第三話 愛無き結婚
俺、マティス・エルスの婿入り先、イェマは雪山と森の国だ。峻険なオピオン山の麓に広がる針葉樹林帯「イェマの森」を切り開いて造られている。ウガリット大陸の北西端に位置している為、それなりに寒い。
俺の国、エルス王国からも、それなりに距離が有った。その為、それぞれの国の気候は全くと言って良いほど違っている。
エルスは大陸西端の国。西風が海の暖かな空気を運んでくる為、常春と言っていいほど季節の温度差が少ない。対してイェマは常冬だ。その事実を鑑みると、俺の眉が僅かに歪む。
尤も、気候を理由に故国に戻りたいとは微塵も思わない。それに、イェマにも人に優しい自然の恵みが幾つか有った。
オピオン山から流れる雪解け水と、イェマの森に点在する湖。森の木々と、それを生み出した肥沃な大地。これらの好条件を活かして、農業や林業が盛んに行われている。
イェマの資源を想像する度、俺の脳内に様々なアイデアが閃いた。それを活用して、イェマをより良い国にしたいという気持ちも沸く。しかし、その可能性を想像すると、俺の顔に苦笑が浮かんだ。
果たして、イェマでは俺の意見が聞き入れられるのか?
故国では、兄王子達に邪魔されて、俺の意見は全く受け入れられなかった。その事実を想起すると、俺の眉が「八」の字に歪む。
イェマでも冷遇されるかもしれない。
俺が覚えた不安は、配偶者の前に引き出された瞬間、一層掻き立てられることになった。
馬車に揺られて二十一日目。漸くイェマの王都に辿り居ついた。
時刻は――朝だ。東の空から太陽がヒョッコリ顔を出している。尤も、ぶっ通しで馬車に揺られ続けていた為、俺の体力は限界近くまで消耗している。正直、今直ぐベッドに横たわりたいところだ。
しかし、俺の願望はイェマの使者、ダンテ男爵によって打ち砕かれた。
「女王陛下がお待ちです」
俺を乗せた馬車は王城に直行した。
俺が馬車を降りるや否や、待ち構えていた侍女達に引っ張られて浴室(脱衣所)に押し込められた。その上「早く体を洗え」と急かされて、俺は烏の行水並みの超速で体を洗って脱衣所に戻った。
脱衣所には、イェマの青い貴族服が用意されていた。それに袖を通すや否や、侍女達に「早く、早く」と引っ張られ、俺は王宮の謁見の間に放り込まれた。
一体、何なのだ?
これがイェマのもてなし方なのだろうか? 俺は首を傾げながら、現況を確認しようと周囲に視線を巡らせた。
大理石製の白亜の間には、青い礼服をまとった廷臣の姿が有った。因みに、青はイェマの国色だ。
廷臣達の中には女性の姿も見受けられる。中年から若年まで。俺よりも若いと思える者もいた。何の役職を務めているのか気になるところ。
しかし、俺の視線と意識は若年層ではなく中年層、そこに立つ一人の女性に引き寄せられていた。
その女性は、豪奢な青いドレスをまとっていた。他の廷臣達が一様な礼服であった為、一際目立っている。しかし、俺の視線はドレスには向いていなかった。彼女の頭部、顔に吸い寄せられている。
結い上げられた白銀髪。天才彫刻家の傑作と思しき整った顔。それが目に入った瞬間、俺は奇妙な既視感を覚えていた。
似ている。
俺の記憶に有る女性の顔と、僅かながら重なって見えた。一体、誰の顔なのか? それを考える必要は無い。俺の記憶に有る女性の顔は、件の中年女性の後ろ、謁見の間最奥の雛壇最上部に有った。
白銀の玉座に、より以上に煌めく白銀髪の女性が座っている。見た目は二十代前半。実年齢は二十代後半。しかし、もう直ぐ三十代。俺が彼女の年齢を知っている理由が、俺の脳内に閃いていた。
久しぶり。
その女性こそ、若きイェマの女王イルメリ・イェマ。周囲から「氷の女王」と呼ばれるほどの冷血漢だ。俺にとっては大陸最高峰の大学、ウガリット大学の学友にして、互いに主席を争った好敵手だ。
