第十六話 酩酊女王
俺とイルメリが同衾するようになってから一週間ほど経った或る日のこと。
この日、今年の豊作を感謝して、イェマの王都では来年の豊作を祈念する新嘗祭が執り行われていた。
日が昇るや否や、王都中の人々が都内中央広場に集合して、飲めや歌えと大宴会に興じているている。王宮中の人々も、まあ、似たようなもの。
全ての行事や業務を終えた後、廷臣や侍従を問わず、殆どの者が大広間に集まって宮中晩餐会が催されている。
荘厳な白亜の空間は、様々な飾り付けによって披露宴会場と錯覚するほど賑やかになっている。
奥の雛段から「コ」の字に並んだテーブルには、宮廷料理人達の傑作料理が「これでもか」と言わんばかりに卓上一杯に埋め尽くしている。
長卓の周りには、普段以上に着飾った男女が歓談に興じていた。
席に着いて料理に舌鼓を打つ者、杯を片手に立ち話をする者――と、それぞれが思い思いのスタイルで存分に楽しんでいる様子。
その中に有って、場違いなまでに暗い雰囲気の人間が二人いる。
空気を読まない愚者は、俺とイルメリだ。
俺達は、それぞれ広間奥の一段高い雛壇、上座のテーブル席に着いている。
イルメリが最上位の上座、ド真ん中の席。俺は彼女の左手側に着席している。
今日のイルメリは、青い生地に銀糸の刺しゅうを施した豪奢なドレスをまとっていた。普段質素な格好ばかりなので、それなりに新鮮な印象を覚える。尤も、その印象の賞味期限は存外に短い。
イルメリは、今日も変わらず無表情にして無感情。機械的に杯に注がれた酒を飲んだり、目の前に並んだ料理を細切れにして口に運んだりしている。
俺も、それとなく気を遣い、積極的にイルメリに話し掛けた。ところが、
「ああ」「うん」「そうか」
イルメリは素っ気ない返事しかしない。俺と視線を合わそうともしない。視線が合いそうになると、直ぐ様顔を背けている。どれだけ贔屓目に見ようとも、避けられていると思わざるを得ない。
尤も、これらの反応は、今の俺にとっては見慣れたものになっている。
イルメリと同衾するようになって以降、俺に対するイルメリの態度は一層余所余所しくなった。その理由は、実は何となく直感している。
恐らく、就寝時のイルメリの奇行だ。
就寝時、俺達は同衾に伴って変更された婚姻規約に従って、互いの体が触れないように結構な距離を開けていた。
ところが、イルメリは必ずと言って良い程所定の位置から離れている。どこにいるかと言えば、俺の体の上。有体に言えば、俺に抱き付いていた。
イルメリは俺の胸に頭を乗せ、俺の体に腕と脚を絡み付かせながら安らかな寝息を立てている。見事なまでの規約違反。
どうしたものか?
イルメリを咎めたい気持ちも沸く。しかし、無意識である可能性も否定できない。そもそも、こんな詰まらんことで朝から議論を戦わせる気にはなれない。
イルメリの奇行を直感する度、俺は穏便に事を済ませるべく、何とか離れようと試みている。しかし、それが上手くいった例は無い。
俺が身を起こそうとすると、イルメリの腕と脚に力が籠る。どうやら俺の体を離したくない様子。その可能性を想像して、俺は溜息を吐いた。
イルメリが起きるのを待つ。それしか無い。
俺は、イルメリが目覚めるまで抱き枕と化した。彼女が目を覚ました際も、全力で狸寝入りし続けた。イルメリの探るような視線に耐えながら、彼女が寝室を離れるまで瞼を閉じ続けている。尤も、俺の苦労の甲斐は、多分無い。
俺に対するイルメリの態度は――現況の通り。恐らく、自分の奇行に罪悪感を覚えているのだろう。そこまでは、予想できた。
しかし、打開策は閃かない。折角の新嘗祭も、俺達の雰囲気はお通夜のようになっている。いい加減、俺の我慢も限界だ。
俺は居心地の悪さを覚えて席を立った。
「皆に挨拶してきます」
俺はイルメリに声を掛けるや否や、廷臣達の許へと歩き出した。
その際、イルメリがこちらを見て、何か言いたげに口を開いた。その反応は、俺の視界の端に入っている。
俺は反射的に足を止め、イルメリの方を向いた。しかし、
「…………」
イルメリは何も言わない。それどころか、口を閉じて俯いてしまった。その反応を見て、俺は小さく溜息を吐いて廷臣達の席に向かった。
廷臣達は、俺が立ち上がった際、それぞれの視線を俺に向けていた。そこに込められた想いは、少々複雑だ。その原因は、俺の背後に君臨する氷の女王だろう。
振り向かずとも分かる。イルメリは今、俺をジッと見詰めている。その氷柱のような視線が、俺の後頭部に突き刺さっている。
俺は痛みを堪えながら、立食している廷臣達の方へと脚を進めた。尤も、誰に声を掛けるかは、決めていない。
気を紛らわせるなら誰でも良い。いっそ、誰かに話し掛けて貰えたら――
「マティス殿下」
至近で女性の声が上がった。
呼び掛けられて、俺は即応で相手の方を見た。その直後、俺の視界に青いドレスをまとった若年女性の姿が飛び込んだ。その瞬間、俺の口から相手の名前が零れ出た。
「クロート嬢」
クロート・モイライ。弱冠十七歳にして王宮の侍従長を務める才女。今日は長い黒髪を後頭部でまとめ上げ、顔にはほんのり化粧を施している。
普段のクロートは、化粧もせず、実務一辺倒の制服姿。普段とギャップが有り過ぎる。その代わり様を目の当たりにして、俺の口から素直な感想が漏れた。
