第十三話 不遇王子の着想
常冬とはいえ、春になれば寒さも幾分か和らぐようだ。麗らかな日差しが、氷のように冷たい石製の執務室を温めている。
俺がイェマに来てから二か月ほど経っただろう。余所者であった俺も、今はイェマの住民として、それなりに馴染んできている。少なくとも、ここには俺の居場所が有った。それを与えた存在が、今、俺の直ぐ隣にいる。
俺の妻にしてイェマの女王、イルメリ・イェマ。今は長い白銀髪を後ろでまとめ、執務机に置かれた資料を見詰めている。
相変わらず、妖精と錯覚するほど幻想的なまでに美しい。尤も、愛嬌も愛想も無い。相変わらずの無表情。
そもそも、イルメリが感情を露にすることは滅多に無い。敢えて例外を揚げるとすれば、俺の前だけだろうか。尤も、俺に見せる表情は、無表情より辛辣だ。
宿敵――って、言われてたもんな。
俺とイルメリは、ウガリット大学で主席を争っている。その関係性は、結婚した後も余り変化は無いようだ。むしろ、当時の関係に戻っているように錯覚する。少なくとも「二人きり」という条件下では、互いの口調は当時のものになっていた。
因みに、余人の目が有るときは、規約に従って互いの立場に準じた口調を心掛けている。
尤も、イルメリの方から砕けた口調で語り掛けられると、こちらも釣られることも、有る訳だが。まあ、それはそれとして。
基本的に、イルメリとの関係は良いとは言い難い。彼女は俺に遠慮しなくなっている。きつい表情で俺を睨んだり、容赦のない辛辣な言葉を浴びたり――散々だ。その事実を思うと、俺の口は「へ」の字に曲がる。
仲良くなっている気が、全くしない。
口調は砕けているものの、夫婦の務めは果たしていない。未だにベッドは別々だ。それどころか手を繋いだことすらない。その事実は、王宮にいる廷臣達や侍女達も勘付いている。彼らの姿が視界に入る度、不安げな視線を意識する。その度、俺の口は山形に歪んだ。
俺も、このままで良いとは思わないんだけども。
危機感を覚えなくもない。しかし、軽々にイルメリに近付く訳にはいかない。
廷臣や侍女達は知らないが、俺達の間には婚姻に関する特別な規約が有る。それを交わす際、俺の意見も取り入れて貰っている。その事実を思うと、俺の方から破ろうとは思わない。相手の立場を鑑みれば尚更だ。
だからと言って、現状維持が正しいかと考えると――俺の首は斜めに傾いだ。
イルメリとも仲良くするよう努力すべきでは?
俺は机上の資料の内容を確認しながら、脳内ではイルメリとの関係に付いてあれやこれやと想像を巡らせていた。その最中、俺の耳に鈴の音のような涼やかな美声が飛び込んだ。
「マティス」
「ん?」
イルメリが俺の名前を呼んだ。その際、俺は考え事をしながら作業していた為、ぞんざいな返事をしてしまった。失礼な態度だと思う。女王に対して不敬とも思う。
しかし、イルメリは気にしていない様子。俺も、今は余り気にならなくなっている。
俺は学生時代の調子のまま、面倒臭げにユックリ顔を上げて、隣に座るイルメリを見た。
その瞬間、俺の視界に幻想的なまでの美貌が映った。
絹のように煌めく白銀の髪が、南窓から差し込む陽射しを受けて一層輝きを増している。相手が学生の頃からの宿敵でなければ、きっと見惚れていただろう。しかし、彼女を見る俺の顔には渋面が浮かんでいる。
イルメリの口角が、僅かながら上がっていた。それを直感して、俺は嫌な予感を覚えた。
面倒なことを言われそうだ。
俺は努めて平静を装いながら、「何かな?」と用件を尋ねた。その直後、イルメリの可憐な口から予想外の言葉が飛び出した。
「『空豆』という豆を知っている?」
空豆。その言葉を聞いた瞬間、俺の脳内に大ぶりの鞘に収まった豆が閃いた。
ウガリット大陸中央部、比較的涼しい地方の特産品で、陸路経由でエルス王国にも出荷されている。それを食したことも、幾度か有った。粒が大きい為か些か大味だと記憶している。当時の記憶を想起して、俺は「知っている」と言って頷いた。すると、見詰める先の白銀髪の美女が「よろしい」とばかりにコクリと頷き返している。
その直後、イルメリの可憐な口が開いて冷淡な声を上げた。