まさか、こんな形で再会することになるとは。
俺はイルメリの前に跪きながら、少しだけ顔を上げて彼女の顔を盗み見た。
夜空に瞬く星のように煌めく白銀の髪。それに覆われた顔もまた、それ自体が光り輝いているかのように美しい。
相変わらず綺麗だ。だけど――
イルメリの美しさは、共に机を並べていた当時とそん色ないように思う。しかし、今の俺に映ったイルメリからは、一層冷淡な印象を覚えた。
イルメリの青い瞳は、硝子玉と錯覚するほど生気が無い。彼女の顔を覆った鉄面皮は、大学の頃より硬質化して、本物の鉄かと錯覚する。氷の女王というより、鉄の女王といったところ。
まあ、あのイルメリなら、女王様になったらこうもなるか。
俺の知るイルメリは、クソ面倒と嘆きたくなるほどクソ真面目な性格だった。国の運営を任さたことで、一層頑なになってしまったのだろう。変わってしまった学友の姿を見て、俺の眉が僅かに歪んだ。
その直後、俺の耳にイルメリの硬質な声が飛び込んできた。
「最初に言っておく」
最初に言うべき言葉。俺の脳内では再会の挨拶とか、自己紹介とか、俺という客人に対する気遣い、或いは一般的な礼儀の言葉が閃いた。
しかし、イルメリの口から出てきた言葉は、俺の想像の埒外のものだった。
「この度の婚姻は、飽くまでも女王の対面を取り繕うだけのものだ」
対面を取り繕う。俺も、イルメリも、三十歳に手が届こうとしている。その事実に加えて、イルメリはイェマの女王だ。イェマの廷臣達だけでなく、イェマの世評、周辺諸国の風聞も気になるだろう。それらの可能性を想像すると、納得できなくもない。
しかし、イルメリの言葉を聞いた瞬間、俺は跪きながら首を傾げていた。
それ、人前で言って良い言葉か?
二人きりなら兎も角、態々廷臣達の前で宣言する必要は無い。むしろ、言わない方が良い。正直、俺には理解も共感もできない。俺は自分が渋面を浮かべていることを自覚した。その表情は、もしかしたらイルメリから見えていたかもしれない。
俺が顔を顰めていると、頭上から硬質で冷ややかな声が降ってきた。
「それ以上でも、それ以下でもない」
イルメリは、しつこく念を押した。その言葉を聞いて、俺は傾いだ首を戻した。しかし、直ぐに傾いでいく。その反応もまた、イルメリの視界にも映っていたようだ。
俺が首を傾げていると、一層冷ややかで、刃物のように鋭い声が響き渡った。
「分かったか?」
イルメリの言葉を聞いた瞬間、俺は反射的に「何が?」と言い掛けた。しかし、それは直前で堪えた。
俺は気持ちを落ち着けるべく軽く息を吐いた。平静になったところで、俺は静かに声を上げた。
「分かりました」
俺は目線を下げたまま首肯した。
完璧なまでに、イルメリの言いなりだ。俺としては、全力で彼女に遠慮しているし、それなりに気を遣ったつもりだ。ところが、当の本人の反応は意外なものだった
「ふんっ」
イルメリは、不機嫌そうに鼻を鳴らしてソッポを向いた。その奇行は、俺だけでなく、周りの廷臣達の目にも映っている。
廷臣達は、一様に突発性顔面神経痛を患ったかの如く顔を引きつらせている。その様子は、目線を下げていた俺の視界の端に映っていた。
何なのだ?
イルメリの奇行と、廷臣達の反応。それらを見聞きした俺の首が、傍目にもそれと分かるほど傾いだ。
その直後、視界の端に周囲の者と全く異なる反応をしている女性の姿が飛び込んだ。
イルメリ似た中年女性は、口許に扇子を当て――全力で笑いを堪えている様子。その反応を見て、俺の首は限界ギリギリまで傾いでしまう。
本当に、何なのだ? ここの人達は。
イルメリを含めた全員の奇行を目の当たりにして、俺の心中に土砂降り直前の暗雲が立ち込めていた。