「綺麗だね」
俺の賛辞は、当然ながらクロートの耳にも入っている。彼女はハニカミの笑みを浮かべながら「ありがとうございます」と頭を下げた。その様子を見て、俺も釣られて笑顔になった。
しかし、和やかな雰囲気は一瞬で凍り付いた。
突如として、奥の雛段から冷気が吹き荒み出した。その冷気が収束して、巨大な氷柱となって俺の体を背後から襲い掛かる。それに中てられて、俺は驚いて背後を見た。
その直後、俺の視界に白銀髪の美女の姿が映った。
イルメリは、俺に冷たい視線を向けながら、杯を煽っていた。それが空になると、直ぐに隣に控えた侍女に声を掛けてお代わりを注がせている。かなりのハイペースだ。その様子を見て、俺の首が斜めに傾いだ。
大丈夫か? あれ。
この後の展開を想像すると、俺の背中に嫌な汗が滴った。今の内に手を打ちたい気持ちも沸く。しかし、今は祝いの席だ。
俺は場の雰囲気を優先した。再びクロートに向き直って、
「そういえば――」
自分から話を振って、思い出話に花を咲かせた。その間、ずっと背中に冷たい視線を覚えている。それに中てられて、俺の背中に滴る汗は次々凍った。それなりに痛い。その痛みに耐えながら、歓談を続けた。
このとき、俺はクロートとの会話を早々に切り上げて、できるだけ多くの人に声を掛けるつもりだった。ところが、会話中に意外な人物がやって来た。
「マティス殿下、私も会話に加えて下さいな」
白銀の紙を結い上げた、豪奢な青いドレスの女性。イルメリに似た顔は見紛うはずもない。
イリアナ・イェマ・メリアル子爵婦人。彼女も、今日は一層気合を入れて着飾っている。それを見て、俺は「素敵ですね」と誉めた。すると、背後に覚えた冷気が絶対零度近くまで下がった。
このままでは凍死する。
俺は二人との会話を切り上げて、足早にイルメリの左隣の自席に戻った。その際、俺は無理矢理な笑みを浮かべて、イルメリに向かって声を掛けた。
「ただいま」
「…………」
イルメリの反応が無い。俺のことなど眼中にない様子で、ジッと正面を見詰めている。完全無視。その反応を目の当たりにして、俺の笑顔が一層引きつった。
どうしたものか?
俺は着席しながら首を捻った。すると、イルメリが椅子毎俺の方へと移動してきた。その奇行の意味は何なのか? 俺は目を開きながらイルメリの奇行を見詰めていた。
イルメリは、真正面を睨みながら俺に接近し続けた。最終的に密着している。続け様に、俺の右肩に頭を乗せた。その奇行を目の当たりにして、俺は思わず息を飲んだ。
その直後、至近からか細い声が上がった。
「私から離れないで」
「え?」
イルメリは、俺に命令しながら一層俺に密着した。何となく、俺が離れたことが気に入らないと思える。その可能性を想像したところ、俺の首は斜めに傾いだ。
俺のこと、避けているように思っていたんだけど。
俺にはイルメリの真意が分からない。俺は一層首を傾げた。すると、再びか細い声が耳に飛び込んだ。
「他の女のところに行かないで」
「え?」
イルメリの言葉を聞いた瞬間、俺の脳内に「嫉妬」の二文字が閃いた。しかし、それを確信するできるほど、俺は自信家ではない。
そもそも、俺達の婚姻は体裁を取り繕うだけのもの。それを断言した人物は、俺の体に密着しているイルメリだ。それなのに――
「私の傍にいて、私だけを見て――」
「!」
イルメリの言葉を聞いて、俺は思い切り息を飲んだ。それと同時に彼女の顔を見た。
イルメリは――目を閉じていた。今更ながら、彼女の顔が真っ赤であることに気付く。酔っているのだろう。その可能性を想像すると、先程聞いた言葉が脳内でリフレインした。
まさか、さっきの言葉はイルメリの本心か?
俺はイルメリの顔をジッと見詰めながら口を開き掛けた。俺としては先程の言葉の意味を尋ねるつもりだった。ところが、それは叶わなかった。
「すぅ……すぅ……」
俺が口を開けたタイミングで、イルメリから寝息が聞こえた。彼女は眠っていた。その事実を直感して、俺は溜息を吐いた。
俺はイルメリを抱えたまま宴席を後にした。その際、イルメリの腕が俺の首に絡み付いている。その行為を目の当たりにして、俺は彼女が起きている可能性を想像した。
しかし、イルメリは未だ寝ていた。眠りながら俺の体に擦り付いてくる。その刺激に耐えながら、俺は彼女の体を寝室のベッドに横たえた。
俺としては、再び大広間に戻って、イルメリの分まで宴席に参加し続けるつもりだった。ところが、それは叶わなかった。
イルメリは、寝ながらにして、俺の体を離そうとしない。タールのようにベッタリへばり付いている。その事実を目の当たりにして、
「仕方ないな」
俺はイルメリと一緒にベッドに横たわった。その直後、イルメリの口からか細い声が上がった。
「マティス――」
名前を呼ばれた。一瞬、イルメリの意識が戻ったと錯覚した。しかし、彼女の瞼は閉じたまま。先の言葉は寝言だった。それは尚も続いた。
「どこにも行かないで。ずっと、傍にいて」
寝言で懇願。それを耳にして、俺は溜息を吐いた「本当に、仕方ないな」と愚痴をこぼしながら、朝を迎えるまでイルメリと一緒にベッドに横たわっていた。
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