俺自身、エルス王国で冷遇されていた。それに耐え切れず、イェマに来たのだ。
当時の出来事を想起すると、蟀谷に太い血管が浮かび上がった。その変調を意識した瞬間、俺は躊躇うことなく自分に残された最終手段を告げた。
「改変を認めないなら」
「認めないなら?」
「離婚する」
「!?」
離婚。その言葉を告げた瞬間、イルメリの体が大きく震えた。その顔は無表情であったものの、俺を見詰める青い瞳から光が消えている。その変調の意味は何か? 俺は首を傾げながらイルメリの様子を観察した。
暫く――凡そ十秒ほど経ったところで、イルメリの可憐な口が僅かに開いた。
「どこだ?」
「ん?」
「どこを直せば良い」
イルメリは俺の要求を受け入れる気になったようだ。尤も、実際に規約の内容を改変した訳ではない。
ここからが本番、正念場。
イェマでの居場所を作る為、俺は自分の意見を強固に自分の都合を主張した。それに対して、イルメリも強固に、理不尽とも思える理由で改変を拒もうとする。
俺達は喧々諤々、互いに掴み合いになりかねない勢いで議論し合った。
夕飯も摂らず、日を跨いでの長丁場。俺も、イルメリも、肩で息をするまで消耗している。大学時代を顧みても、ここまで白熱した議論は殆ど無かった。しかし、頑張った甲斐は有った。
異性に関する規約は大幅に軽減された。その代わり、イルメリへの報告義務が追加されている。その際、イルメリの質問に対する黙秘、及び虚偽の発言を禁止された。正直、面倒な話だと思う。それでも、
「分かった。一先ずはこれでいこう」
俺は規約に署名した。
如何に面倒であろうとも、居場所が確保できるならばイェマに住む。そもそも、故国には俺の居場所が無い。
当時の出来事を想像すると、現状の方が幾分か住み良い気がする。
俺は「錯覚かもな」と苦笑しながら、軽く頭を下げてイルメリの執務室を辞した。
「疲れた」
朝から飯抜きで振り回された。お腹が空いたが、食べる気力は無い。もう寝る。寝るしかない。俺は石の床に寝転がりたい気持ちを堪えながら、自分の寝室を目指して歩いた。
俺の寝室は、他の王族の寝室と同じ区画に有った。王配になったのだから当然と思わなくもない。
因みに、隣は女王の寝室だ。しかしながら、互いの部屋を隔てる石壁は無い。出入り口も同じだ。どういうことか?
要するに、同じ部屋。
一つの部屋を、中央に置いた木製の間仕切り壁で分けている。この工夫だけで「個別の部屋」と言い張ることは躊躇いを覚える。しかも、つい先ほど署名した規約では互いの領域に入る為には許可が要る。
これ、部屋に入った時点で規約違反になるのでは?
現況を鑑みると、俺の眉間に皺が寄る。首も斜めに傾いでいく。しかし、考えたところで部屋主の意図が分かるはずも無い。彼女の心理は難解過ぎる。
「ま、いっか」
俺はベッドに横たわるや否や、そのまま「ぐーすか」と寝息を立て夢の世界に旅立った。
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