「我が国の農業に、空豆を取り入れようと思う」
「ふむ」
ウガリット大学時代、俺とイルメリは植物の育種に付いて学んでいた。その際、イェマのような寒冷地でも育つ植物の知識を得ている。その具体例の一つに、空豆が有った。
当時の記憶を想起した瞬間、俺はイルメリに向かって大きく頷いた。
「良いんじゃないかな?」
その瞬間、イルメリの口角が一層嬉し気に上がった。しかし、それは一瞬で下がった。愁眉さえ浮かべている。その表情の理由が、彼女の口から零れ出た。
「どうすれば――」
「ん?」
イルメリは、一旦口を噤んだ。その行為に、俺は違和感を覚えた。
ウガリット大学時代から、イルメリは女王になる運命を自覚して、そのように振舞っている。
誰にも気を許さず、誰にも頼らず、徹底的に唯我独尊。女王になった今は、より一層近寄り難くなっている。
尤も、学生時代も今も、例外が一人いるようだ。その事実を、俺は直後に目の当たりにした。
「受け入れられると――思う?」
イルメリは、俺に意見を求めた。その行為は、余人から見れば信じ硬い。実のところ、俺にとってもイルメリから質問されることは滅多に無い事ではあった。しかし、全く無かった訳ではない。
本当に、困っているんだろうな。
イェマは寒冷地。植物が育ち難い環境にある。空豆のような蛋白質が豊富な植物は、是非とも取り入れたい。
しかしながら、イェマはへき地である為、国民も頑固なまでに保守的だ。彼らがスンナリ未知のものを受け入れるとは思い難い。何らかの手段を講じて、受け入れやすい心情を醸造するべきだと思う。
皆が空豆を気に入る方法――か。
何かないかと考えると、脳内にエルス王国にいた頃に考えていた案が閃いた。それが、俺の口を衝いて出た。
「空豆の料理を作って振舞う――というのはどうだ?」
そもそも、望まぬものを作らせようとすることには無理が有る。作り手が「美味い」と思えば、喜んで育ててくれるだろう。俺の脳内では、既に空豆を使った幾つかのレシピが閃いていた。その中から、どれを試そうか――と考えていたところに、イルメリの声が耳に入り込んだ。
「料理――か」
囁くような小声だった。恐らくは独り言。しかし、俺の耳には一字一句違わず届いている。それに反応して、俺は直ぐ様イルメリの顔を見た。
イルメリの眉が――険悪なまでに歪んでいた。その表情の意味を、俺は学生時代に思い知らされている。
ああ、こいつの料理は人を殺せるレベルだった。
ウガリット大学の女子寮で、異臭騒ぎが起こったことが有った。幸いにして死者は出なかった。しかし、何十人もの人間が数日寝込む羽目になっている。
その異臭の元は、寮内に設けられた自炊用の調理場。より詳しく言えば、イルメリの料理だ。
イルメリは、王族であるが故に料理をしたことが無かった。その必要も無いはずだ。
ところが、何を思ったか挑戦してしまった。その結果、多数の犠牲者が出た。
この事件は、イルメリの心にも衝撃を与えている。以降、彼女は調理することを全力で避けている。
あの事件は――うん、トラウマになったな。
イルメリの表情は硬く、暗い。その変調を直感した瞬間、俺は声を上げていた。
「この一件、俺に任せて貰えないだろうか?」
俺はイルメリに向かって頭を下げた。すると、イルメリの目が大きく広がった。しかし、それは一瞬だけのこと。直ぐに平静な、いつもの無表情に戻っている。
イルメリは、その氷像のような口から、いつも通り冷淡な声を上げた。
「良かろう」
イルメリは、女王らしく居丈高に許可した。
かくして、俺は「空豆推進担当」という新たな役職を得た。
俺はイルメリの期待に応えるべく、空豆を使った幾つかの料理を考案し、それを王領の領民達に振舞った。その結果――
「これ、絶対作りたいです」
まさかの好評。この事実を受けて、イェマの主要農作物の一つに組み込まれることとなった。
この一件で、俺に対する領民の評価も少し上がった。瓢箪から駒というべきか? 兎も角、結果は善哉、善哉だ。
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