第十五話 寝室騒動
俺がイェマに来てから、かれこれ半年。イェマでの生活にも慣れ、それなりに顔見知りも増えている。
尤も、俺の交友関係に関しては、俺個人の努力より、俺の妻にしてイェマの女王、イルメリ・イェマの影響が大きい。
イルメリは、俺が何か大事を成す度、それを包み隠さず国内外に喧伝した。その行為は、他国民はもとより、自国民の顔まで鳩が豆鉄砲を食ったような表情にしている。
「あの、氷の女王が他人を褒めるとは」
イルメリは、表面上は冷淡で頑なな態度を取り続けている。その為、周囲から他人に無関心と思われがちだ。そんな彼女が他者を称賛している。
「一体、マティス・エルス・イェマとはいかなる人物なのか?」
イルメリという女性を知る者であれば、彼女の俺に対する評価に困惑や興味を覚えることは必然だった。少なくとも、イェマ国内で俺の顔と名前を知らない者は殆どいなくなっている。
俺は、どこにいても声を掛けられた。その事実を有難く思う。その一方で、少しだけ疎ましくなることも有った。
俺も一個の人間にして、それなりに未熟者。苦手意識を持っている人から声を掛けられると、俺の眉根が僅かに歪む。尤も、その歪み方も相手次第。苦手の分類如何による。
生理的、性格の不一致、頭が上がらない――等々。
前者二つは能動的に避けた。文句や嫌味、愚痴や陰口をたたく人間とはかかわりあいたいとは思わない。しかし、最後の一つは避ける訳にはいかない。
俺に対して、面と向かって苦言を呈してくれる存在は得難い教師達。
イルメリ、クロートを含めた有能な廷臣達。それから――イルメリの叔母、イリアナ・イェマ・メリアル子爵婦人。
それぞれの言葉は、俺にとって値千金の金言だった。しかしながら、彼らも神ではない。それを実行したことによって、ひと悶着が起きる場合も――残念ながら有る。
或る日の昼食後、俺は食後の運動とばかりに中庭を散策していた。その最中、俺の視界に青紫のドレスに身を包んだ淑女の姿が映り込んだ。
イルメリと同じ白銀髪の髪。しかし、イルメリではない。淑女の正体は、その姿が目に入った瞬間直感していた。
おや? メリアル子爵婦人ではないか。
イリアナは、基本的にメリアル子爵宅に入り浸っている。王宮に顔を出すことは滅多に無い。その事実を想起して、俺は「珍しいことも有るものだ」と首を捻った。そのタイミングで、あちらも俺の存在に気付いたようだ。
「見付けましたわ」
イリアナは、その美貌に柔らかな笑みを湛えながら、真っ直ぐ俺の方へと歩いてくる。結構な速度の早歩き。青紫のドレスが、刈りこまれた芝生の上を滑るように移動している。
一応、お淑やかな振舞いに見える。しかし、俺は獲物を見付けた狩人のような印象を覚えた。そのせいで、ほんの一瞬だけ腰が引けた。しかし、逃げる訳にはいかない。俺はその場に踏み止まった。
俺は眉が歪むのを堪えて、敢えて口角を上げて笑みを作った。尤も、完璧な笑みとはいかない。少しだけ口許が歪んでいることを自覚する。それでも、必死に笑みを張り付かせながら声を上げた。
「メリアル子爵婦人、どうされましたか?」
イリアナの様子を見ると、俺に用事が有るように思える。しかし、俺に思い当たる節は無い。当然ながら心構えもできていない。
俺は心の自衛を含めて、敢えて用件を尋ねた。すると、イリアナは俺から二メートルほど離れたところで立ち止まり、そこで朗らかな声を上げた。
「ごきげんよう、マティス王配殿下」
王配殿下。その呼称を使う者は、存外に多い。しかし、面と向かって言われたことは、実は殆ど無い。
殆どの者は、俺を「マティス様」、或いは「マティス殿下」と呼ぶ。当のイリアナも、普段は俺を「マティス殿下」と呼んでいる。その事実を想起した瞬間、俺の渾身の笑みが歪んで、苦笑になった。
嫌な予感しかしない。
王配とは、即ち女王の旦那ということ。イルメリとかかわる内容であることは、何となく察しが付いた。俺は微妙な笑みを浮かべながら「ごきげんよう」と返した。
その直後、イルメリに似た青い瞳がスッと細くなった。
「先程、姪にも尋ねたことなのですけれども」
姪。即ち、イルメリのことだ。やはり、イルメリ絡みの内容なのだろう。それも、どうやら苦言のようだ。その可能性を想像すると耳を塞ぎたい衝動に駆られる。しかし、そんな無礼を働く勇気は、俺には無い。
「何でしょうか」
俺は敢えて話の続きを促した。その行為は、直後に後悔する羽目になった。
「単刀直入に申しましょう」
イリアナの声音は、イルメリを想起するほど硬く、冷たい。その冷気に中てられて、俺の背筋に悪寒が奔った。
その直後、俺が覚えた予感が具現化した。
「貴方達、同じ寝室――いえ、同じベッドで寝ていらっしゃる?」
「!」
イルミナの言葉を聞いた瞬間、俺は思わず息を飲んだ。
