第四話 若き侍従長
白亜の広間に居並ぶ廷臣達の前で、イェマの女王イルメリ・イェマは広間中央で跪く俺、マティス・エルスに向かって「対面を取り繕うだけの婚姻」と断言した。その事実は、俺にとっても、廷臣達にとっても、それなりに衝撃的だった。
謁見の間の空気が、まるで泥濘に嵌まっているかのように、ネットリ淀んでしまっている。その気配は、広間最奥の雛壇最上部の玉座まで届いていた。
「ごほん」
白亜の広間に、一文字ずつハッキリ判別できるほど、態とらしい咳の音が響き渡った。それ発した者は、場の空気を悪くした張本人、イルメリだ。
イルメリは、続け様にソッポを向いた後、冷気をはらんだ冷たい声を上げた。
「クロート」
「はい」
イルメリの呼び掛けに、直ぐ様返答の声が上がった。それと同時に、玉座の前に控えていた廷臣の内、最も年若いと思しき女性が前に出た。
侍女ではない。女性の身にまとった衣装は他の廷臣達と同じ、イェマの青い礼服だ。しかし、俺が彼女から覚えた印象は、他の廷臣達とは全く違っている。
まるで学生だ。
肩口で切り揃えられた烏の濡れ羽のような艶やかな黒髪。子犬のように愛らしい顔付き。肌もピチピチと擬音が見えるほど張りが有って瑞々しい。年齢は、恐らく十代後半だろう。
若い。廷臣達に紛れている事実に首を傾げるほどの若さだ。しかし、女王からの信頼は厚いようだ。
「後のことは任せる」
「承知いたしました」
イルメリは、自分が乱した気まずい空気を収拾することもせず、十代と思しき少女に丸投げした。その無茶振りに対して、少女は即応で引き受けている。
二人のやり取りは、当然ながら俺の耳にも入っている。その瞬間、俺の顔に苦笑が浮かぶのを意識した。
俺、軽んじられているのだろうか?
これまでのイルメリの言動を鑑みると、エリス王国で不遇であった日々を想起した。尤も、それを判断することは時期尚早。俺はイェマに来たばかりだ。
俺は心中で「今は様子見」とか、「郷に入りては郷に従え」と念じながら、跪いた状態で畏まり続けていた。すると、俺の頭上から朗らかな声が降ってきた。
「始めまして。王宮の侍従長を務めるクロート・モイライと申します」
王宮の侍従長。その言葉を聞いて、俺は少女――クローとをマジマジと見詰めてしまった。
こんなに若いのに、侍従長なのか。
侍従長は、王族に仕える侍従達を束ねる王宮の管理職。何十人という人間を動かして、王族の生活を円滑に運営する。その為、知識だけでなく、それなりに経験を要する。十代そこそこで務まる役職とは思い難い。
因みに、俺の国では、侍従長は最古参の老人が務めていた。それらの事実を鑑みると、俺の首が傾き掛けた。
俺が首を正位置に固定し続けていると、朗らかな高温の美声が響き渡った。
「先ず、イェマに於ける王城、及び王宮で守って欲しいことを簡単に――」
簡単に。耳当たりの良い言葉だ。しかし、額面通りではなかった。
クロートは、主君に似て真面目な性格のようだ。一つひとつの内容を丁寧に、結構な時間を掛けて説明している。その間、耐え切れなくなった中高年の廷臣達が、幾度となく咳き込んでいる。
しかし、若き侍従長は全く気にしていない様子。その瑞々しく張りの有る声に揺らぎも澱みも一切無い。
クロートは真っ直ぐ前を向いたまま、凡そ――体感一時間ほどの長講を語り切った。尤も、それで終わりという訳ではないようだ。
「後で王宮内をご案内させて頂きます」
どうやら、クロートの話には続きが有るようだ。
因みに、王宮は王城の敷地内に有る王族達の居住区兼職場だ。俺達がいる謁見の間は天守閣という別の建物の中に存在している。
尤も、イェマの王宮と天守閣は繋がっている。それぞれを区別する意味は殆ど無いだろう。それでも、王配にとっては有意味だ。
俺は――王宮に籠りがちになるだろうな。
重用されようが、不遇であろうが、俺の生活拠点、及び職場は王宮だ。今日から世話になる場所を直接確認できることは、俺にとって僥倖だ。
俺も、幾つか聞きたいことが有るからな。
俺の脳内では、今も様々な疑問や質問が渦巻いている。しかし、謁見の間で口にすることは躊躇われた。
質問の機会を得られたと知って、俺の口角が上がった。しかし、俺の笑顔は途中で固まった。
突然、俺の顔に錐を刺したような鋭い痛みが奔った。その刺激の発信源は、俺の視界の中に映っている。
イルメリ!?
玉座に座った白銀髪の美女が、霜が張るほど冷たい目で俺を睨んでいた。その事実を直感した瞬間、俺は直ぐ様口角を下げた。そのまま借りてきた猫のこのように大人しく控え続けて――何とかこの場は凌ぎ切った。しかし、俺は未だ解放されない。
謁見の間を辞した後、俺はクロートともに王宮巡りの旅に出た。
年若い侍従長に先導されて、薄暗い石の廊下を歩いていく。その最中、俺はチラチラとクロートの容姿を盗み見ていた。
本当に若い。何歳くらいなんだろう?
俺の不躾な視線は、クロートも意識していたようだ。
何も無い廊下を歩いている最中、先行していたクロートが立ち止まった。彼女は続け様にクルリと振り返り、小首を傾げながら声を上げた。
「何か気になることでも?」
クロートの言葉を聞いて、俺はバツが悪そうに頭を掻いた。続け様に、言い訳がましい言葉を口にした。
「いや、俺の国では侍従長はお爺さんだったから」
「普通は、そうですよね。先代は――私の祖父でした」
「後を継いだ、と」
「そうなりますね」
親(祖父)の跡を継ぐ。有り得る話だ。しかし、クロートの若さを鑑みると、別の理由があるような気がした。それが何かと考えると、俺の脳内に白銀髪の美女が閃いた。
「もしかして――」
「何です?」
「いや、うん。女王陛下にかかわりが有ることなのかなと」
「そう――ですね。はい、陛下に推挙して頂きました」
「なるほど」
「どうして、そう思われたのですか?」
正直に言えば、イェマ王の事情など殆ど分からない。しかし、俺にはイルメリと学友だった経験が有る。彼女の性格は、全部ではないが、幾つか知っていることが有った。
イルメリは他人に無関心のようで、実は面倒見が良いからな。
俺の脳内に、ウガリット大学時代に体験した思い出が幾つも閃いた。当時のイルメリの様子を想起して、俺はクロートに向かって声を上げた。
「イルメリ――陛下と俺が大学に通っていた頃の話になるけども。聞きたい?」
「是非」
クロートは、全力で俺の話に食い付いた。俺は彼女の期待に沿えるよう、脳内に閃いたイルメリの話を語った。その内容は、どれもクロートの興味関心を大いに惹き付けている。
イルメリの過去話を通じて、俺はクロートとの距離を縮めることができた。その事実は、俺にとっては僥倖だった。しかしながら、必ずしも良い事ばかりではない。
俺が女性と懇意になることは、理不尽とも思える面倒事が舞い込む前兆、要因でもあった。
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