俺達は、一応、同じ寝室を使っている。しかし、互いのベッドは別だ。このような小細工を弄した理由は、イルメリの建前を取り繕う為だ。
イルメリとしては、「やることはやっています」と、内外に知らしめたいらしい。尤も、寝室に出入りする侍女達には「やってません」ということはバレバレなのだが。
イルメリの小細工には、残念ながら穴が有った。しかし、それを穿る者は誰もいなかった。唯一人、俺の目の前にいる白銀髪の淑女を除いて。その事実を目の当たりにして、俺は答えに窮した。
尤も、俺に選択肢は無い。しらを切り通すしかない。そう思った。しかし、その前に、どうしても確認すべきことが一つ有った。
「女王陛下は、何と答えましたか?」
イルミナは「イルメリにも聞いた」と言っている。二人の答えが違っていると、どちらかが嘘を吐いたことになる。虚言を看過するほど、目の前にいる淑女は甘くないだろう。それが例え女王であっても。いや、女王だからこそ厳しく対処するだろう。
そもそも、イリアナはイルメリの叔母。彼女の胸に秘めた思い、亡き姉に代わってイルメリを正道に導こうとする義務感は強い。それこそ単独で大国に挑めるほどに。
聞くところによると、イリアナは「イルメリの後見」を理由に大国の婚姻を蹴っている。尤も、真の理由はメリアル子爵家に嫁ぐことであった訳だが。
下手なことは言えないよな。
俺はイルミナの様子を窺いながら、彼女の言葉を待った。すると、見詰める先の美貌に意味深長な笑みが浮かんだ。その表情の意味は何か? 考えるほどに、俺の額と背中に汗が滴った。
冷や汗がツツゥと幾筋かの川を作ったところで、見詰める先の吊り上がった口が僅かに開いて、そこからネットリ糸を引く艶っぽい声が漏れた。
「あの子は『一緒のベッドを使っている』と、言っていたわ」
「!!」
イルメリは嘘を吐いた。その事実を直感した瞬間、俺の全身から血の気が引いた。
拙い事になった。
俺の対処如何で、イルメリは窮地に立つことになる。だからと言って、嘘に嘘を重ねることには躊躇いを覚える。俺は三秒間だけ考えた。その上で、イリアナの対処法としては「最悪」と言わざるを得ない手段を選んだ。
「ええ、一緒のベッドを使っていますよ」
俺も、イルメリに合わせて嘘を吐いた。仮面夫婦とはいえ、今は運命共同体。一蓮托生。尤も、気持ち的には「毒食らわば皿まで」といったところ。
俺は渾身の笑顔で大きく頷いた。すると、見詰める先の美貌に満面の笑みが浮かんだ。その表情を見て、俺は「ホッ」と息を吐き掛けた。
しかし、直後に俺の全身が凍り付いた。
「では、寝室を見せて貰ってもよろしい?」
「!!!」
寝室の確認。それを実行されたならば、別のベッドを使っていることは一目瞭然。噓がバレることは確実。可能であれば阻止したい。だからと言って、断ればイリアナに疑念を持たれることは確実。そもそも、断ることができるとは思えない。万事休す。しかし、俺には一縷の望みが有った。
メリアル子爵婦人は、先にイルメリに質問していた。イルメリが何か手を打っている――はずだ。
俺は全力で平静を装い、イリアナに向かって「良いですよ」と了承した。その際、敢えて寝室までの案内役も買って出た。イルメリが何とかする時間を少しでも稼ぐ為だ。
俺は態と遠回りをして、イルミナを俺達の寝室へと案内した。その途中、俺達は侍女達の集団とすれ違った。それぞれの顔には見覚えが有った。
その事実を直感した瞬間、俺の歩く速度は僅かに上がった。
イルメリが何とかしてくれた。
俺は期待を胸に、寝室までの最短進路を選択した。
程無くして、寝室の前に到着。続け様に重厚な木製扉をノックした。返事は――無い。中には誰もいない様子。それを確認して、俺はユックリ扉を開いた。
その直後、俺の視界に見慣れない光景が飛び込んだ。
部屋の中が――広い。そのように錯覚した理由は、部屋の中央部分にあった。
寝室を分ける間仕切り壁が無い。序に言えば、俺が使っていたベッドも無い。どちらも跡形も無く取り除かれている。
部屋の中央に存在している物体は、イルメリのものと思しき天蓋付きのベッドだけ。
現況を直感した瞬間、俺は心中でサムズアップしていた。思わず「ほっ」と息を吐きかけた。それを堪えながら、俺は振り返って背後に立つ淑女に声を掛けた。
「どうぞ」
俺が促すと、イリアナは躊躇うことなく寝室に入った。その直後、彼女は満足そうにうなずいている。尤も、それで全て事も無しという訳にはいかなかった。
イリアナは、中の様子を確認しながら、俺に夫婦生活に関する質問した。それを、俺は自分の返答と共に心のメモ帳にシッカリ書き記した。
後でイルメリと相談しないとな。
かくして、今日から俺達は一緒のベッドで寝ることとなった。その際、婚姻規約の内容が変更されたことは言うまでもない。
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